ピノキオ

 

 

まだあかねが京に召還されて間もないころの物忌みの日であった。

今日の物忌みにあかねは泰明を指名していた。

何となく人を惹きつける独特の魅力のある美貌の陰陽師…

他の八葉のみんなとはだいぶ打ち解けて来たのに、泰明とは一緒に散策に出掛けることは

あるものの未だあまり親しくなってはいなかった。

――もう少し仲良くなりたいな。

そういうわけで、今日泰明を指名したのである。

 

やがて渡殿を足音が近づいて来た。

「神子、失礼する。」

「おはようございます、泰明さん。今日はよろしくお願いしますね。」

泰明はそれには答えず、無言であかねの前の円座に腰を下ろした。

 

そして、しばらく沈黙が流れた。

 

――ううっ、気まずい…

 

あかねは何とか話をつなげようといろいろ話題をふってみたが、どの話題にも泰明からは

簡潔な答えが返ってくるだけで、すぐに会話が途切れてしまう。

 

――タネがつきちゃった。これじゃあ仲良くなれないよ〜。困ったなあ。

 

また沈黙が流れた。

 

しばらくして

――そうだ。

あかねは一つのアイディアが浮かんだ。

「泰明さん、前に私の国のことを知りたいと言ってましたね。」

「ああ。」

また、短い返答が返ってきた。それにめげず、あかねは続けた。

「今日は、まだ時間がたくさんあるし、私の国の物語でもお聞かせしましょうか?」

その言葉に泰明の目はパッと輝いた。

「聞きたい!!」

いつになく積極的な答えが返ってきて、あかねはちょっととまどったが、すぐに

ニコッと微笑みながら泰明に言った。

「そうですか。それじゃあ、う〜ん、何にしようかな…。」

あかねはちょっと考えて、

「そうだ! 私が小さいころ好きだったお話しますね。」

と言った。

泰明の目が早く早くと訴えていた。

 

――何かかわいい。まるで、小さなこどもみたい。

 

不思議にあかねは泰明を見て、そんなふうに思ってしまった。

 

「むかし、ゼペットじいさんという人がいました…」

あかねが語って聞かせたのは『ピノキオ』。

言わずと知れた現代の人なら誰もが小さいころに一度は聞いたことのある不朽の名作で

ある。

途中泰明は「“さーかす”とは何だ?」とか「“くじら”とは?」とか盛んに聞いてきて、

その都度話が途切れたりもしたが、何とかラストまで話し終えることができた。

 

物語がひと通り終わると泰明は

「で、その“ぴのきお”とかいう者は人間になれたのだな?」

と聞いた。

あかねは微笑みながら答えた。

「はい。仙女様の魔法によって。」

「“まほう”とは呪いのようなものか?」

「そうですね。だいたい似たようなものですね。」

 

それを聞いて、泰明は少し考え込んでいた。

 

「泰明さん?」

「いや、何でもない。」

「まだ、少し時間がありますね。他の物語でもしましょうか?」

「いや、もう一度今の話を聞かせてほしい。」

「ええ、いいですけど…」

あかねは泰明の熱心な瞳に少し驚いたものの、もう一度『ピノキオ』の話を語り始めた。

話が終わると泰明は

「もう一度」

とせがんだ。

あかねはこんな泰明を見るのは初めてなので、何度も何度も繰り返し物語を話して

聞かせた。

 

そうこうしているうちに、外は暗くなり始め、いつのまにか、いつもの物忌みの日なら

八葉が帰るべき時間をとうに過ぎてしまっていた。

何回目かの話が終わって、泰明はハッと外を見た。

もうあたりはかなり暗くなっている。

「すまない。何度も話をせがんでしまって。」

と本当にすまなそうに言った。

「いいんです。泰明さんが喜んでくれるなら。」

とあかねは微笑みながら答えた。

すると泰明は一瞬あかねに笑いかけた――ように見えた。

「えっ!?」

あまりにも一瞬のことでよくわからなかったが、確かに今…

泰明はもういつもの無表情に戻っている。

 

「すっかり遅くなってしまった。これで失礼する。」

泰明が立ち上がって帰ろうとすると

「あっ、一番星!!」

あかねはそう叫ぶと庭に駆け出した。

何となく泰明もその後に続いた。

「そうだ。泰明さん、さっきの『ピノキオ』の中にこんな歌が出て来るんですよ。」

あかねはそう言うと、綺麗な透き通るような声で歌い始めた。

その曲は名曲『星に願いを』

 

――心地よい旋律だ。

  神子の神気が私の身体に流れてくるからだろうか?

  それともこの歌自身が仙女のまほうとやらの一部なのか…

 

「私も……になれるだろうか」

 

泰明はとても小さな声でそうつぶやいた。

あかねは歌うのを止めて、泰明の方を振り返った。

「えっ? 何か言いました?」

「いや…神子、続けてくれ。」

あかねは少し首を傾げたが、うなずくと再び続きを歌い始めた。

また、泰明の身体の中に何とも言えない心地よい気が流れて来た…

 

「それでは、今度こそ本当に失礼する。」

「はい。泰明さん、おやすみなさい。」

去りかけた泰明は急に振り向くと

「今日は楽しかった。」

そう一言言うと、またくるっと背を向けて渡殿を歩いて去って行った。

 

初めて聞く泰明の言葉にあかねは知らず知らずのうちに笑みがこぼれていた。

「これで、少しは仲良くなれた…よね?」

 

家路につきながら、泰明は泰明で、先ほど自分の口から発せられた言葉を反芻していた。

――楽しい? 思わず口をついて出てしまったが、私にそんな感情がわかろうはずは

  ないのに…。

  それなのに、なぜあのような言葉が出てしまったのだろうか…

 

その日、泰明は夢を見た。

あかねそっくりの仙女が杖を振ると、自分が人間になって行く夢。

眠る泰明の顔には自然に笑みが浮かんでいた。

 

あかねがなぜ泰明が『ピノキオ』の話にこれほど興味を持ったのかを知るのはずっと

先のことである。

 

 

Rui Kannagi『銀の月』
http://www5d.biglobe.ne.jp/~gintuki/

  

[あとがき]

“こども”というものは何度も同じお話を聞きたがるものだか

ら(^0^)

泰明さんの願望と感情がほんのちょっとだけ垣間見れたという

お話です。でも、この時の泰明さんは無意識に言葉を発してい

るだけで、まだ自分の気持ちを自覚してはいない状態です。

「人になりたい」と言って私がまっさきに思い浮かんだのが、

『ピノキオ』のお話。実際は私は小さい頃はあまりこのお話が

好きではなかったのですが、ぜひあかねに『星に願いを』を歌

わせたい…というわけで、こんなお話を書いてみました。

いかがでしたでしょうか?

 

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