初 詣

 

外出着の上にさらに厚い着物を重ね着して、すっかり支度の整ったあかねが言った。

「行くったら、行く!」

「だめだ!」

「行くったら、行くったら、絶対行く!」

「だめだ!!」

 

今日は1月1日、元旦。

初詣に行きたいと主張するあかねと「だめだ」と答える泰明…

ふたりはもうかなり長い間こんな押し問答を続けていた。

あかねはぷぅと頬を膨らませると少し恨めしそうな目で泰明を見た。

泰明もそのあかねの目をにらみ返し、しばらくにらめっこが続いたが…

 

「はぁ」

と先にため息をついたのは泰明の方だった。

至上最強の陰陽師。誰もが恐れるこの男が勝てない唯一の存在

−−それは北の方、この元龍神の神子のあかねぐらいだろう。

「まったくおまえはちっともわかっていない。」

「だって、初詣行きたいんだもん!」

あかねは半分涙目でそう訴えた。

「おまえひとりの身体ではないのだぞ。」

「わかってるよ、そんなこと。だから絶対無理しないから。」

泰明はまたため息をついた。

「もう生まれ月だというのに、この寒空の下出掛けるなど、何を考えているのだ…」

「ホントにだめ?」

あかねはうるうるした目で泰明に訴えかけた。

泰明は三度目のため息をついた。

「まったく。私がおまえに勝てるはずがないではないか。」

あかねの目が輝いた。

「じゃ、いいの!?」

「仕方ない。このまま押し問答を続けて正月を過ごすのも嫌だからな。」

「ありがとう、泰明さん!!」

あかねは泰明に飛びついた。

「また、おまえはそうやって無茶な行動をする。転んだらどうするのだ。」

泰明はそう言ったが、その顔はとてもやさしかった。

 

「だが、出掛けるとなれば、どうやって行けばいいだろうか。牛車は揺れが激しくて

 お腹の子によくないだろうし…」

「私、歩いて行くよ。火之御子社だったらそんなに遠くないし…」

そう言いかけたあかねを泰明は制した。

「だめだ!! じゃり道を歩いて行くのは危険だ。どこでけつまずいて転ぶやも

 しれぬ。それにきっとおまえのことだ。静かに歩かずに急に走り出したりする

 のだろう?」

「えへっ」

あかねは自分のするだろう行動を見抜かれて、ペロッと舌を出した。

 

泰明はしばらく考え込んでいたが、やがて立ち上がると急にあかねを抱き上げた。

「えっ!? えっ、ちょっと、泰明さん!?」

あかねはびっくりして叫んだ。

「どうしても行くというならこうして行こう。」

「く…苦しいよ。泰明さん、おろして!」

泰明はびっくりしてあかねをおろした。

「すまない、あかね。大丈夫か?」

おろおろしながら泰明はそう言った。

あかねは無理に笑顔を作りながら

「だ…いじょうぶ。やっぱり妊婦を抱き上げるのって少し無理があるね。」

そう言った。

「では、どうしたらいいのだろう。行くのをやめるか?」

「嫌だ。行く!!」

あかねはまた抗議の目で泰明に訴えた。

 

泰明はまたしばらく考え、そして…

「青嵐、雄飛、刹羅、夢双!」

と式神を呼んだ。

「主様、ここに。」

泰明の呼びかけに答えてすぐに四体の式神が姿を現した。

「あかねと一緒に火之御子社に行く。輿を用意せよ。」

「御意のままに。」

そう答えると式神たちはまたフッと消えた。

「輿で行くの? わあ、輿って乗ったことないから楽しみ!」

あかねはそう言うと笑顔を見せた。

その笑顔を見て、泰明は小声でつぶやいた。

「本当は私もあかねと一緒に出掛けたかったのだ…」

とても小さな声だったので、聞き取れず、あかねが聞き返した。

「えっ、何? 泰明さん」

「何でもない。」

「何なの? 気になる〜」

そのあかねの訴えを無視して、泰明はあかねの手を引いて門へと向かった。

 

あかねを乗せた輿は四体の式神にかつがれ、まるで宙を浮いているかのごとく、

(もしかしたら本当に浮いてたかもしれないけど…)静かに静かに進んだ。

しかし、泰明はそれでも心配なのか「もっとゆっくりと」とか「もっと丁寧に」

とか盛んに注文をつけていた。

輿はあかねを気遣い、とてもゆっくり進んだので、普段はそれほどかからない

火之御子社までの道もかなり時間がかかった。やがて社の前まで来ると輿が下ろ

され、あかねは泰明に手を取られながら輿から降りた。

 

ふたりの思い出の場所でもある火之御子社

初めて泰明の心の叫びを聞いた場所…

そして、ふたりが結ばれた後も毎年かかさず

初詣に来ている場所

「どうしても今年、ここに来たかったんだ。

 この子をここに連れて来てあげたかった

 から。」

あかねはそう言うと、自分の大きなお腹を

愛しそうになでた。

「そうだな。ここは特別な場所だから。」

ふたりは社の前で手を合わせてお参りした。

「この子が無事に生まれて来ますように」と。

そしてこの幸福がいつまでも続きますように」と。

 

「では、そろそろ帰るぞ。」

「うん、泰明さん。」

あかねはそう答えて泰明の方に近づこうとしたが、急にお腹を押さえて立ち止まった。

「い…いたっ」

あかねの異変を感じ取り、泰明の方があかねのところに掛け寄った。

「あかね、どうした?」

心配そうな顔で覗き込む泰明に

「う…生まれるかも…」

とあかねが答えたものだから泰明は仰天した。

「だ…だから出掛けない方がいいといったのだ。ど…どうしたらいいのだ!?」

「私も初めてのことだからよくわからない。」

「連れて帰った方がいいのか、それとも…ああ、動かしてはならぬのかも知れぬ。

 ああ、いったいどうすればいいのだ!!」

「大丈夫…だよ、泰明さん…」

パニックを起こした泰明をなだめたのは当のあかね本人だった。

 

その時、泰明の頭上に一羽の白い鳥が飛んで来た。

「落ち着け、泰明。おまえがあせってどうする!」

その鳥から聞きなれた声が聞こえてきた。

「お師匠…」

「まったく、おまえは神子のこととなるといつも冷静さを欠く。すぐ近くに藤姫の

 乳母の家がある。もう使いは出しておいたゆえ、早く神子を連れて行くがよい。」

「やに手回しがいいな、お師匠。」

「神子殿には今日、子が生まれるという予兆が出ていたではないか。そんなことも

 気がつかなかったのか。おまえらしくもない。」

「……」

「ここでしゃべっていても埒もない。早く神子を連れて行け。」

「わかった。」

そう言うと、鳥の案内に導かれるまま、泰明はあかねを再び輿に乗せると、来るとき

よりもさらに気をつかいながら、乳母の家へと向かった。

 

「あかねーっ!!」

「ですから、殿方は部屋に入ってはなりませぬ。もう何度も言わせないでください。」

女房はそういうと、今にも部屋を飛び出しかねない勢いの泰明を力一杯制した。

「だが、あかねが苦しがっている!」

「大丈夫です。経験豊かな乳母殿がついておりますから。」

先ほどからあかねが少しうめき声をあげるとこんな光景が繰り返されていた。

 

やがて…

 

「オンギャーッ」

とひときわ大きく元気のよい赤ん坊の声が屋敷中に鳴り響いた。

「あかねーっ!!」

女房の制止を振り切ると、泰明はあかねのいる部屋へ飛び込んだ。

そんな泰明を見て、あかねは疲れ切った顔にも微笑みを浮かべながら言った。

「泰明さん、生まれたよ。私たちの子どもだよ。」

「元気な男の子ですよ。母子ともに健康です。」

そう言うと、乳母は産湯につけて真新しい産着に包まれたばかりの赤子を泰明に

手渡した。

泰明はおっかなびっくりその赤子を受け取った。今にも壊してしまいそうな小さな

小さな存在。泰明は赤子の顔をそっと覗き込んだ。すると今まで感じたことのない

愛しさが体の中から湧き上がって来た。

「これが私の子。私とおまえの…。ああ、あかね、愛しいという気持ちは増えていく

 ものなのだな。今、初めてわかった。おまえもこの子も共に愛しい。

 私のようなものが人の親になれるとは思ってもいなかった。ありがとう、あかね。」

あかねは黙って微笑み返した。

「さあさあ、奥方と赤子の顔を見たら安心なさったでしょう? 一度部屋を出てくだ

 さい。まだ後始末がありますから。」

そう言って乳母に追い出される泰明を見つめながら、あかねは何ヶ月か前のことを

思い出していた。

 

 

 

 

その日、体調が悪いからと伏せっていたあかねが心配で泰明は早めに仕事を切り上げて

戻って来た。そして、あかねのもとにやってきた泰明は今まで感じたことのない不思議な

気に首を傾げた。

「気が変質している…」

「えっ?」

あかねはそんな泰明に首を傾げながら聞き返した。

「あかねの気がふたつになっている…」

「えっ!? どういうこと?」

「おまえの中にもうひとつ別の光が見える。」

「あっ…」

あかねの顔が輝いた。

「泰明さん、それって、もしかして…」

「もしかして…何だ?」

あかねは顔を真っ赤にして恥ずかしそうに言った。

「子どもができたんじゃ…」

「子…ど…も? 私に子を成せたと言うのか? 信じられん。」

呆然とする泰明にあかねは目を輝かせて言った。

「きっとそうだよ。そうに決まってるよ。私の中に泰明さんの子どもがいるんだよ!

 泰明さんと私の子どもが…ちゃんとここに!」

「……それは、私が人間として認められた…と言うことか?」

「ふふ。本当はもっとずっとずっと前から人間だったんだけどね、泰明さんは。」

泰明は思いっきりあかねを抱きしめた。

「ああ、あかね。おまえのおかげだ。」

「泰明さん?」

泰明の目からは涙がこぼれていた。

「もう、泰明さんの泣き虫。」

あかねは満面の笑みを浮かべながら小声でそう言うと、泰明の背中をやさしくなでた…

 

 

 

 

まだ母体を動かさない方がよいということで、今宵は藤姫の乳母の家に泊めてもらう

ことになった。

部屋に落ち着くと、あかねは赤子に乳を与えた。

赤子はそれを嬉しそうにコクンコクンと勢いよく飲んでいた。

泰明はそんなふたりの様子を愛しそうに見つめていた。

やがてお腹がいっぱいになってあかねの腕の中で赤子が寝つくと、あかねは泰明に

言った。

「この子の名前、何てつけようか?」

「名か…」

泰明は少し考えるとあかねに言った。

「光明…光明丸というのはどうだろうか? 私の胸に光を与えてくれたおまえの子。

 そして、この子もまた光であるから。」

「光明丸…か。いい名だね。」

泰明はあかねの手から赤子を受け取るとそれを抱き上げ、

「おまえは光明丸だ。私たちのかけがえのない宝だ。」

本当にこれ以上ないというほどの笑みを顔中いっぱいに浮かべてそう言った。

そんな泰明をあかねはこれまた極上の笑みで見つめていた。

 

「本当にいいお正月になったね。最高のお正月だよ。」

 

幸せそうな三人を隙間から漏れるほのかな月明かりがいつまでも照らしていた。

 

 

 

Rui Kannagi『銀の月』
http://www5d.biglobe.ne.jp/~gintuki/

 

 

[あとがき]

あはは。とうとう泰明さんをパパにしてしまいました。と言っても

先に神子桜で息子が登場しているんですけどね。名前の方は成人後

の“泰光”というのは前から決まっていたのですが、幼名の方はす

ごく悩みました。でも、泰明さんの「翳りの封印」のラストの方の

歌詞を聞いてから絶対名前に“光”を入れたかったので、こんな名

前にしてみました。泰明さんはきっとあかねちゃんに似たかわいい

女の子が欲しいでしょうけれど、やっぱり女心としては泰明さんに

よく似た男の子が欲しいのですよね。ふふふ。おめでたい日におめ

でたいことが続いて超幸せなふたりであります。でも、現実問題と

したら、お正月に子どもが生まれるとたいへんなんだろうな…きっ

と。でも、泰明さんがそばにいるからね。まっ、大丈夫でしょう!!

火之御子社の写真も掲載してありますので「初詣に行き損ねた」と

い方がおりましたら、こちらで泰明さんたちと一緒にお参りしてください♪

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