|
「天狗〜」 紅牙沙はそう呼ばれて、大きな枝の上に寝転んだままかったるそうにその声の方を見た。 だが、自分の方に大股で近づいて来るその人物が目に入るやいなや、その表情がにわかに和らいだ。 「泰明ではないか!」 紅牙沙は嬉しそうにその人物に声を掛けた。 「おぬしがわしを訪ねて来るなどほんに珍しいのう。どういう風の吹き回しじゃ?」 「風など吹いておらぬが?」 真顔で泰明はそう言った。 ――ハァ〜、あいかわらず進歩がないのう〜 「おまえに聞きたいことがある。」 「ん?」 「人間(ひと)は、何を贈れば喜ぶのだ?」 「何だ? やぶからぼうに…」 「藪と棒がどうしたのだ?」 「・・・いや、何でもない。」 「おまえの話はわけがわからぬ。」 ――わしにはおまえの方がわけがわからぬよ。 紅牙沙は小さくため息をついた。 「で、何を贈ればよいのだ?」 そう繰り返した泰明の言葉を聞いて、紅牙沙は急に何か思いついたようにポンと一つ手を叩くと、うんうんと頷きながら、言った。 「そうか、わしに何か贈り物をくれるのか♪」 「おまえにではない。」 泰明は一瞬の間も置かずにすぐさまキッパリそう言い切った。 ――うっ、何もそんなにはっきり否定しなくとも… 「それにおまえは人ではない。」 「まあ、そりゃあ、そうだが… では、誰に贈るのじゃ?」 いつもならそこで即答する泰明であったが、紅牙沙の言葉に泰明は一瞬とまどいを見せた。 「ん?」 紅牙沙は泰明の顔を覗き込んだ。表情の変化が乏しい泰明であるが、心なしかその頬に赤みがさしているように感じられる。 ――ほう、これはこれは 紅牙沙はそんな泰明を見て、目を細めた。 「もうちょっと詳しく話してくれぬとわからぬぞ?」 「わかった。」 泰明は一つ頷くと話し始めた。 「神子が先日私にあるものをくれたのだ。『はい、ぷれぜんと』と言って。 “ぷれぜんと”とは神子の世界の言葉で、“大切な贈り物”という意味らしい。」 「ほぅ〜〜〜 神子がの〜」 紅牙沙は興味津々というふうに目を輝かせながら、泰明を促した。 「それで?」 「だから、お返しをしたい。」 「!?」 紅牙沙は泰明の言葉を聞いて、一瞬目を丸くした。そして、次の瞬間、顔をほころばすと今まで寝転んでいた枝からバサッと音を立てて、飛び立ち、 「おぬしがお返しをの〜」 と言いながら、少しばかりにやけた顔をして泰明の周りをぐるぐると飛び回った。 ――ちっとも成長していないかと思ったが、これはまた… 「何だ?」 泰明は少し顔をしかめた。 「いや。」 紅牙沙は思わず笑いが漏れそうになるのを必死にこらえながらそう答えた。 その様子を見て、泰明はますます不愉快そうな顔をした。 だが、せっかくこうしてここまで聞きに来たのだ。答えを聞かずに帰るわけにも行かぬ。泰明はそう思い、何とかその場に留まった。 「だが、なぜわしに聞くのじゃ? 晴明に問うてみればよかろうに…」 「お師匠にはもう聞いた。」 泰明は憮然とした表情のまま答えた。 「して、晴明は何と?」 「おまえが望むものを贈ればいいと。」 紅牙沙はそれを聞いて首を傾げた。 「そうすればいいではないか?」 「それがわからぬから聞いているのだ!!」 泰明は少し苛立たしげに声を荒げて、言った。 「何がわからぬのじゃ?」 「だから、“私が望むもの”とは何なのかがわからぬのだ。私が望むものと言われてもそれがわからぬ。」 ――ああ、もう… 紅牙沙は頭を抱えた。このところ神子のおかげで少しずつ人間らしくなって来たとはいえ、泰明は人としては、まだまだなのだ。だが、そんな泰明がまたかわいくて仕方がない。 一緒に考えてやるのもたやすいが、それでは泰明にとって意味はないし、ここは心を鬼にして… 「おまえにわからぬものが、わしにわかるものか。自分で見つけるのだな♪」 紅牙沙はわざとそうそっけなく答えると、もといた枝に戻った。 「おまえならわかると思ったのだが…」 泰明は大きくため息をついた。 「時間を無駄にした。」 泰明はそう言うと踵を返して、歩き始めた。 「泰明?」 「もう用は済んだ。帰る。」 そして、スタスタと歩いてサッサと山を降りて行ってしまった。 ――成長したのか、成長していないのか、わからぬのう。 その後ろ姿を見送って、紅牙沙は苦笑した… そんな紅牙沙をそばにいた小天狗がつんつんとつついた。 「なんだ?」 「紅牙沙さまぁ、本当は紅牙沙さまもどんなものを贈ればいいか、わからなかったんじゃないですか〜?」 小天狗はニヤニヤしながら、紅牙沙を見ている。 「な…なにを申すか!? そんなもの簡単じゃわい。」 「じゃあ、何を贈ればいいんですか?」 「そ…それはだな…それは…」 紅牙沙は口ごもった。そう! 紅牙沙自身も実は何にも考えてなかったのである。紅牙沙だとて人のおなごに贈り物などしたことがない。 ――はっはっはっ、泰明を追い返して、よかったわい。 紅牙沙は冷や汗をかきながら、心からそう思った… ◆ ◆ ◆ 紅牙沙にあっさりかわされた泰明はとても頭を悩ましていた。 お師匠には聞いた。そして、天狗にも…だが、自分の望む回答は得られなかった。 陰陽寮の輩は聞くに値しない者ばかりであるし、あと聞ける相手と言ったら仲間の八葉… だが、神子に関することなので、本能的に八葉に聞くことは躊躇された。 こういうことが一番得意そうなのは友雅であったが、あの男にだけは絶対聞きたくない。仮に聞いたとしてもこちらの欲しい答えが返って来るまでにおそろしく時間がかかることだろう。また埒もないからかいを受け、無用に詮索され、話が長引くことは必至だろうから… そんなふうに思いながら歩いていたところ、よく見知った気が前から近づいて来るのを感じた。 「永泉…」 向こうも泰明に気づいたようで、最初少し驚いた顔をしたが、すぐににこやかな顔に変わり、泰明の方へと近づいて来た。 「泰明殿。あなたがこのようなところにお出でになるのは珍しいですね。」 言われて初めて気づいたが、泰明の足は無意識に御室の方へと向いていたらしい。 やはり八葉の中で相談出来るもの…と言えば、切捨て法で同じ玄武の永泉をどうやら潜在的に自分は選んでいたようだ。 「これも龍神の導きか…」 泰明は小さくつぶやいた。 「えっ、泰明殿? 今、何と?」 よく聞き取れなかったのか、永泉は泰明に聞き返した。 泰明はそれには答えず、 「永泉、聞きたいことがある。」 と言った。 「私に聞きたいことですか? はい、何でしょう?」 泰明が自分を頼ることなど珍しい。嬉々として永泉は泰明に聞いた。 「贈り物は何がいい?」 「えっ? 泰明殿が私に何か贈り物をくださるのですか?」 永泉は頬をほんのり染めながら、驚いたような目で泰明を見た。 「みな、なぜ自分への贈り物だと思うのだ?」 泰明は少し眉をしかめながらそう言った。 「そ…そうですよね。私のようなものに泰明殿が贈り物など…」 永泉はたいそうがっかりした様子で、小声でそうつぶやいた。 「ある者が私に贈り物をくれたのだ。だからお返しがしたい。」 なぜか泰明は今度は“神子”という言葉を使わずにそう要点のみを短く告げた。よほど先ほどの紅牙沙のからかいが懲りたと見える。 ああ…と合点したように永泉はうなずいた。 「そうですね。お返しをすると言ってもその方の好みというものもございますし…その方はどのようなものを好む方なのですか?」 「わからぬ。」 「そ…そうですか。」 ――まあ、泰明殿ですからね… 人に無関心な泰明なら、確かに人の好みなどいちいち気にしたこともないのだろう。 「では、泰明殿が人からいただいて嬉しいと思うものを贈ってみれば、いかがでしょう?」 「私が?」 永泉の意外な言葉に泰明はちょっと反応したが、すぐにいつもの口調で言い放った。 「ものをもらって嬉しいと思ったことなどない。」 それを聞いて、永泉は、はぁ〜っとため息をついた。 「そうですか…私などは神子から私の好きな花を添えた文などをいただくとたいへん嬉しく思うのですが…」 「そうか!」 泰明は突然大声を出した。永泉はその声にビクッとした。 「永泉、礼を言う。」 「は…はい?」 泰明はわけがわからないという表情の永泉をそこに残したまま、スタスタと歩いて行ってしまった… 「私はお役に立てた…のですよね??」 半信半疑ながら、永泉はそう一人つぶやいた… ◆ ◆ ◆ ――確かに永泉の言う通りだ。 神子から淡香の文とそれに添えられた山吹の花や藤の花をもらうと胸が温かくなる。 神子もきっと好きな花を贈れば喜ぶだろう。 永泉に相談して、正解だった。 しかし、しばらく歩くと、泰明はその歩を止めた。 ――だが、神子はいったいどんな花が好きなのだろうか? 泰明は再び頭を悩ませてしまった。どんな花を贈ればいいのだろう? 花の咲いているところに行くと、泰明はわからないまま片っ端から花を摘んで行った。 また場所を移して、同じく… それを何箇所かで繰り返した。 自分の邸に摘んで来た花をすべて持ち帰って、それらをジッと眺めてみたが、どれも神子が好みそうにも思えるし、そうでなさそうにも見える。しかし、摘んだ花をいつまでもここに置いておいては枯れてしまうだけだ。 そう思った泰明は仕方なく、摘んで来た花を全部抱えると、土御門へと向かった。 ◆ ◆ ◆ 「神子、失礼する。」 「泰明さん、いらっしゃい♪ うわっ」 あかねは顔が見えないほど花をいっぱい抱えた泰明を見て、えらく驚いた。 「どうしたんですか、これ!?」 「この中に神子の好きな花はあるだろうか?」 花の向こうから泰明の声がした。 「えっ? 私の好きな花?」 「この前、神子に“大切な贈り物”をもらった。そのお返しに神子の好きな花を贈りたいと思ったのだが、神子がどの花を好いているかわからぬので、目につくものをみんな摘んで来たのだ。」 「泰明さんが私のために摘んで来てくれたんですか?」 あかねは目をパチクリして、泰明に聞き返した。 「そうだ。この中におまえの好きな花があるといいのだが…」 「ありがとうございます! ぜ〜んぶ好きですvv」 「全部?」 「はい。だって、泰明さんが一つ一つ私のために摘んで来てくれたんですもの。」 「そうか。」 泰明はちょっと嬉しそうな声を上げて、バサッとその花々をあかねに手渡した。 「わっわっ」 あかねは受け取ろうと手を伸ばしたのだが、その花の量があまりにも多すぎて…受け取りきれず、頭から花をかぶってしまった。 「すまぬ。」 泰明は神妙な面持ちでそう言った。 「はははっ、いいんですよ、泰明さん。」 あかねは花にまみれながら、笑顔で言った。 「ほら、お花畑みたいで、素敵でしょ?」 「そうだな。」 泰明は安心したように頷いた。 「素敵なプレゼントをありがとうございます。」 「喜んでくれたのか?」 「そりゃあもう。最高のプレゼントですよv」 「よかった…」 泰明の顔に自然に笑みが浮かんだ。 ――わ〜、泰明さんの微笑みつきだ〜 そんな泰明の顔を見て、あかねもまた極上の笑みを浮かべた。 「そうだ、泰明さん。」 「なんだ?」 「これを摘んだところに今度案内してくれますか?」 「構わぬが?」 「わ〜い♪ 約束ですよvv」 「ああ。」 泰明もいつの間にか極上の微笑みでそれに応えていた… ◆ ◆ ◆ 数日後、泰明はまた永泉を訪ねた。 「永泉」 「泰明殿。今日はどうされたのですか?」 また先日のように何か聞くために訪ねて来たのかと、内心びくびくしながら、永泉は聞いた。 だから 「今日は先日の礼を言いに来た。」 と泰明が告げた時は心から安堵した。 「それはようございましたね。その方は泰明殿の贈り物を喜んでくださったのですね?」 「ああ。予想以上に喜んだ。だから礼を言う。」 「いえ、私などたいした役には…で、泰明殿は何をさし上げたのですか?」 「花だ。」 「ああ。」 永泉は頷いた。 ――そうですか、それで… そう。今日泰明に聞くまでは自分が泰明にどう役立ったか、さっぱりわからなかったのである。 「神子はとても喜んでくれた。」 泰明は思い出しながら、目を細めてそう言った。よく見れば、ほのかにその口元はほころんでいる。 ――えっ? えっ? 神子〜?? 「や…泰明殿、贈り物をさしあげた相手というのは神子だったのですか?」 「ああ、そうだ。おまえにはいい助言をしてもらった。だから、隠す必要もあるまい。」 「確か、その方に先に贈り物をいただいたとおっしゃっておりましたよね。では、神子から…」 「そうだが?」 泰明は何でそんなことを聞くんだというようにきょとんとして、言った。 ――神子が泰明殿に!? 永泉はちょっとショックを受けた。永泉はずっと以前から密かに神子に好意を寄せていた。 もちろん、僧籍にある身なので、それでどうこうする…というわけではないのだが、それでも他の男に神子が何かを贈ったということを聞けば、それなりにショックである。 それに自分は神子に贈り物をさしあげたことはあるが、神子からは用件のある時に届けられる文に添えられた花以外はもらったことはない。気になる…神子はいったい泰明殿に何を贈ったのだろう? 「あの…もし、よろしかったら神子から何をいただいたか、お教えいただけないでしょうか? あっ…あのさしつかえなければで結構ですので…」 気がついたら、そのような言葉が自分の口をついて出ていた。 泰明は 「別に構わぬが?」 そう言うと、懐からある物を取り出した。 それを見た永泉の顔が一瞬にして凍りついた。 ――そ…それは!? 「これと同じ色違いのものを神子も持っている。“ぺあ”というのだそうだ。ぜひ“おそろ”とやらで私にこれを持っていてほしいと神子が言ったのだ。」 泰明は手にした物を見ながら、その時のあかねの顔でも思い出したのか、微笑んだ。 それに対して、永泉の顔はすっかり血の気をなくし、青さを通り越して、ろうのように真っ白になった… ――み…神子、これは私があの時、神子にさしあげた… 神子、あんまりですー!! 泰明は、そんな永泉のことなどまったく気に留める様子もなく、神子からもらったおそろいの匂い袋を大切そうに再び懐にしまうと短く別れを告げ、もと来た道を足早に帰って行った… その後、永泉が急な病で寝込んだというが、その本当の理由(わけ)を知るものは誰もいない。 お・し・ま・いv
Rui Kannagi『銀の月』
|