あかねちゃんは僕のもの♪

 

いつもこの道を通り掛かるあの子…

クルクルとよく動き回って

いつもとっても幸せそうに笑うんだ

 

僕はあの子の笑顔を見るのがとっても好き…

僕にもああいうふうに笑いかけてくれないかな〜

 

いつも背の高い男の人達に囲まれているんだけど

あれ? 今日はどうやらあいつらはそばにいないぞ…

 

チャ〜〜〜ンス!!

 

タタタタタタタタタッ

 

 

 

「神子殿、危ない!!」

「えっ?」

あかねが振り向くと一匹の犬が自分の方に向かって猛スピードで、突進して来る

ところだった。

「神子どのー!!」

叫びながら頼久が走って来たが、間に合いそうもない。

「キャッ…」

思わずあかねは、両手を顔の前で交差させて避けるポーズを取った。

だが、いつまでたっても犬が飛びかかって来る気配はない。

あかねがおそるおそる手の間から犬の方を見ると何とその犬はあかねの前にきち

んとお座りをして、ちぎれんばかりにしっぽを振っている。

「はぁ〜っ」

あかねはいっぺんに緊張がほどけて、その場にへなへなと座りこんだ。

犬はそんなあかねのそばに歩み寄るとペロペロと顔をなめ始めた。

「ああん、くすぐったいってば〜」

あかねは嬉しそうにそう声を上げた。

 

「大丈夫ですか、神子殿?」

やっとあかねのもとにたどり着いた頼久があかねに聞いた。

そんな頼久を見て、犬はあかねのもとから急いで飛び降りると、歯茎を見せて、

う〜っと唸り声を上げた。

 

頼久は思わず刀の柄に手を掛けた。その時、

「頼久、その犬は神子を守ろうとしているだけだ。」

という声がした。

「泰明殿…」

頼久は刀の柄から手を離した。

「その犬は神子を好いているようだな。」

「えっ? そうなんですか?」

あかねが犬の方を見ると、犬はあかねの顔をジッと見て、嬉しそうにしっぽを

振っている。走って来た時は大きな犬に見えたが、よく見ると子犬ではないが、

まだちょっと幼さが残っていて、1歳にも満たないぐらいに見える。茶色の毛

に白足袋がとっても愛らしい。

「よく見たら、かわいいね、君。」

あかねが微笑むとその犬はいっそう激しくしっぽを振った。

 

 

 

「ねえねえ、藤姫、いいでしょう?」

「ですが、神子様…」

藤姫は几帳の陰から細い声を発した。星の一族とはいえ、藤姫はれっきとした藤

原家の深窓の姫である。当然こんな近くで犬を見ることなどなかったのだ。それ

ほど大きくない犬なのだが、藤姫にとってみれば小さな犬でも未知の獣に見えた

のである。

「ねっ、ねっ、いいでしょ? 藤姫!」

あかねはなおも強くお願いをした。あかね至上主義の藤姫がこのお願いを断れる

はずがない。藤姫ははぁ〜と小さくため息をつくと

「神子様がそこまでおっしゃるなら、仕方ないですわ。」

と言った。そして、

「ですので、その犬を庭の方に連れて行ってくださいませんか?」

とつけ加えた。

「あっ、ごめん、ごめん。おばあちゃんちでは家の中で飼ってたものだから。」

「犬を家の中ででございますか!?」

信じられないというように藤姫が声を上げた。

「うん。そうだよ! 家の中で飼っている家って結構あったもの。」

あかねはそう言うとその犬を抱き上げた。

「わ…わかりましたから、早く庭へ…」

あかねは犬を抱いたまま階を降りた。

「お預かりしましょう、神子殿。」

頼久が申し出たのだが、あかねに抱かれたまままた犬は頼久に歯をむき出した。

それを見て、あかねが言った。

「あっ、頼久さん、大丈夫です。私が連れて行きますから。それより紐を用意し

 てくれませんか?」

「紐…でございますか?」

「はい。犬をつなぐための紐を。」

「犬をつなぐ…」

このころの犬などというものはすべて野放し状態である。どの犬も自由に好きな

ところを徘徊している。だから“犬をつなぐ”ということが頼久には理解できな

かった。だが、神子が望むことだ。

「承知しました。」

そうひと言言うと紐を探しに行った…

 

地面に突き立てた杭に紐を結びつけるとあかねはその犬に言った。

「ごめんね。淋しいでしょうけど、我慢してね。ええと…」

名前を呼ぼうとして、あかねはその犬にまだ名前がないことに気付いた。

「太郎!」

犬はそっぽを向いている。

「ポチ!」

やはり不満そうな顔をしてあかねの顔を見ている。

いくつか試してみたがどれも不満そうだ。そして、

 

――そうだ!

 

あかねは小さいころ祖母の家で飼っていた犬の名を呼んでみた。

「ジョン!」

すると犬は嬉しそうに“わん!”と応えた。

「そうか、この名前が気に入ったのね。じゃあ、お前の名前はジョンね!

 ねっ、ジョン!」

そう言うとジョンは嬉しそうにしっぽを振りながら、あかねの周りを駆け回った…

 

 

 

「え〜っ、犬の散歩もしちゃだめなの〜!?」

藤姫の館から不満そうなあかねの声が聞こえて来た。

「今日は神子様の物忌みの日ですから、外出は控えていただかないと。」

藤姫はきっぱりそう言った。

「でも、ちょっと近所ぐらいは…」

「だめです!」

藤姫はちょっと強い口調で言い切った。

「そうだ、神子。おまえは本当に神子としての自覚が足りぬ。」

「あっ、泰明さん。」

「物忌みの日に出歩いてはならぬ。」

入って来た泰明もちょっと諌めるような口調でそう言った。

「だって、ジョンの散歩が…」

「滋恩?」

「ジョン! 犬の名前です!」

「問題ない。紐を解いてやれば好きに出掛けて行くだろう。」

「ダメです! どっかに行っちゃったり、他の犬に襲われちゃったりしたらどう

 するんですか!」

あかねの剣幕に藤姫も泰明も一瞬たじろいだ。

「犬とはそういうものだ。」

「でも、もし、ジョンがいなくなっちゃったら…」

あかねは悲しそうな顔でそう言った。

「わかった。では、私が神子の代わりに滋恩の散歩とやらに行ってこよう。」

「ダメです!」

二人の会話に急に藤姫が割って入った。

「今日は神子様の物忌みの日なのですから、泰明殿は神子様のそばにいていただ

 かないと!」

「では、どうするのだ?」

泰明が聞いた。

「頼久! 頼久!」

藤姫は頼久を呼んだ。その声を聞いて、頼久がすぐに姿を現した。

「何でしょう? 藤姫様。」

「頼久、神子様の代わりにこの犬を散歩とやらに連れて行ってもらえませぬか?」

「い…犬を!?」

頼久の脳裏には歯茎を見せて唸る犬の姿が浮かんだ。

「私が…」

「嫌なのですか?」

「いえ、私は…」

「頼久さん、お願いできませんか?」

あかねが懇願するような目でそう言った。

「わかりました。神子殿がそうおっしゃるなら…ですが、私は犬の散歩など行っ

 たことがないのですが…」

それを聞いてあかねはニコッと笑いながら頼久に言った。

「大丈夫です。ジョンがちゃんと道を知ってますから♪」

「はっ?」

「ジョンに案内してもらってください。」

「はぁ〜」

まだ心配そうにしている頼久を見て、泰明が言った。

「私が話してみよう。」

「誰とですか?」

「この犬と…」

そう言うと、泰明は階を降りて、ジョンの方に近寄り、スッとかがむと何やら話

し始めた。

「すごいね! 泰明さん、犬ともおしゃべりできるんだ!」

あかねが瞳を輝かせて泰明とジョンの方を見ながらそう言った。

 

「滋恩…」

『違う! 僕の名前は“ジョン”だ!』

「すまぬ。では、じょ…ん。」

『なんだい?』

「今日は神子はおまえと共に散歩とやらに行けぬ。」

『え〜っ!! 嫌だい! 嫌だい! あかねと行きたい!!』

ジョンは泰明に向かってキャンキャンと吠えて、ちょっと抗議した。

 

「何を話しているのかな?」

あかねは心配そうにジョンと泰明の方を見ながらつぶやいた。

 

「今日は頼久と行ってほしい。」

『う〜っ、あいつはいつもあかねのそばにいるから嫌いなんだ!』

「今日、出掛けると神子に穢れが及ぶ。神子が病気になってもよいのか? それ

 こそ何日も一緒に出掛けられなくなるぞ。」

『うっ…それは困る…』

「ならば、よいな。」

『・・・・・仕方ない』

泰明は頷くと立ち上がって、あかねに言った。

「話はついたぞ。」

 

泰明は杭に結んであった紐をほどいてジョンを連れて来ると、頼久にその紐を手

渡した。頼久は少々おっかなびっくりしながら、その紐を泰明から受け取った。

ジョンはちょっと不満そうな顔をしたものの大人しく頼久のそばにとぼとぼと歩

み寄った

 

 

泰明はまたジョンのそばにかがむとジョンに二言三言つぶやいた。

ジョンはその言葉にわんと答えた。 

 

あかねがジョンの頭を撫でながら、

「ごめんね。今日は一緒に行けないの。また、明日行こうね。頼久さんの言うこ

 とをよく聞くんだよ。」

と言うと、ジョンはわかったとでもいうように“わん!”と一声元気に吠えた。

そして、クルッと後ろを向くといきなり全速力で駆け出した。ジョンが急に走り

出したものだから、紐を持っていた頼久はたまらない。犬にひきずられそうにな

りながら、慌てて後について走り出した。

「そ…それでは、神子殿。行ってまいります!」

「行ってらっしゃい! 気をつけてね!」

あかねは明るくジョンと頼久に声を掛けた…

 

 

 

「ジョンと頼久さん、遅いね〜」

あかねはそう言って、庭の方に目をやった。もう大分日も傾きかけている。

その時、タタタタッという小さな足音と少し大きな足音が聞こえて来て、やがて

頼久がジョンに引っ張られたまま姿を現した。頼久にしては珍しく肩で息をして

いる。きっとジョンにあちこち必要以上に連れ回されたのであろう。何しろ今日

の散歩はいつもの倍…いや、ゆうに三倍以上の時間がかかっていたのだから…。

いつもはあかねに合わせてゆっくりと歩いているジョンなのだが、今日はあかね

もいないし、お構いなしに自分の行きたい方向へと自由自在に全速力で走り回っ

たのである。そして、頼久は「ジョンに案内してもらって」というあかねの言葉

のままにジョンが行く方向に黙ってついていったのだ。

頼久は、帰って来るなり少し息を切らしながらあかねに言った。

「私はまだ鍛錬が足りないようです。たかがこれぐらいでのことで息が切れてし

 まうとは…。やはり神子殿の犬は賢い。私をちゃんと導いてくれました。」

「ご苦労様です、頼久さん。」

あかねはそう言うと、微笑みながらジョンの頭を撫でて、

「お帰り、ジョン」

と言った。ジョンは嬉しそうにあかねに擦り寄って顔をなめた。

その様子を見ていた泰明は無意識にジョンの紐を少し引っ張った。

ジョンは“キャン!”と一声立てると引っ張られるままあかねから少し離れた。

「どうしたんですか、泰明さん?」

泰明の行動に少しびっくりしてあかねが聞いた。

「私にもわからぬのだ。神子とじょんを見ていたら、無意識にこの紐を引いてい

 た。」

「ふふっ、泰明さん、ジョンにやきもちを妬いたのかな?」

冗談まじりにそう言ったあかねだが、泰明の顔を見て一瞬

 

――えっ?

 

と思った。心なしか泰明の顔が紅潮しているように見える。

 

――夕焼けのせい? それとも…

 

あかねは何だか嬉しくなって、微笑んだ。それを見た泰明の顔にも少し笑みが浮か

んだが、泰明はそれを見られまいとして、急に後ろを向くと

「神子に影響を与える時間は過ぎた。今日はこれで失礼する。」

と言って、大股でその場を後にした。

 

――少し期待しちゃってもいいのかな?

 

あかねは微笑みながら泰明の後ろ姿を見送った。

そんなあかねのそばでジョンがキャンキャン不満そうな声で吠えた。

「今度は君がやきもちかな?」

あかねはそう言うとまた犬の頭を撫でてやった。

 

ジョンは嬉しそうにあかねの手の感触を受けながら、思った。

 

――この頼久とかいうやつだけかと思っていたら、あの泰明とかいうやつもライバ

  ルだったのか… 頑張らねば!!

 

当然ジョンの声は誰にも聞こえなかったけどね。

 

そんな藤姫の館の中庭には柔らかな夕日が差し込んで、紅葉しかけた木々を静かに

照らしていた。

 

Rui Kannagi『銀の月』
http://www5d.biglobe.ne.jp/~gintuki/

 

[あとがき]

近江さんが先日他界したうちの愛犬JONJONと

私のために描いてくださった絵につけさせていただ

いた作品です。

実際のJONJONは犬にしては珍しく顔をなめる

という行為は一切したことがなかったのですが、こ

こではあかねちゃんへの愛の深さ(?)を表現する

ため、あえて書いてみました。

JONJONは意志のしっかりした犬で、散歩の時

に分かれ道で「どっちに行くの?」と聞くと、少し

考えてから自分でいつも行く道を決めていました。

元気だったころのJONJONにはよく振り回され

たものです。彼に負けて、何キロも歩かされた(走

らされた?)こともしばしば…。

“滋恩”というのは近江さんが考えてくれた当て字

です。ちょっといい感じでしょ?(^^)

何か書いているうちに当初の設定からずれにずれま

くって、こんな物語になってしまいましたが、この

作品を絵を贈ってくださった近江さんに捧げたいと

思います。どうぞお受け取りくださいませ。

 

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