Semi-sweet Valentine's Day≪前編≫

 

「おはよう♪」

女生徒たちが互いに挨拶を交わし合う見慣れた朝の風景。

だけど、今日はいつもと違って、その声は心なしかはずんでいるように見えた。

そう! 今日は二月十四日、バレンタイン・デー。女の子が思いを寄せる男の子に愛の告白が出来る大切な日である。

もっともひと昔前と違って今の女性たちはこれ以外の日でもどんどん積極的に自分から愛の告白をするようになったので、以前よりはこの日の本来の意味は薄れつつあるのだが、それでもやっぱりこのバレンタイン・デーという日が女の子たちにとって一大イベントであることには変わりはなかった。

それに今年のバレンタイン・デーが例年よりも盛り上がりを見せているのには二つのわけがある。一つは今年のバレンタイン・デーの曜日の巡り合わせが実に絶妙だったこと。今年のカレンダーは恋する女の子たちの味方をしていた。十一日の金曜日がちょうど祝日にあたって学校がお休み、そして十二日が土曜日、前日の十三日が日曜日とチョコレートを買いに行くのにも自分で手作りするのにも、はたまた手作りセーターの仕上げをするのにも十分な時間を神が与えたもうたのだ。これを生かさない手はない。

そして、もう一つは昨年数年ぶりに学院内で音楽コンクールが開かれたこと。その男性出場者の面々はその演奏で女の子たちを魅了したと同時にそのルックスでもその演奏以上に女生徒たちを魅了した。普段なら近づきがたいと思っている彼らなのだが、このバレンタインという行事のどさくさに紛れてなら、もしかしたら自分のチョコも受け取ってもらえるんじゃないかという甘い幻想を抱く女生徒たちが予想以上に多かったのである。

ちまたの私立高校ではバレンタインのチョコの持ち込みを禁止しているところも多々見受けられるが、そこはそれ自由な学風の星奏学院である。もちろんそんな野暮な規則などあろうはずがない。いやもしかしたらむしろ推奨しているのかもしれない。なぜなら受験戦線真っ只中のこの時期にどういうわけだかご丁寧に三年生の登校日が設けられているからだ。こんな学校なんておそらくこの星奏学院ぐらいだろう。そして、毎年この日一日は男子生徒だけではなく、学院の男性教師たちも女生徒たちからのささやかなプレゼントに密かに期待を膨らませ、胸を躍らせていた。

 

 

*  *  *

 

 

そんな中また一人、ひときわ大きな紙袋をぶら下げた少女が正門に近づいて来た。数ヶ月前学校中の注目を一身に集めた日野香穂子、その人である。彼女は普通科でありながらなぜか音楽コンクールに出場し、そして、こともあろうに彼女はそのコンクールで音楽科の精鋭たちを退けて見事総合優勝してしまったのである。

学内新聞でも何度も特集記事が組まれ、彼女は一躍時の人となったのは言うまでもない。多くの生徒たちはてっきり彼女が優勝と同時に伝説のヴァイオリン・ロマンスも成就させ、素敵な恋を手にしたとばかり思っていた。だが、彼女はコンクール終了後も出場者の男性たちみんなと等しく接していたので、誰一人として一向にその相手が誰であるかつかむことが出来なかった。そう、あの地獄耳の天羽菜美でさえ。

ゆえにやっぱりヴァイオリン・ロマンスなんていうのは学院に伝わる単なる噂の一つに過ぎなかったと誰もが思うようになっていたのだが…

 

 

*  *  *

 

 

門を入って、正門前広場に出ると香穂子はキョロキョロあたりを見回した。そう、香穂子には真っ先にチョコを渡したい相手がいたのだ。いつもだいたいこの時間にここを通るであろう彼に会うために今日もわざわざその時間に合わせて登校したのである。コンクールシーズンならいざ知らず、校舎の違う彼に偶然会う機会はほとんどというほどなくなっていた。下手をすると丸一日一度も顔を見ることも出来ない日も少なくない。だけど、今日ばかりは何が何でも彼を見つけないと… そう思って辺りを探していた香穂子の目に一人の人物が飛び込んで来た。

 

――いた!

 

香穂子はその人物を見つけると一目散にその方向へ駆け寄って行った。そして、まさに香穂子が声を掛けようとしたその時、それよりも一瞬早くほかの女生徒が彼に声を掛けた。

「おはようございます、月森先輩。」

蓮は不機嫌そうにそちらの方を見た。

「あの…これ、受け取ってください!」

その女生徒は綺麗にラッピングされた包みをまっすぐ蓮の方へ差し出した。

「これは?」

「バレンタインのチョコレートです!」

「あっ、そうか、今日は…」

女生徒の言葉で初めて気がついたようにそうつぶやくと蓮は小さくため息をついた。

「すまないが、受け取ることは出来ない。」

「えーっ!? なぜですか!?

「俺は甘いものは嫌いなんだ。それにもし受け取ったとしても君の気持ちに応えることは出来ないから。」

女生徒はそれを聞いて、今にも泣き出しそうな顔になった。そんな女生徒に表情をまったく崩さず

「失礼する。」

そう一言だけ言うと蓮は音楽校舎の方へとスタスタと歩いて行ってしまった。

 

「・・・・・」

紙袋の中の一際大きな包みに手をかけていた香穂子はその場で一瞬にして固まり、蓮に声を掛けることも出来ずにただただその背中を見送った…

 

やがて予鈴のチャイムが鳴ると香穂子はハッと気づき

「いけなーい!」

と叫んであわてて普通科の校舎に向かって走り出した。

 

 

*  *  *

 

 

――う〜ん、どうしようかな〜

 

授業を聞きながらも香穂子は悩んでいた。さっきの光景を見るまでは「渡すぞー!」と張り切っていたのだが、時間が経つにつれてなんだかだんだんその気持ちが揺らいで来る。香穂子はチラッと机のフックにかけてある紙袋に目をやった。その紙袋は朝と同じ状態で膨れたまま。

 

――まっ、悩んでても仕方ない! 取りあえずほかの人から渡すか!

 

そう決断すると、自分に言い聞かせるようにうんと頷いた。

 

 

*  *  *

 

 

――昼休みならきっと屋上に誰かいるよね?

 

香穂子はそう思いながら、チャイムが鳴ると、大きな紙袋を抱えて屋上へと向かった。案の定、そこにはちょうど梓馬と和樹がいた。

「こんにちは、柚木先輩! 火原先輩!」

香穂子はそう大声で叫びながら二人の方に近づいて行った。

「やあ、香穂ちゃん、久しぶり♪」

にこやかに笑いながら和樹が声を掛けた。

「お久しぶりです。」

「日野さん、本当に久しぶりだね。元気だった?」

「はい!」

これまたほのかな笑みを浮かべながら声を掛けた梓馬に香穂子は明るくそう答えた。

「会えてよかったです。はい、これは柚木先輩に…」

そう言って香穂子は紙袋の中から一つの包みを取り出すと梓馬に手渡した。

「ありがとう。」

「そして、これは火原先輩に!」

そう言うともう一つ包みを取り出し、和樹に手渡した。

「なにこれ? あーっ! もしかして、バレンタインのチョコレート!? うわっ、嬉しいな、香穂ちゃんからもらえるなんて♪」

和樹は子どものようにはしゃぎながら嬉しそうにその包みを眺めた。

「開けてもいい?」

「えっ? はい…」

ちょっと意外な言葉にとまどいながらも香穂子はそう答えた。目の前であげたばかりのチョコを開けられるのはいささか恥ずかしい。

「うわっ、見て見て、柚木! トランペット型のチョコレートだ!」

和樹ははしゃぎながらそのチョコを箱から取り出すと、おどけて吹くまねをした。

「ありがとう、香穂ちゃん。」

「先輩が喜んでくれて嬉しいです。」

「柚木は開けないの?」

和樹が聞いた。

「後でじっくり拝見するよ。」

そう言うと梓馬はそばの大きく膨らんだ紙袋の中に香穂子からもらったチョコをしまった。

香穂子はそれを見てギョッとした。その紙袋の中には色とりどりのパッケージに包まれた溢れんばかりのチョコの山が…

「あの…もしかして、ご迷惑でした?」

おそるおそる香穂子が聞いた。

「どうして?」

梓馬はおきまりの微笑みを香穂子に向けた。

「せっかく君が僕のためにわざわざ用意してくれたものだろ? 迷惑なわけがないじゃないか。」

「ああ、よかった。」

「そうだよ、香穂ちゃん。柚木だって嬉しいに決まってるって!」

微笑み返した香穂子がふと視線を上げると屋上の上の階から自分を見下ろしている一人の人物がいるのに気がついた。

 

――えっ?

 

その人物はジッと自分の方を見ている。最初、逆光でよくわからなかったのだが、ふと太陽が雲に隠れた時見えたその顔は…

 

――つ…月森くん!?

 

「あっ…じゃ、先輩方、私ちょっと用事があるのでこれで。」

「えっ? もう行っちゃうの? せっかく会えたのにさぁ〜」

和樹が残念そうに言った。

「すみません、先輩。この後、友達と一緒にお弁当を食べる約束があって…」

「そう。約束を破るわけには行かないね。じゃあ、またね、日野さん。」

「はい、では、失礼します。」

そう言って頭をペコッと下げると香穂子はまた紙袋を抱えてそそくさと屋上から姿を消した。

 

「ねえねえ、柚木。」

「なんだい?」

「もしかしたらさぁ、香穂ちゃんて俺に気があると思わない?」

「思わない。」

「えー!? なんで〜?」

すぐさま自分の言葉をキッパリ否定した梓馬に和樹は不満そうな声を上げた。

「もし、本命だったら二人同時にチョコを渡したりすると思うかい? しかも同じ大きさの。残念ながら、火原も僕も日野さんにとってはいい先輩止まりということさ。」

「いい先輩…」

火原はがっくりと肩を落とした。

「まあ、チョコをくれたんだ。嫌われてないだけいいんじゃないかい?」

そう言うと梓馬はチラッと上の階へ目をやった。

「それだけ好かれているという証拠だよ。」

「そ…そうだよね! さすが柚木! いいこと言うな〜」

和樹はそう言うと先ほど香穂子からもらったチョコを一口でほおばった。

「うん、甘い♪ 香穂ちゃんの愛の味がするv やっぱりいいよね♪」

「火原っておめでたいね…」

「えっ、何か言った?」

「いや。美味しくてよかったね、火原。」

「うん♪」

 

蓮は足早に屋上の上の階から下の階へ階段を駆け下りるとそんなやり取りをしている二人のそばを挨拶をすることもなしにすりぬけ、そして鉄の扉を開けると校舎の中へと消えて行った…

 

「えっ? えっ? あれ? 月森?」

「そうみたいだね。」

「どうしたんだろう? おれたちのこと気がつかなかったのかな?」

「さあ、どうだろうね。」

そう言うと梓馬は口の端に微かな笑みを浮かべた…

 

 

*  *  *

 

 

「失礼しま〜す…」

「日野! おまえさんがここに来るのなんてほんと久しぶりだな。」

「へへっ」

「あっ、わかったぞ。ほい。」

そう言うと紘人は香穂子の方に手を差し出した。それを見て香穂子は首をかしげた。

「チョコレートを持って来たんだろうが。受け取ってやるよ。ほれ、早く出しな。」

香穂子は頷くと紙袋の中から包みを一個取り出して、紘人に手渡した。

「おっ! 大きいな。」

紘人はその包みを眺めながらそう言った。

「このチョコを一目見て、これは先生にあげるっきゃないと思ったんですよ♪」

「ふ〜ん、俺のためにおまえさんが選んでくれたのか。それは感謝しないとな。ありがとさん。」

「では、失礼します。」

香穂子はそう言うと頭を下げ、音楽準備室を出て行った。

 

「あいつ、どんなチョコをくれたんだ?」

わくわくしながら包み紙を解いた紘人だったが、箱を開けてチョコを見るなり「うっ」と詰まった。

その箱の中に入っていたのは大きな猫の顔型をしたチョコ。少し笑っているその顔が心なしかタビーに似ている気がする。

「俺にこれをかち割って食えってか?」

それを想像しただけでもかなりスプラッタな光景が…

紘人はジッとチョコを見つめていたが、やがてパタンと蓋を閉めるとその箱を机の上に投げた。そして

「ふぅ〜」

と大きなため息をついた。

 

 

*  *  *

 

 

――大分少なくなって来たわ。

 

香穂子は午後の授業を受けながら、少しスリムになって来た紙袋を見つめた。

 

――放課後、音楽室に行けばおそらく王崎先輩には会えるだろうし、もしかしたら、

そこで志水くんにも会えるかもしれないし…土浦くんはグラウンドに行けば

確実に会える…と。

 

そこまで考えて香穂子はまた残り一個のチョコのことに思考が行き着き、頭を抱えた。

「何だ、日野。具合でも悪いのか?」

教師が香穂子に声を掛けた。

「い…いえ、大丈夫です。」

「じゃあ、58ページから訳して。」

「あっ…はい!」

そう言うと香穂子はあわてて立ち上がり、急いで教科書のページをめくった…

 

 

*  *  *

 

 

「ありがとう、日野さん。」

信武はチョコを受け取ると微笑みながらそう言った。

「いつも先輩にはお世話になっているので。」

「お世話? あっ…ああ、そうか…」

信武は少しガッカリしたようにつぶやいた。

「先輩?」

「いや、何でもないよ。嬉しいよ。ありがとう。」

「はい。では、失礼します。」

香穂子が目の前から去ると信武は一つため息をついた…

 

 

*  *  *

 

 

その様子を少し離れたところから見ていた蓮は微かに眉を上げた。自分はなんだってこんなところにばかり出くわすのだろう? 先ほどは香穂子が柚木先輩と火原先輩にチョコをあげているシーン、そして、その次は香穂子が一人音楽準備室に入って行くシーン、そして今は王崎先輩にチョコを渡しているシーン。

まあ複数の男性に渡しているのだからおそらくそれらはいわゆる義理チョコではないかとは思うものの、やはり自分が密かに思いを寄せている女の子が自分以外の男性にチョコを渡すところを目の当たりにするのは気持ちのいいものではない。それに先ほど屋上で確かに目があったのになぜあの時自分のところには持って来なかったのだろうか? それがいささか心にひっかかっていた。いや、案外目が合ったと思ったのは自分だけで彼女からは逆光で自分のことが見えなかったのかもしれない。そう思おうともするのだが、その後急に彼女が屋上からそそくさと去って行ったことを考えるとその考えもすぐに揺らいでしまう。

チョコを渡す女の子もドキドキしているだろうが、そのチョコをもらえるかどうか待っている男心の方はもっと穏やかではない。自分から「くれ」と言うわけにもいかないし、好きな女の子が来てくれるのをただただひたすら黙って待ち続けるしかないのだ。その時間たるやもう何百時間にも何千時間にも感じられる。

日ごろクールだと人に評される蓮とて例外ではなかった。

蓮はまったく練習することが出来なかったヴァイオリンをケースにしまうと音楽室を後にした…

 

 

*  *  *

 

 

「よう!」

音楽校舎から普通科校舎に向かう渡り廊下で香穂子は突然誰かから声を掛けられた。

「土浦くん! あっ、ちょうどよかったv」

香穂子はそう言うと紙袋の中に手を入れ、比較的大きな包みを一つ取り出すと

「はい、これ。」

と言いながら、梁太郎に手渡した。

「へぇ〜、おまえからもらえるとは思わなかったな。」

そう言いながらも梁太郎は嬉しそうにその包みを受け取った。

「ちょうど腹減ってたんだ。開けてもいいか?」

「うん、いいよ。」

香穂子は明るく笑いながらそう答えた。

ちょっとるんるんしながら包みを開けていた梁太郎だったが、包み紙を取り去り、薄いフィルム越しに中味が見えると「うっ」と一瞬固まった。

梁太郎はチョコを持つ手を震わせながら、香穂子に聞いた。

「これ…」

「男らしくて、カッコいいでしょ? それを見て土浦くんにぴったりだと思ったんだ♪」

「おまえな〜」

梁太郎は思わず自分の頭に手をやった。

「この意味わかってんのか?」

「えっ? 義理と人情の“義理”でしょ? ほら、土浦くんって愁情系の曲が得意だし♪」

ニコニコしながら香穂子が答えた。

「・・・・・もしかして、おまえ、わざとか? それとも、天然か?」

「えー、どうして??」

そう言う香穂子の顔からは悪気などこれっぽっちも感じとれない。

「・・・・・天然か…」

梁太郎はそう小さくつぶやいた。

「えっ、なに?」

「いや、日野。ありがとよ。おいしくいただかせてもらう。」

「よかった〜 じゃあ、私、ほかの人にも渡しに行かなくっちゃならないから、またねv」

そう言うと香穂子は普通科校舎の方へ歩いて行った。

梁太郎はその後姿を見送ると、香穂子からもらったばかりのチョコを思いっきりバキッと折ると、そのうちの一片を口の中に放り込んだ…

 

≪後編へ続く≫

 
Rui Kannagi『銀の月』
http://www5d.biglobe.ne.jp/~gintuki/
 

[あとがき]

2005年のバレンタイン作品です。

それと同時にコルダ作品としてはサイトにUPした最初の

作品ということになりますね。すでに同人誌の方で作品

ほど書いているので、何か初めてという気はまったくしないのですが(笑)

 

くんが「甘いものは嫌い」と他の女の子のチョコを断っているところを目撃した香穂子ちゃん。あまりの衝撃に自分のチョコを渡せなくなってしまいました。一方なぜ自分にだけはくれないんだろうと悩む蓮くん…

さてさてこの続きはどうなるのでしょうか?

それでは、どうぞ続けて後編の方もお楽しみくださいvv

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