逆さのてるてる坊主

 

「雨か…」

雨にしっとりと濡れた庭の木々を眺めながら、泰明はそうつぶやいた。

「今日は神子殿のもとに行かぬのか?」

泰明が振り返るとそこには師匠である安倍晴明が立っていた。

「昨晩、おまえのもとに神子殿から花と文が届いたのではないのか? 今日の物忌みは

 お前と共に過ごしたいと…」

泰明は晴明の顔を見ると淋しそうに言葉を発した。

「夕べのうちに神子へは今日は祈祷の儀があるゆえ、行けぬと返事を出してしまったの

 だ。まさか今日、雨が降って宮中での祈祷の儀が中止になるとは思ってもいなかった

 ので…それに…」

そこまで言うと泰明は、一旦言葉を切ってからまた続けた。

「それに神子はきっと私の代わりに他の八葉を呼んでいることだろう。神子の物忌みの

 日は八葉の誰かが必ずそばにいる必要があるのだから…」

泰明は爪が食い込むほど手を強く握りしめてうつむきながらそう言った。

「ふ〜ん…」

晴明はそう言うと、泰明の方に近づき、並んで雨の庭を見ながら言った。

「おまえは神子の気を感じ取れるのだったな?」

「無論。」

なぜそのようなことを聞くのだというように泰明は怪訝な顔で答えた。

「ならば、その神子の気のそばに他の八葉の気を感じるか?」

晴明が聞いた。

「!?」

「どうだ?」

晴明は口の端に笑みを浮かべながらそう言った。

「お師匠、すぐに出掛ける!」

泰明はそう言うと階を下りた。

「いっておいで。神子殿によろしくな。」

晴明に答える間もなく泰明はどしゃ降りの中を駆け出して行った…

その背を見送りながら、晴明は小声でつぶやいた。

「本当に神子殿のこととなると日頃の冷静さはどこへやらだな、泰明…」

微笑む晴明の顔は父親のそれであった…

 

 

 

「神子!」

自分の名を呼ばれ、庭に目をやったあかねは、ずぶ濡れになって立っている泰明を見て、

驚いた。

「泰明さん、びしょ濡れじゃないですか! 傘もささないでこのどしゃ降りの中をここ

 までやって来たんですか?」

泰明はそれには答えず、階をずんずん上がって来た。

「神子、何を考えている!? おまえの物忌みは他の者の物忌みとはわけが違う!

 なぜ誰か八葉を呼ばなかった!?」

あかねはその言葉を聞き、シュンとしょげながら小声で答えた。

「だって…私…泰明さんに来てほしかったんだもん…」

「私は昨晩のうちに、宮中の祈祷の儀に参列しなければならぬため、今日は行けぬと

 式神に伝えさせたはずだが!?」

泰明の口調はまだ強い。

「だって、昨日の夜、泰明さんの式神さんが帰った後、晴明様の式神さんが来て、今日

 の儀式は屋外で篝火を焚くので、雨が降れば中止になるかもしれないって言ってたか

 ら…だからもしかしてと思って…」

あかねはさらに小声でそう答えた。

「お師匠が?」

泰明の力が一気に抜けた。きっとお師匠がこうなるように仕組んだに違いない。これぐ

らいの雨を降らすことなどお師匠の力をもってすれば簡単なことだ。

「泰明さん?」

あかねが声を掛けた。

「ことの次第はわかった。だが、おまえは龍神の神子であることをもう少し自覚する

 べきだ。」

その言葉を聞いて、あかねはまたもやしゅんとなってうつむいた。しかし、次の瞬間

あかねは泰明の腕に包まれた。

「泰明さん!?」

「だが、そうまでして私が来るのを待っていてくれたのだな。神子、とても嬉しい。

 私とて神子に逢いたい気持ちは同じだ。」

あかねは泰明の背中にそっと手を回した。そして、しばし二人はそのままお互いの存

在を確かめ合っていた…

しかし、やがて泰明がハッとしてあかねから身体を離した。

「すまない、神子。私こそ思慮が足りなかった。私の身体が濡れていたことをすっかり

 忘れていた。」

「えっ?」

泰明にそう言われてふと自分の着物を見ると、ぐっしょり濡れてしまっている。

「そのままでは風邪を引く。早く着替えた方がいい。」

「泰明さんもね。」

「私のことはいい。早く着替えろ。」

あかねは女房を呼んで、泰明の衣装を用意してくれるよう頼んだ。その女房は泰明が

あかねの部屋にいることに少々驚いたが、まさかこの部屋で着替えさせるわけにも行か

ないので、泰明を着替えのため、別室へと連れて行った。

 

泰明が部屋を出て行くと、あかねは自分も着替えようと濡れた水干を脱ぎ始めた。

だが、そこでどうしたものかとふと考えた。いつも部屋にいる時は水干姿かジャンパー

スカートでいるのだが、それが濡れてしまった今は何を着ようかと迷ってしまったので

ある。泰明が戻って来るので、単というわけにも行かないし…。

そして、迷ったあげく前に藤姫が用意してくれた桜色の着物に袖を通した。

 

 

 

「神子、失礼する。」

着替えを終え、泰明があかねの部屋へ戻って来た。

「あっ、泰明さん。」

微笑みながらそう言ったあかねを目にした泰明は一瞬目の前のあかねに釘付けになった。

桜色の着物があかねの朱鷺色の髪によく映えて、あかねの少女らしい美しさをいっそう

際立たせていた。その姿で自分に向かって微笑むあかね…

そんなあかねを見て、泰明の鼓動が早鐘のように速まった。そして、自分の顔がみるみる

紅潮して行くのがわかる。

そんな自分の顔をあかねに見られたくなくて、泰明は思わず後ろを向いた。

「泰明さん?」

あかねが不思議そうに声をかけた。

後ろを向いてもまだ泰明の鼓動はいっこうに収まらない。

 

――私はまだ感情というものを覚えたばかりだから、制御ができぬのだ…

 

そして、何気なく顔を上げた泰明は、目の前に見慣れぬものがぶら下がっていることに

気づいた。何やら紙で作られた変わった形のものが、細い紐でぶら下げられている。

よく見るとそれはどうやら人形のようなものらしく、ご丁寧に顔まで描かれていた。

それにしてもこの人形はなぜ逆さにぶら下げられているのだろう…

何にでも興味を持つ泰明はすぐにあかねにたずねた。

「この人形はいったい何なのだ?」

あかねは「ああ」と声を上げると、泰明の横へ駆け寄って来た。

あかねはその人形に手をやるとにこやかな顔で言った。

「これは“てるてる坊主”って言うんです。」

「てるてる坊主?」

泰明が聞き返した。

「これを軒下にぶら下げると晴れるっていう私たちの世界のお呪いなんです。」

「神子の世界の呪い?」

泰明はますます興味がわいて来た。

「本当は頭を上にしてぶら下げるんですけど、私、今日は絶対雨が降って欲しいと思った

 からわざと逆さにぶら下げてみたんです。そしたら、お呪い効いちゃった♪」

あかねは嬉しそうに笑いながらそう言った。

「なぜ晴れではなく、雨を願う?」

泰明はきょとんとしてあかねに聞いた。

それを聞いて、あかねは顔を赤らめて言った。

「さっき言ったじゃないですか〜 雨が降れば泰明さんが来てくれるって聞いたから…

 それで…」

まだ言葉を言い終わらないうちにあかねは再び泰明の腕に包まれた。

「龍神は雨を司る神でもある。お師匠の術かと思ったが、おまえが願ったから雨が降った

 のだな。」

「泰明さん…」

「嬉しい。おまえが私のために願ってくれたことが…ああ、私の中に温かいものが満ちて

 来る。おまえは私に今まで知らなかったさまざまな感情を与えてくれる。おまえと共に

 いると私は人になれたということを実感できる。ありがとう、神子…」

そう言うと、泰明はあかねに唇を寄せた。あかねはそっと目を閉じた…

そっと触れるだけのやさしい口づけ…

だが、それだけで二人の内にはお互いを思うやさしい気が満ちて行った…

 

――神子、おまえと共にいたい。いついかなる時もずっとおまえのそばに…

 

静かな部屋に雨音だけが響いていた。

そして、そんな二人の様子を軒下にぶら下がっている小さな逆さのてるてる坊主だけが

そっと揺れながら見守っていた…

 

 

Rui Kannagi『銀の月』
http://www5d.biglobe.ne.jp/~gintuki/

 

[あとがき]

柊様のサイトの“紫陽花祭り”に参加するため書いた

作品です。先日東京に降った雨を窓から眺めていて、

思いつきました。

私、小さい頃、てるてる坊主をぶら下げると晴れるん

だったら、逆さにぶら下げたら雨になるんじゃないか

なぁなんて本気で考えてたんですよね。残念ながら、

実践したことはありませんが…。

きっと龍神の神子であるあかねちゃんならその願いが

叶うんじゃないかなぁって。そういうわけで、こんな

お話を書いてみました。

柊様、こんな作品でよろしければ、どうぞ「紫陽花祭

り」の片隅に置いてやってくださいませ。

 

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