藤ごろもの溜め息

 

あれから幾時の季節が過ぎていっただろう。
すべては遠い昔のように、思い出は色褪せていくという…。
だが…私が忘れることはない。忘却を知らぬのだから。
お前に出会い過ごしてきたすべてを…お前が教えてくれた「心」が覚えている。
お前はどうなのだろうな…役目を終え、私だけの神子となった。
だが、お前を慕う者は大勢いる。
お前の瞳に他の者が映る時…表現しきれない想いが、私の「心」を駆け巡る。
初めて会った時と変らない…多くの者達へ向けられる微笑み。
私だけの神子にと思った…だから「側にいて欲しい」と願った。
お前は私の願いを聞き届け、この京に留まってくれた。
しかし…私の想いは届いているのか…いないのか…
聞けばいい?…それだけだというのに私は…何を恐れているのか…。
「怖い」…神子の答えが…この苦しい気持ちは何なのか…。
以前なら聞けたはずだった…だが、聞けない…。
私はどうしてしまったのだろう?また、壊れてしまったのだろうか?
人になったはずなのに…胸が痛い…私は消えるのか?
嫌だ…消えたくない。
おかしなものだ…八葉は道具だからと、消えることもいとわないと思っていたはずなのに…
今は消えたくない…お前の側にずっといたい…。
だが…このところの私は、欲しかないようにお前を欲している。
この感情は何なのだろうか?
人は物ではない…なのに私のものだけにしたいと思う…なんだというのか。
私の中で何か黒い感情があるのは判るのだが…。

藤姫の屋敷を訪れ、庭に佇み藤の花を眺めていると、一人の長身の男が声をかけてきた。
「散りぬれば みいる儚き 藤ごろも 散らす春風 憂いの吐息…かな?泰明殿。」
聞き覚えのある声に振り返ると、私にとって一番理解しがたい男が、藤の花に戯れ微笑み立っていた。
このような歌を詠むのは、言わずと知れた友雅だった。
めったなことがなければ、私に声をかけてくるということなど、しない男だったはずなのだが…
歌の意味もさることながら、私に声をかけてきたことに疑問を感じ問い直す。
「どういう意味で言っている?」
この男のことだ…そのままの意味ではないだろう…。
「泰明殿の花は、いつ咲くのだろうね?」
訝しげに見上げ、睨みつけるように問う私に、皮肉を含んだ微笑を浮かべ扇を広げ、
きびすを返して立ち去りながら言った。
(私の花?)
私の…そう言われて浮かぶのは、神子だった。
神子が花ならば、咲くとは?
しかも歌は「散らす」…!!!
…友雅が神子をあのように見ていたとは!
(藤ごろもは神子とその身…儚く散らせる…私か…それとも?)

私は足早に神子の下に向かった。
神子の部屋に近くまで来ると、明るく優しい笑い声が聞こえてくる…。
どうやら藤姫と話をしているようだった。
私は神子の声に安堵感を覚え、いつものように声をかけた。
「神子…失礼する。」
神子は私の姿を確認するやいなや、今にもかけだしそうな勢いで私の名を呼んだ。
「泰明さん!今日は、お仕事お休みなんですか?」
いつもと変らない…明るく優しい…なら、何故だ?友雅はあのようなことを…。
神子の問いに答えず考え込んでいる私を見て、神子が私の顔を覗き込んだ。
「泰明さん?どうしたんですか?何かあったんですか?」
神子の言葉に驚きを隠せないまま、顔を上げた。
(知っているはずがない。あの場には神子はいなかったのだから。神子にはわかるのだろうか?)
神子が心配そうに私を見つめる…まるで全てを見透かすような澄んだ瞳で…。
「いや…。神子、お前に聞きたいことがある。」
友雅のことも気になるが、私の中の感情をはっきりさせたかった。
もしかしたら神子を困らせるかもしれないが…神子なら答えを知っているかもしれない。
確信はなかったが、そう何故か思ったのだった。
「え?なんですか?」
驚いたように大きな瞳を真直ぐに私に向け、愛らしく首をかしげる神子。
どう言葉をつむげばよいのか…しばらくの間、私は言葉が出なかった。すると…
「泰明さん?何かあったんですか?時々、なんだか苦しそう…私に何か出来ることはありませんか?」
思いがけない言葉だった。
本当に私の心を読めるのではないのではないかと思えるほど…。
あまり神子の元にも行かず、庭の藤ばかりを眺めては、ため息をする日が何日、続いたことだろうか。
もしかしたら見ていたのかもしれない。
(神子に負担をかけてはいけない…私は神子を守らなくてはならないのだから…。)
目を逸らしうつむいたまま、言葉をさがした。
どうすれば神子の負担にならないかを…。
「神子。神子は…今をどう思う?京を平和にし役目も終え、藤姫の屋敷で今も過ごしているが…。」
いつもの私ならば、率直に問うていたはずだった。
(「私のことをどう思っているのか?」)と…。
だが言えるはずもなかった。
他の八葉は、今も神子を慕っている…だから友雅の言葉に動揺したのだ。
知りたい…神子の気持ちを…でも、聞くのが怖かった。
その時である。今まで側で控えていた藤姫が、神子に声をかけた。
「神子様…先ほど、お話したことをお伝えしては?きっと全てが解決されると思いますわ。」
そう言うと藤姫は一礼をして、部屋を出ていった。

「神子。話していたこととはなんだ?」
楽しげに話していたように思えたのに、何を話していたのだろう?
藤姫が部屋を出て行くのを見送ると、少し頬を赤らめながら神子は私を真直ぐに見つめた。
「泰明さん…あの…」
「なんだ?言いにくいことならば、無理には聞くことはしない。」
神子は私の言葉を聞いて、首を振ると優しく微笑んだ。
「藤姫と話していたのは、その…今の生活のことなんです。」
「何か問題があるのか?」
今の生活は、藤姫の屋敷に留まり、私が以前と同じく通っている。
何か不都合があるのか?この京では、当たり前のことだが…。
「問題はないんですけど…私、泰明さんと一緒にいたくて残りましたよね?」
「ああ。…元の世界に帰りたくなったか?」
今の生活に問題ないならば、考えるべくもない。
だが、元の世界に帰りたいのであれば、話は別…今まで聞くのが怖いと、聞けなかった問題の一つを初めて言葉にした。
どんな顔をして私は答えただろうか?判っているのは、手が震えていることだけだった。
「違います。そうじゃなくて…」
「では、なんだ?」
神子の言葉に安堵感を感じ、間髪いれずに問い直す。
「あの…以前の生活と、何も変っていないような気がして…ずっと一緒にいるって、こういうことなのかな〜って思って。」
確かに神子の言うとおり、以前と変らない生活で、他の八葉も神子の下を訪れる。
私も訪れ、夕刻には帰る。だが…帰るたびに寂しそうな神子を見るのは、後ろ髪を引かれる思いだった。
いっそ連れて帰ろうかと、何度思ったことか…しかし私の一存でできるはずもない。
神子の意思なくしては…。
「神子の思う[一緒にいる]とは、どういうものだ?」
自分の気持ちを抑え、あくまでも神子を優先する。
それは八葉としてではない。神子が大事だからだ。
手の振るえが納め、冷静を装いながら今一度、神子に問う。
「えっと…私の[一緒]っていうのは、[通う]んじゃなくって、ずっと[同じ家に住む]なんです。
 同じ家で住んで、ご飯も一緒に食べてとか…」
言いながらも徐々に顔が赤くなり、うつむき言葉か止まる。
他は言い難いことなのだろうか?
だが、私は嬉しかった。共にあるということが、共に住むということ…同じ考えだったことが。
「神子は、私と共に暮らしたいと願うのか?」
確認の意味も含めて、うつむいたままの神子に問いた。
すると落ち着きのなかった表情から一変して、面を上げた神子の顔は真剣な表情で頷いた。
「はい。その…泰明さんが嫌じゃなかったら…。」
どうして嫌だと思う必要があるのか…否、今までの私の行動が、神子に思わせてしまっているのかもしれない。
「すなまい。私の行動は、神子を不安にさせてしまっていたようだな。」
「そんなこと…」
謝りながら神子をそっと抱きしめる。腕の中の神子は、柔らかく温かかった。
私の腕に身を委ねる神子の横髪をかきあげ、耳元で想いと共に今まで口にしなかった神子の名を呼んだ。
「共に暮らそう…愛する私の…。」

 

沙桐姫様

[涙のひと言]

沙桐姫様より特別に頂戴した泰あか作品ですv

人間的な感情を持ったがゆえにあかねちゃんの気持ちを

確かめるのが怖いと思う泰明さん… 一方あかねちゃん

の方も今まで通りの生活を続けていることになんとなく

不安を感じていたんですね。お互いの気持ちを言葉にす

れば簡単なことなのに… でも、なかなかそう出来ない

ところがまたこの二人らしくてよいのですv

ラストの泰明さんが名前を呼んでくれるところは思わず

「キャッ!(*^.^*)」と思いました。ぜひぜひ皆さんも

泰明さんに名前を呼んでもらってくださいな♪

沙桐様、素敵なお話をありがとうございました!

 

 

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