寝殿の庇から月明かりを受けてひとりの男が庭を見つめていた。 こうこうと照らす月は秋の庭に草木の影をつくりいっそう趣の深いものにしている。 寝殿から北の対に向かおうとして晴明は足をふととめる。 明日には月が満ちる。 ふと思い立ってそのまま西の対に向かう。 西の対の主はいた。 月明かりにその美しい横顔をさらしてじっと庭を見つめていた。 愛するものによって解かれた顔の呪いの変わりに今宵は青白い月が影を落としているようで・・・・・ 「眠れぬのか?」 声をかけると泰明はゆっくり晴明を仰いだ。 その顔はどこか心もとなげで、儚い。 「こらこら、そのような顔をするやつがあるか・・」 「・・・・お師匠・・・本当によいのだろうか?」 晴明は応えず泰明の傍に坐る。 「今年も見事に咲き乱れておるな。」 庭に咲く紫苑の花を見つめるその目は限りなく優しい。 「この庭はな・・・なるべく手を入れずおいておきたかった。」 「お師匠がそうおっしゃるので手は入れておらぬ。」 「泰明、紫苑の別名をしっておるか?」 「・・・・・・いや。」 「反魂草・・というのだよ。」 「はんごん・・・?」 「そう・・・・死者の魂を呼び返す花・・・言い伝えにすぎぬがな。」 晴明は苦笑する。 「・・・・反魂など理を乱す行為だ。」 「たしか、おまえは戻り橋の謂れを知ったときもそう言っていたな。」 「・・・・・・・」 泰明はじっと紫苑をみつめる。 「お師匠・・・私は理に背いた存在だ・・・・存在自体が罪だと・・・いつか咎を受ける身だと思っていた。そんな私が、神子を・・・本当にいいのだろうか?」 晴明は泰明の苦しげな瞳をやわらかく受けとめる。 「なぁ・・泰明・・・私もじつはそうだったのだ。」 「そうとは?」 「戻り橋の法師のように父親の魂を呼び返すのは理に反する行為だと思っていた。だがな・・・」 晴明はつと立ちあがるとぽんと手をたたく。 階に沓が現れた。 それを履くと紫苑の中に降り立つ。 「この紫苑は李花が植えたものなのだよ。」 「お方さまが・・?」 「そう。失った幼い魂を呼び返そうとしてな。」 桔梗の咲き乱れるころに生まれ秋の盛りに逝ってしまった幼い魂を・・・ 増えた紫苑は幼いいとし子を惜しむ母の気持ちを表すようで・・・だから晴明は刈り入れたりする気にはならなかったのだと泰明に告げた。 「いまならわかる・・・理だのなんだのという前に人には抑え難い情があるのだと・・・・・だから・・泰明、おまえがいる。」 おまえは望まれて生まれた大切な存在なのだ・・・ 声にならない晴明の想い・・・・ 泰明の目が一瞬見開いて晴明を見つめ、やがて庭の紫苑に移る。 「泰明、生きてみなければわからぬよ。」 「生きてみなければ・・・・」 「そうだ。おまえは自分の存在が罪だという。だが・・・その咎を受けるのは私であっておまえではないのだ。」 「・・・・お師匠・・・」 「そして誰もいつ自分の生が終わるかなどということはわからぬ。」 「・・・・そうなのか」 「泰明」 晴明がまっすぐ泰明を見つめる。 「なんだ?」 「忘れるな。おまえは私と李花の子だ。」 「・・・・・・・・」 晴明はふっと微笑をもらす。 「もっと早く言うべきであったな・・・」 そして空を見上げた。 「よい月だ。明日はいよいよ望の月だな。」 泰明も再び月を見上げる。 「神子と幸せにおなり・・・泰明」 明日、ようやく泰明は神子と結ばれる。 泰明が黙って頷く。 「では、早く寝ろ。」 「お師匠も・・・・」 晴明は頷くと泰明の肩を軽くぽんぽんと叩く。 そのまま庭伝いに北の対にむかう。背中に泰明の視線を感じながら。 そよ風が紫苑を揺らす。 泰らかにあれ・・・明らかにあれ・・・ そう願って名付けた三年前・・・・今宵も祈ろう。 あの月のようにおまえの生が満ち足りたものであるように・・・ 終
柊様 そらのお城:http://hiiragi.milkcafe.to/
≪柊様コメント≫
男性にマリッジブルーというものがあるのかどうか・・・私にはわかりませんが
泰明さんにはきっと不安というか迷いはあると思うんです(たぶん・・・) それを大きく包むお師匠であってほしい・・・ これは私のオリジナル設定をもとに書かせて頂きました。 ここでは泰明は晴明の幼くしてなくなった子供の魂をもとに
造られた存在ということになっています。
公式設定の陰の気を妻の体に封印して・・うんぬんというお話が
発表されるより早くこの設定で書いてしまったので・・
そのまま押しとおしているのですが・・・
幸いにも涙さまがこの設定を好きだと仰ってくださいましたので、
このまま書かせて頂きました。 涙さん、30001番踏んでくださってありがとうございます
[涙のひと言]
柊様のサイトで30000番のキリ番を1カウントオーバー
して悲しんでおりましたら、柊様より“ニアキリ”というこ
とでリクエストを受け付けてくださるというありがた〜い夢
のような申し出をいただきまして、書いていただいた貴重な
作品です。
私はコーエーさんの公式設定よりも柊様の“晴明様の幼くし
て亡くなった実子の魂をもとに造った”という設定が好きな
んですよね。それゆえお師匠様が泰明に寄せる思いもとても
深いものに…
このお話も結婚前夜の泰明の揺れる心をやさしく温かく包み
込む愛情深い父親としてお師匠様が書かれています。反魂草
になぞらえて出生の秘密を語るお師匠様…きっと泰明にもお
師匠様の心が伝わったことでしょう。本当に柊様の描く泰明
さんとお師匠様の関係にはいつもながらうっとりさせられます。
柊様、素敵なお話を頂戴いたしまして、本当にありがとうございました。
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