Semi-sweet Valentine's Day≪後編≫

 

「う〜ん、志水くん、森の広場にもいなかったな〜 もしかしたら、練習室かな?」

香穂子はそう言いながら音楽校舎の方へと引き返すところだった。

その時、運悪く正面から蓮が歩いて来るのが目に入った。

 

――うわ〜、こんなところで会うなんて〜 まだ対処法を見つけてないよ〜

 

この渡り廊下は一本道でどこにも逃げ場がない。ここで引き返すのもわざとらしいし、否が応でもすれ違わざるを得ない。蓮の方も香穂子に気がついたようで足を止め、声をかけようとした。

「日…」

だが、そんな蓮に香穂子は頭をペコっと一つ下げると足を止めるどころかそのまま猛スピードで蓮の前を歩き去った。

 

蓮は呆然とその場に立ち尽くした。どうやら気のせいではない。香穂子は自分のことを避けているんだ。コンクールの関係者に義理でチョコをあげているとすれば当然自分にもくれてしかるべきなのにそれさえも渡したくないと思っているのだろうか?

蓮の顔がみるみる青くなって来た。自分は何か彼女を怒らせるようなことでもしたのだろうか? だが、何も思い当たることはない。

 

――単に俺が嫌い…とか…?

 

自分の中から出て来た言葉ながらもそんなことを考えると何だか落ち込んで来る。それを一掃するためにはヴァイオリンに没頭するしかない。蓮は踵を返して、音楽校舎へと引き返して行った…

 

 

*  *  *

 

 

練習室棟の前まで来た蓮は練習室棟から出て来た香穂子の姿を見つけると、急いで練習室棟に駆け込み、思わずそばの練習室の扉を開け、その中に身を潜ませた。

 

――俺はなぜ彼女から隠れてるんだ?

 

もう一度香穂子に会って確かめるのが怖かったのかもしれない。本当に自分のことを嫌っているかどうか。

 

――俺はなんて小心者なんだ。

 

蓮はそんな自分に苦笑した。その時…

「先輩?」

「うわっ!!」

背後から声を掛けられて、蓮はびっくりして思わず声を上げた。

「し…志水くんか…」

その人物を確認して安心したのか、蓮はそうつぶやいた。

「すまない。この練習室は君が使っていたのか。では、俺は別の部屋へ行く。」

何とかつじつまを合わせるようにそう言うと、すぐさま外に出ようと蓮はドアの取っ手に手を掛けた。

「チョコレート…」

その言葉に蓮はギクッとして、その手を止めた。

「いくつもらいましたか? きっと先輩ならたくさんもらったんでしょうね。」

「あっ…ああ、みんな断っているんだ。俺は甘いものがあまり好きではないから…」

「そうですか? もったいないですね。せっかくくれるというのならもらっといた方がいいんじゃないですか?」

「もらう、もらわないは個人の自由じゃないのか?」

「そうなんですけど。でも、せっかく食べてもらうために誰かに買ってもらったチョコレートが食べられないまま終わるなんてかわいそうじゃないですか?」

蓮は桂一のそばに置かれている大きく膨らんだ二つの紙袋を見てギョッとした。

「し…志水くん、もしかして、それを全部君一人で食べるのか?」

「まさか。」

桂一はあっさりとそれを否定した。

「だが、食べ切れずに捨ててしまったらやはり食べられずに終わるわけだから、君の持論と矛盾しているのではないだろうか?」

「食べるんです。」

「えっ? でも、今、君は食べないと?」

「僕が食べるんじゃありません。僕の姉と妹が食べるんです。家に持って帰るとすぐさま二人にみんな取り上げられてしまいますから。」

「そ…そうか。」

「あっ、でも、これだけは取り上げられないようにしないと。」

そう言うと桂一は大事そうに手の平に乗った小さな箱を見た。

「これ、先輩がくれたんです。まさか僕にもくれるなんて思わなかったんで、嬉しくて。」

「先輩って?」

「もちろん日野先輩です。」

 

――後輩の志水くんにもあげたのか!? それなのになぜ俺には…

 

蓮は再びショックを受けた。

「そう言えば…」

そんな蓮に志水は思い出したように言った。

「なんだ?」

「先輩の紙袋の中にあと一つ包みが残っていたんです。あれ、誰にあげるのかな〜?」

「あと一つ?」

「大きな包みだったからあれって本命の人にあげるのかもしれないですね。」

やけに冷静にそう言う桂一に蓮が言った。

「君はそれで平気なのか? 君もチョコをもらったんだろう?」

「えっ? 僕は先輩からもらえただけで十分です。“もらえない人”よりはずっといいですから。」

その言葉を聞いて蓮は「うっ」と詰まった。

「練習の邪魔をして、悪かった。失礼する。」

蓮はあわててそう言うと、部屋を出た。

 

桂一のいた練習室を出た蓮はほかの空いている練習室を見つけるとその部屋に入り、あわただしくヴァイオリンを調弦するとすぐさま練習を開始した。だが、桂一の言った言葉が気になって練習に集中することが出来ない。

 

『あれって本命の人にあげるのかもしれないですね。』

 

――日野の本命の人っていったい誰だろうか? 彼女にそんな人がいたなんて。

まだ残っているということは柚木先輩でも火原先輩でもない。王崎先輩も

志水くんもすでにもらっているし、さっきチラッと土浦にあげているのも

見かけた。音楽準備室から出て来たということはおそらく金澤先生にもすでに

渡しているに違いない。となると俺の知らない奴なのか? いったい誰に…

 

そんなことを考えながら弾いていたら「ギィ〜」と自分らしからぬ音がヴァイオリンから飛び出した。

「ヴァイオリンは正直だな。」

蓮は苦笑した。そして、ヴァイオリンを静かに下ろした。

そして何気なく視線を上げた蓮の目に、いつ入って来たのだろうか? 桂一の姿が映った。桂一はジッと自分のことを見つめている。蓮はびっくりして一歩後ろに退いた。

「し…志水くん!? いつ入って来たんだ? いや、それより俺に何か用なのか?」

「さっき鞄を忘れて行ったので。」

「あ…ああ、ありがとう。」

そう言って鞄を受け取ってもなお桂一は一向に部屋から出て行く気配はなく、自分のことをひたすら見ている。

「ほかになにか?」

「先輩、音が乱れてますね。」

「そんなことはない。まだ練習不足なだけだ。」

「そうですか〜 その曲、そんなに難しい曲じゃないと思うんですけれど…」

「用が済んだら出て行ってくれないか? 練習の続きをしたいんだ。」

「日野先輩…」

その言葉に蓮はビクッとした。

「のことを考えていたんじゃないですか?」

「い…いや、なぜそう思うんだ?」

「僕の勘です。」

「勘…」

 

――するどい!

 

蓮は冷や汗をかいた。

「日野先輩なら森の広場にいるかもしれませんよ。先輩、あの場所が大好きだから。」

「だから、なんで日野なんだ?」

「いえ、別に。関係ないなら聞き流してくれて結構です。では、先輩、失礼します。」

桂一はそう言うとパタンとドアを閉めて出て行った。

 

蓮は再びヴァイオリンを構えたが弓を動かすことをせずにまたすぐにそれを下ろした。

 

――あんなことを言われると余計に気になるじゃないか!

 

蓮はそそくさとヴァイオリンと弓をケースにしまうと練習室を後にした…

 

 

*  *  *

 

 

桂一の予想はズバリ的中していた。香穂子は一人森の広場に来ていたのである。香穂子は大きな葉っぱが幾重にも生い茂る一本の大木の下に腰を下ろすと、紙袋から最後の一個の包みを取り出して、まじまじとそれを眺めた。

ほかのみんなに渡したチョコはすべて市販品だったが、この一個だけは初めて作った手作りチョコだ。形はもちろんハート型。しかもメッセージを描きたいと思ったので、かなりなビッグサイズだ。

香穂子はその包みを解くと中に入っていたチョコの箱を取り出し、その蓋を開けた。その上面にはでかでかと“Lenくんへ 愛を込めてv 香穂子より”と書かれていた。

 

「最初漢字で書こうと思ったんだけど、どうしてもつぶれちゃって上手く書けないんで、ローマ字で書き直したんだよね…」

その文字を見ながら香穂子はつぶやいた。

「ちゃんと“L”使って書いて…」

そう言う香穂子の目にはいつしか涙が溢れて来た。

 

『俺は甘いものは嫌いなんだ。それにもし受け取ったとしても君の気持ちに応えることは出来ないから。』

 

香穂子の頭の中に朝聞いた蓮の言葉が甦って来た。

「甘いものが嫌いな人にこんな大きなチョコを渡しても迷惑なだけだよね。それに…」

香穂子の目から涙がこぼれ落ちた。

「受け取ってさえもらえなかったらもっとショックだし…」

 

 

*  *  *

 

 

森の広場にやって来た蓮は広い広場の中を探し回った末、やっと香穂子のことを見つけ出した。すぐに声を掛けようと思ったのだが、なにやら香穂子は真剣そうに大きな箱の中身と睨みあっている。

 

――あれが、志水くんの言っていた最後の一個のチョコか? だとすると彼女は

あれを誰にも渡さないのだろうか?

 

蓮は香穂子が気づかないようにそっと香穂子の後ろに回り込んだ。そして、香穂子の手の中にあるものを覗き込んでハッとした。

 

 

*  *  *

 

 

しばらくすると、香穂子は決心したように両手で自分の頬をパンパンと叩いた。

「こんなの私らしくない! いいや、もう自分で食べちゃえ! 渡すことも出来ないし、その方がずっと潔いわ。」

そう言ってチョコを両手に持って今しもかぶりつこうとした香穂子の背後から突然声が聞こえた。

「それは困る。」

「えっ?」

その声に香穂子は振り向いた。

その隙に蓮は香穂子の持っている大きなチョコにパクリとかぶりついた。

「月森くん!?

香穂子はびっくりして叫んだ。

「それは君が俺のために用意してくれたんだろう?だとしたら、俺のものだ。」

蓮はそう言うともう一口チョコを食べた。

「で…でも、月森くん、甘いもの嫌いなんじゃ…」

「聞いていたのか?」

蓮はそれで納得が行った。なぜ彼女が自分だけにチョコを渡さなかったのか。いや、彼女はきっと渡せなかったのだ。

「確かに甘いものは得意ではないが…」

蓮は続けた。

「君が作ったものとなると話は別だ。『三つのロマンス第二曲』も『ロマンス 第一番』も君の作り出す甘い音楽はみんな好きだ…じゃなくて…ああ、俺は何を言ってるんだろう…」

蓮は赤くなった顔を隠すように手で口を覆った。

「それって、もしかして期待していいっていうこと?」

香穂子は目を輝かせてそう聞いた。

「ああ。だが…」

蓮は続けた。

「まだ俺は君の口から何の告白も受けてないが?」

「えっ? えっ? だって、チョコに書いてあったし…」

そう言ってチョコに目をやった香穂子だったが、蓮によってかじられたため“愛を込めて”の部分が判読不能の状態に陥っている。

「なんて書いてあったんだ?」

わざとらしく蓮が聞いた。

「意地悪! ちゃんと見たくせに!」

香穂子は抗議するような目でそう言った。

「俺は君の口から聞きたいんだ。」

その言葉を聞いて、香穂子は耳まで赤くなった。

「月森くんのことが好き…」

香穂子は蚊のなくような声でそう言った。

「ん? 聞こえない…」

月森くんのことが大好きです!

香穂子は今度は思いっきり大声で叫んだ。

それを聞いて蓮は満面の笑みを浮かべると香穂子を抱きしめた。

「俺もだ。」

そうして甘いムードに包まれて二人は…と本来ならなるはずだったのだが、二人は自分たちに向かってパシャパシャと焚かれたフラッシュの光でハッと我に返った。

「な…なに!?

「なんだ!?

当惑している二人に大きな拍手とともに「おめでとう」と言う声が聞こえて来た。

「は〜い、報道部の天羽菜美です。ここでずっと張ってたかいがあったわ♪ いいもの撮らせていただきました! 明日の一面はこれで決まりっと♪ じゃ、お二人さん、お幸せに〜」

「ちょ…ちょっと…」

そう言う香穂子の声を聞いたか聞かずか、菜美はブンブンと大きく手を振りながらその場から走り去って行った。

 

――志水くん、感謝♪

 

と心の中でつぶやきながら。

 

 

*  *  *

 

 

「まいったな…」

蓮が額に手をやりながらつぶやいた。

「天羽さん、止めて来ようか?」

そう言って立ち上がろうとした香穂子の手を蓮はあわててつかんで、引き止めた。

「いや、いい。これできっと君を狙う男たちもあきらめるだろうから。」

「えっ?」

香穂子はキョトンとした。

「知らなかったのか? コンクール参加者の男たちはみんな君のことを狙っていたんだぞ?」

「えっ? ええー!?

香穂子は心底驚いて目をパチクリさせた。

「本当に気がつかなかったのか? そういうことに疎い俺でさえ気づいていたのに。まあ、でも、それで助かったが。」

蓮は笑った。

「ひど〜い、それって私が超ニブイって言うこと?」

香穂子は少し頬を膨らませた。

「ああ。でも、そんな君が俺は好きだ。」

「月森くん…」

「あのチョコに書いてあったように下の名前で呼んでもらえないだろうか? 俺も香穂子と呼ぶから。」

「れ…蓮くん…」

「香穂子…」

再びいいムードになりかけて、思わず唇を寄せようとした蓮だったが、そこでハタと留まり、あたりをキョロキョロと見回した。去ったと思わせておいて、またどこに神出鬼没なパパラッチが潜んでいるやもしれない。

「香穂子、送って行こう。これからは毎日君を送らせてもらってもいいだろうか?」

「うん♪」

香穂子は嬉しそうに頷いた。

そして、二人はどちらからともなく手をつなぐと家路へとついた。

 

 

*  *  *

 

 

菜美は草陰からガサガサと顔を出してつぶやいた。

「う〜ん、もう! あと少しだったのに〜 残念。まあ、いいか。あのシーンだけでも特ダネには十分だもんね! うん! さあ、早いっとこ編集しなくっちゃ明日に間に合わないわ! 急げ急げ♪」

菜美は立ち上がるとるんるんしながら、報道部部室に向かって駆け出した。

 

 

*  *  *

 

 

そのころ、一人練習室でチェロの練習をしていた桂一はふと弓を止めると、胸ポケットから一枚の写真を取り出し、それを眺めて、ニコッと微笑んだ。

「先輩v」

そして、また大事そうにそれを胸ポケットにしまうと再びチェロを弾き出した…

 

 

*  *  *

 

 

そして翌日…

星奏学院校内新聞の特別号にはこう書いてあった。

 

大スクープ ヴァイオリン・ロマンスは実在した!

かねてより皆さんの関心を集めていた音楽コンクール優勝者

奇跡の普通科二年日野香穂子嬢のお相手がついに発覚!

そのお相手は何とあのクールビューティー音楽サラブレッドの

音楽科二年月森蓮氏。

二人はコンクール終了後も密かに愛を育みあっていた模様で、

今年のバレンタイン当日、森の広場で密会しているところを

記者に目撃され、そのことが明るみに出た。

この異色なカップル誕生はもうヴァイオリン・ロマンスの奇跡

以外あり得ない。皆さん、この学院が生んだ奇跡のカップルに

心からの祝福をv

 

そしてそこにはもちろんその証拠となる二枚の写真が

しっかり添えられていた。

 

   最後に…お二人ともお幸せに!

天羽菜美     

 

≪ 終わり♪ ≫

 
Rui Kannagi『銀の月』
http://www5d.biglobe.ne.jp/~gintuki/
 

[あとがき]

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

ふふふっ、もちろん最後はハッピーエンドですとも!

お二人とも本当にお幸せにv

後半はどういうわけだか志水くんが出張ってます。志水

くんについては今まで書いた小説の中で一度も登場した

ことがなくまったくの初書きだったのですが、いかがで

したでしょうか? 実はこの作品を書き始める前、「ネ

オロマンス・フェスタ6」のDVDを久々に見返してお

りまして、この二人で掛け合いをやらせてみたらさぞか

し面白いんではないかなぁと思い、この重要な(?)役割

を彼にまかせてみました。自分的には結構思うように動

いてくれたんじゃないかと思っています。

 

それからこのお話の中にはいろいろなチョコレートが出

て来ますが、皆さんはどれがお好みでしたでしょうか?

そんなところも含めて本当はこのお話は小説よりも漫画

で描いた方がより楽しくなるんじゃないかなぁと思った

のですが、なにぶん時間と画力がないもので、早々にあ

きらめました。ですので、もし、このお話を漫画化して

みたいという方がいらっしゃいましたら、大歓迎いたし

ますよ♪ 希望者がいらっしゃいましたら、ぜひぜひ立

候補してくださいな〜v(*^.^*)

 

この作品は2005年2月11日にコルダオンリー

  イベント「Romance Ensemble」で限定発売した同名

  同人誌に掲載されていた作品です。

  ≪すでに完売済≫

 

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