ひだまり

 

「父様は、まだこないの?」
尋ねて、少女は頬を膨らませた。
この時期の京を彩る桜に似た、母親譲りの明るい色合いの髪が肩口でさらさらと揺れる。
「ここにいることはちゃんとわかってるから、きっと来るよ」
「そうですわ、しずく様。お父様は約束を違えるような方ではございませんもの」
しずく、と呼ばれた少女の問いに、母であるあかね。そして、母を慕って良くしてくれている藤姫が答えた。
けれどしずくは、藤姫が開いてくれた今日のこの、自分の誕生日を祝う宴に、まだ準備中とはいえ父が姿を現さないことが不満だった。
この京に誕生日を祝う習慣はない。
五年前、「龍神の神子」として京を救った母。その母が元いた世界での習慣なのだという。
まだ三歳のしずくには、龍神の神子というのも違う世界というものも、よくは理解できなかったが、親しい人たちと過ごせるこの習慣が好きだった。
(父様、私の誕生日忘れちゃったのかな・・・)
そう考えた途端、両の目にじんわりと涙がにじんできた。
「あかね様、藤姫様、宴の確認をしていただけますでしょうか」
女房の言葉に、あかねと藤姫が立ち上がる。
「しずく、楽しみに待っててね」
ふんわりと、あかねが優しくしずくの頭をなでた。あかねの香が涙を拭うように、しずくを包み込む。
(母様の香り・・・)
父が好きだから身にまとうようになったというその香は、しずくにとっては大好きな母の香りだ。
しずくは、席をはずす二人をぼんやりと見送った。
(母様は、父様がいなくても寂しくないのかな?)
なかなか現れないというのに、離れていても平気なのだろうか。いや、きっと寂しいに決まっている。
(父様を探しに行こう!)
しずくは端近まで降りて辺りを伺うと、階を飛び降り、庭を抜け、家人の目を盗んで外へと飛び出した。
外へ出た途端、京中に広がる満開の桜が、しずくの視界を覆う。
淡い淡い、白くすら見える薄紅色の花びらは風に舞う。
やわらかな日の光を浴びて、ふわりふわりと、差し出した両の手に降り積もる。
「きれい・・・」
この花びらをたくさん集めたならば父は喜んでくれるだろうか。
そう考え、両手を広げて花びらを受け止めるが、降り積もるはしから、蝶のように風の中へと消えていく。
捕まえられることを拒むかのように、するりと指の間を通り抜けた。
肩を落としたしずくの目に、今度は本物の蝶が飛び込んできた。
「蝶々!」
すっかりうれしくなって、蝶と戯れながら、父のいるであろう場所を目指した。
しかし、ここが左京二条であることすら把握していない少女が、たった一人で目的の場所に辿り着けるはずもない。
そもそもどこに行けば父と会えるのかも、わかっていないのだ。
あっという間に方向を見失い、細い路地の中へと迷い込んだ。
「ここ、どこだろう・・・」
心細いが、泣いてなどいられない。何とか人のいる場所に出ようと、さらに路地を曲がった。
すると――
目の前に大きな犬が立ちはだかった。
黒い毛並みの薄汚れた犬。やせてはいるが、その体は大きな岩のようだ。
腹を減らして気が立っているのか、しずくを見て低く長い唸り声をあげる。
(どうしよう・・・)
目をそらすことも逃げることもできず、しずくはじっと犬を見つめたままその場に凍りついた。
――犬がひとつ、大きく吼えた。
そしてそのまましずくに飛び掛ろうとする。
(もう、だめ!)
恐怖に身をすくめたが、いつまでも恐れたその瞬間はやってこなかった。
代わりに、聞き覚えのある声がしずくに話し掛ける。
「何やってんだよ。こんなところで、うろうろしてたら危ねぇじゃん」
「イノリお兄ちゃん・・・」
恐る恐る目を開いて、ぽつりと呟く。
そして、知り合いに会えた安堵から、しずくの目に涙が浮かんだ。
「わっ!何だよ、泣くなって」
すっかり弱ってしまったイノリを助けるかのように、新たな声がかかった。
「イノリくん!こっちに、しずくちゃんが来なかった?今みんなで探してて・・・あっ!」
小走りでその場に現れた詩紋は、しずくの姿を見つけると、明るい笑顔を浮かべた。
「しずくちゃん、イノリくんと一緒にいたんだね。よかった」
そう言った詩紋は、後ろを振り返り、後から来る一団に手を上げて合図を送った。
「こっちです!」
大きく振られた詩紋の手を目印に、頼久、天真、永泉、泰明が現れた。
八葉、と――
かつてそう呼ばれた人間の六人までがその場に集った。
きょとんと、状況が把握できずに六人を見上げるしずくの頭を、天真がぽんっと軽く叩いた。
「あかねも藤姫も、おまえがいなくなって大騒ぎしてるぞ。自分で探すってのを、何とか止めてきたけどな」
「しずく殿、お二人ともとても心配しておられました」
母や藤姫が心配するということを失念していたしずくは、しゅんと落ち込んだ。
それに、父のもとにも辿り付けず、こんなところで迷っていたにすぎないのだ。
イノリが来てくれなかったならば、どうなっていただろう。
それにしても、他の五人はどうして、こんなに早く自分を見つけることができたのだろうか。
ふと顔をあげると、目の合った泰明が、しずくの心中を読んだかの如く答えをくれた。
「この方角から、おまえの気を感じた。しずく、おまえは考えが足りぬ」
少し聞いただけでは、冷たいと取られがちな言葉に永泉が言葉を添える。
「しずく殿がいなくなったと聞いて、泰明殿がすぐに見つけてくださったのですよ。ご無事でよかった」
「でも、どうして屋敷を抜け出したりしたの?今日は皆でしずくちゃんの誕生日をお祝いする日だよね?」
軽く膝を折り目線を下げて、優しく尋ねる詩紋に、しずくはぽつりと答えた。
「父様に会いたかったの・・・」
しずくのその言葉に、元八葉の面々は優しい微笑を見せた。
「仕方ねぇな。あかねには俺から伝えといてやるか。おまえら、連れて行ってやれよ」
「じゃあ、僕も先に藤姫の館に行ってるね」
イノリ、詩紋の言葉に永泉が頷いた。
「ええ。しずく殿、内裏までご一緒しましょう」
「父様は内裏にいるの?」
「ええ。先ほど、しずく殿がいなくなったことをお知らせしたのです。きっと内裏で待っておられますよ」
「お仕事の邪魔にならない?」
自分が勝手に屋敷を抜け出したことで、すでに父の仕事に支障が出ているかもしれない。
その上更に、訪ねていって邪魔にはならないだろうか。
危惧するしずくに、泰明が完結に答える。
「問題ない。行くぞ」
そして、さっさと内裏に向かって歩き出す泰明の背に、永泉が慌てて声をかける。
「お、お待ちください、泰明殿」
振り返った泰明に、天真が注意を促した。
「泰明、しずくもいるんだ。子供の足に合わせてやれよ」
「そうか。すまない、思慮にかけていた・・・」
心底、悔やんでいることがわかる辛そうな顔に、驚いたしずくは慌てて泰明に告げる。
「ううん。私、ちゃんと歩けるよ」
そうは言っても、小さな少女の足で歩ける速度には限りがある。
それでも、元気に足踏みをしてみせるしずくに、すっと頼久が近寄った。
「失礼します、しずく殿」
言った途端、頼久はしずくを抱き上げる。
しずくは驚いて目を丸くするも、頼久が特に何か気にする様子はなかった。
代わりに、今やしずくと同じ目線の高さになった天真が口を開く。
「珍しく気が利くじゃないか、頼久」
気を利かせた、という自覚はないらしい。その頼久にしずくは笑顔をみせた。
「頼久さん、父様みたい」
母親の頼久に対する呼び方のまま、そう口にするしずくに頼久は複雑な表情を見せる。
何故、そんな顔をされるのかわからずに天真の方をうかがうと、彼は彼で腹を抱え笑っている。
「??」
「では、参りましょうか」
永泉の声に促され、五人はしずくの父のいる内裏へと向かった。

内裏に着くと、すぐに鷹通が五人を出迎えた。
その時にはすでに、自分の足で歩いていたしずくに目線を合わせ、穏やかな声音で諭す。
「しずく殿、あなたがいなくなったと聞いて、私もあなたの父上もとても心配いたしました。もう、黙って出かけたりなさらないと約束してくださいますね?」
鷹通のその言葉にしずくがしっかりと頷くと、鷹通は微笑を浮かべた。
ふと、しずくはその鷹通の肩越しに父の姿をとらえた。
「父様!」
しずくの呼びかけに、父――友雅は手を差し伸べてしずくを招く。
「おいで、姫君」
優しい微笑で自分を抱き上げる友雅に、しずくは、ぎゅっと抱きついた。
「屋敷を黙って抜け出したそうだね。皆に心配をかけてはいけないよ」
「だって、父様がしずくの誕生日を忘れちゃったと思ったの・・・」
「おや、私が忘れると思うのかい?」
その言葉に、しずくは即座に首を振った。
「帝からこれを賜ったのだよ。ぜひ、しずくに、とね」
しずくの小さな手の中に、そっと置かれたそれは、桃色のにおい袋。
覚えのある香りに、しずくは笑みを浮かべた。
「いい香り。これ、父様の香のにおい」
「そして、これは私からだよ」
友雅は、しずくの手のひらに小さな鈴をのせた。
貝をかたどった鈴は、持ち上げるとやさしい音色を響かせる。
「鈴?」
「顔を近づけてごらん」
言われた通り、鈴に顔を近づけると、におい袋とはまた違った香がふわりと薫った。
「母様の香りだ!」
しずくの答えに、友雅は笑みをこぼした。
「侍従の香、というのだよ」
満足げなしずくを抱き上げたまま、友雅は他の面々と共に藤姫の館へと向かう。
しずくは二つの贈り物を大切ににぎり閉めたまま、うとうとと、まぶたを閉じていく。
そして、しずくが目を閉じるのと同時に、この小さな冒険も幕を下ろしたのだった。


SAK様『Aerial beings』

http://amdsak.hp.infoseek.co.jp/

≪SAK様コメント≫

「友雅パパと娘」が書きたくて、書いてしまいました・・・
そのわりに、友雅さん出番少ないし(汗)
最後まで、はっきり誰がパパなのか、わからないほうがいいかなぁと思ってそうしたんですが、
だいたい予想はついてしまいますね
でも、こんな素敵なお父さんや八葉の皆が身近にいたら、男性を見る眼は厳しくなりそうだなぁ(笑)

ちなみに、設定としては友雅さんとの京ED後ということになりますが、天真と詩紋、二人ともいます。
すみません、二人ともいないのは寂しかったんです〜

[涙のひと言]

SAK様が10000HIT記念として、今までにUPして

いらっしゃった作品の中からこの作品を期間限定で

フリー配布しているとのことで直ちに頂戴してまい

りました。だって、この作品、かわいくて大好きで

すもの♪

SAKさんの作品にしては珍しくあかねちゃんのお

相手は天真くんじゃないんですよね、これが!

読んでいくうちに次々と八葉が出て来て、「あれっ

誰がパパなのかな?」と思ったら、何と友雅さんな

んですよね、しずくちゃんのパパ!

でも、しずくちゃん、本当にかわいいわ!!

こんなかわいい娘だったら、友雅パパはお嫁にやる

時はさぞかしたいへんでしょうね。「誰にもやるも

のか!」と言って、あかねちゃんに怒られそう!

しずくちゃん、父様の香と母様の香の素敵な誕生日

プレゼントを二つももらって、よかったね。

SAK様、これまた素敵なお話をどうもありがとう

ございました!

 

 

SAK様のサイトへは『リンクのお部屋』からどうぞ

 

 

 

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