好きなのに…(前編)

 

「私、京に残ります。」

決戦を終え、花梨がそう言った時、その場にいた全員が驚き、そして喜んだ。

いや、ただひとりを除いては…

 

――誰のためにだ? 神子…

 

その言葉を聞いた泰継は複雑な面持ちで花梨を見た。そしてすぐに視線をはずした…

 

 

その日は、神子のことを気遣い、八葉たちも皆、早めに家路についた。

そして、戦いの疲れが残っているだろうとの紫姫の勧めもあり、花梨は早めに床に就いた。

 

――明日から本格的に京での生活が始まるんだ。

 

不安がないと言ったら嘘になる。今までのようにいつか元の世界に帰る…という

ただのお客様ではなく、京の人となるのだ。不安がないわけはない。

だが、それ以上にあの人と同じ世界で生きられる…その喜びの方が大きかった。

 

そして、いつしか花梨は眠りに落ちて行った…

 

チリン…花梨の頭の中に聞きなれた鈴の音が響いてきた。

そして、

「神子…神子…」

どこからともなく龍神の声が響いて来た。

「龍神様!」

花梨は嬉しそうに答え、そして満面の笑みで言った。

「本当にありがとうございます。京を救ってくれて。すべて龍神様のおかげです。」

「いやいや、神子の働きがあったればこそ。」

龍神はやさしく言った。

それを聞いて、花梨は真っ赤になって答えた。

「そんな、私なんてたいしたことはしてません。八葉のみんなが助けてくれたから。」

龍神はおもむろに頷いた。

 

しかし、再び顔を上げた龍神の顔は今までになく、厳しいものに変わっていた。

花梨はそれを見て、ちょっととまどった。

そして、龍神の口から発せられたのは、思いも寄らない言葉だった…

 

「神子、おまえは明日、元の世界へ帰らねばならぬ。」

 

「えっ…」

花梨は耳を疑った。そして、一瞬にしてその顔から笑みが消えた。

「どうしてですか? 私はここに残ります! そう決めたんです!!」

「しかし、それはできないことなのだ。」

「どうして…そ…そんな…」

それはやっと聞き取れるか取れないかというようなとてもか細い声であった。

「だって、龍神様、言ったじゃないですか!! 私が望めば願いは叶うって!!

 それなのに…」

「だが、それが決まりなのだ。」

白龍は落ち着いた声でそう言った。

「おまえが京に留まるためには八葉の思いが必要だ。おまえに京に残って欲しいと

 願う強い心が。その者がおまえにその胸のうちを告げ、おまえがそれを受け入れた

 時のみおまえはここに留まることができる。だが、おまえは共に戦いたいと願った

 すべての八葉の申し出を断った。ゆえにここに留まることはできぬ。」

 

その言葉を聞いて花梨の顔からみるみる血の気が引いていった。

そして、花梨の両の目からは涙がこぼれ落ちた。

 

それを見ていた黒龍が沈黙を破り、白龍に声をかけた。

「白龍よ。いくら決まりとは言え、いくら何でもそれではかわいそうではないか。」

そして、続けた。

「神子はよくやった。無事役目を果たし、京を救った。一度ぐらい機会を与えても

 いいのではないか?」

「うむ。」

白龍は黒龍の言葉を聞いてしばし考え込んだ。そして、

「わかった。では、一度だけおまえに選択の道を与えよう。今日より三日この地に

 留まることを許す。もし、その間におまえの望む八葉がおまえにここに留まって

 ほしいと強く願い、おまえがそれを受け入れれば、この京にとどまることを許そう。

 しかし、もし、三日の間にその者が思いを告げなかった時は…わかっておるな?」

「はい…」

花梨は唇をかみ締めて、そう答えた。花梨にはそう答えるしかなかった…

「そして、これにはもう一つ条件がある。決しておまえの方からその者に思いを

 告げてはならぬ。もし、相手が言う前におまえから告げた時はやはりこの地へは

 留まれぬ。よいな。」

「はい、龍神様。」

「うむ。では、期限は三日後の日没までだ。その時にまた会おう。」

そう言うと、白龍は小さな銀色の鈴を花梨に手渡した。

花梨はぼんやりと掌の中の鈴を見た。

そして、再び顔を上げた時には、二体の龍の姿はどこにもなかった…

 

 

気がつくと花梨はもとの褥に横たわっていた。

 

――夢だったのかな?

 

そうも思ったが、頬を伝わる涙と手の中に残る小さな鈴がそれが現実だと言うことを

物語っていた。

 

 

「神子様、神子様」

紫姫が花梨のもとにやってきた。

「起きていらっしゃいますか? 神子様」

「ああ、おはよう、紫姫」

紫姫は部屋へ入ってくるなり、花梨の真っ赤な目を見て、驚いた。

「どうしたのですか、神子様?」

「あっ…何でもないよ。ちょっと怖い夢見ちゃって…」

「そうなのですか? 大丈夫ですか?」

紫姫が心配そうに聞いた。

「うん、たいしたことないから。それより、紫姫、何か用があったんじゃ?」

「あっ、そうなのです。今日は新年の一日目ですし、神子様のおかげで京が救われ

 ましたので、夕刻に八葉のみなさんをお呼びして、ささやかな宴を開こうかと

 思いまして…」

紫姫はそう言ってから

「でも、まだ神子様にはお疲れが残っていらっしゃるご様子。後日改めての方が

 よろしいでしょうか?」

と聞いた。

「ううん、大丈夫。昨日は八葉のみんなとあまり話せなかったし、みんなに会って

 ちゃんとお礼も言いたいし。」

「わかりましたわ。それでは、準備いたします。」

紫姫は嬉々としてそう言った。

「何か手伝おうか?」

「いいえ。夕刻までまだ間がありますので、神子様はそれまでゆっくりお休みください。

 まだ疲れも残っておりますし。また、宴が始まる頃に呼びにまいります。」

「うん、わかった。じゃあ、そうさせてもらう。ありがとう、紫姫。」

「それでは」

そう言うと、紫姫は部屋を出て行った。

 

――八葉…当然泰継さんも来るんだよね。

  

――たった三日…

 

花梨は鈴を握り締めたまま龍神の言葉をかみしめていた…

 

 

 

夕刻、紫姫の館からは賑やかな声が聞こえて来た。

「ホント、花梨のおかげだぜ。あいつがいなかったらどうなっていたことか。」

「イサト、神子殿に失礼ですよ。あなたはもう少し言葉というものを学ばないと…」

「いいじゃん、いいじゃん。今日はお祝いなんだからさ。」

「幸鷹殿、イサトの言うとおりだよ。このような席でそのようなお説教をすると

 いうのも無粋だと思わないかね?」

「…そうですね、翡翠殿。」

「ところで、花梨はまだ来ないのか?」

勝真が聞いた。

「そうですね、遅いですね。」

彰紋も言った。

「ふふっ、女性は何かと支度がかかるものなのだよ。なあ、頼忠殿。」

「私にはそういうことは…」

その時、渡殿の方から花梨と紫姫の声が聞こえて来た。

「あっ、いらっしゃったようですよ。」

声を聞きつけた泉水がそう言った。

 

「ねえ、紫姫。やっぱりこんな格好おかしくない?」

「いいえ、今日は新年の宴もかねておりますので、やはり神子様にはきちんと正装

 していただかないと。」

「で…でも、恥ずかしいよ〜」

「もう、ここまで来たのですから、覚悟してください。」

「そんな〜」

 

花梨が部屋へ入ると八葉の視線が一斉に花梨に集まった。

「わぁ〜」

彰紋から声が上がった。

「綺麗です、花梨さん。とてもよく似合ってます。」

「うん。こうしてみると神子殿もなかなか…」

翡翠がうっすらと笑みを浮かべながらそう言った。

そして、泰継は…

ただ黙って花梨にくぎづけになっていた。

 

十二単姿の花梨は紫姫と深苑にうながされるまま、上座に座った。

花梨はチラッと泰継の方を見た。泰継は目を丸くして自分のことを見つめている。

恥ずかしさもあったけれど、泰継が自分を見てくれていることがとても嬉しかった。

 

花梨は八葉ひとりひとりの名を呼び、お礼を陳べた。最後に花梨は泰継に声をかけた。

「泰継さん、泰継さんにはいつもいつも助けられました。泰継さんが、いてくれたから

 神子として戦うことができた。本当に言葉では言えないくらい感謝しています。

 ありがとうございます。」

花梨は極上の笑みで、そう言った。

 

いつもなら花梨の笑みに泰継は笑みで返してくれる。だが…

「八葉として当然のことをしたまでだ。」

泰継は無表情にそうひと言言うと、すぐに視線をはずした。

 

――えっ?

 

いつもと違う泰継の反応に花梨はとまどった。

 

――どうして? 泰継さん…

 

挨拶が済むと、すぐに宴が始まった。お酒も振舞われ、みんなそれなりに盛り上がって

いた。みんなこぞって花梨と話をしようと次から次へと声を掛けて来る。それに花梨の

方もひとつひとつにこやかに答えた。

だが、泰継は一向に花梨のもとにやってくる気配がない。

隅の自分に与えられた座に座ったまま、ただひとり酒を飲んでいる。

花梨は、時折、チラッチラッと泰継の方に目をやったが、泰継は下を向いたままただ

酒を飲んでいた…

 

「誰を見ているのかな?」

翡翠が声をかけた。

「えっ!?」

花梨は驚いて振り向いた。

「私が話し掛けている時ぐらい私を見ていてほしいものだね。」

「ご…ごめんなさい。」

「いや、悪かったね。つい…。私の誘いは断られたが、神子殿がこの京に留まって

 くれるだけでも嬉しいよ。」

翡翠のこのひと言を聞いて、それまで忘れていたことを再び思い出し、花梨の顔が

一瞬曇った。

「どうしたのだね、神子殿?」

翡翠が聞いた。

「いえ、何でもないです。それより、何でしたっけ?」

花梨は無理に笑顔を作りながら翡翠に聞き返した。

翡翠はそれ以上は追求せずに、また話を始めた…

 

 

 

そんなふたりの様子を泰継はじっと見ていた。

 

――神子が選んだのは翡翠なのか?

 

ふと杯に目をやると、そこには琥珀の双眸の自分が映っている。

 

――人となったがために、このような苦しみに耐えなければならぬのか…

 

泰継は口をつけずに、杯を置いた。

 

 

 

花梨がまた泰継の方に視線を向けると、そこには泰継の姿はなかった。

「ねえ、紫姫、泰継さんは?」

「ああ、体調がすぐれないとかで、ついさっきお帰りになりましたわ。」

「帰っちゃったの!?」

「神子様?」

 

――泰継さん、どうしたの? あと2日しかないのに…

 

「神子様、どうかなされたのですか?」

紫姫がまた心配そうに声をかけた。

「ううん、何でもない。紫姫は心配性だね。」

花梨は笑顔を作って、そう答えた。

素直な紫姫は花梨のその言葉を聞いて、ホッとして微笑み返した。

 

――いけない、いけない。みんな私のために集まってくれたんだもん。

  私が暗い顔をしていちゃ…

 

主賓が宴を抜けるわけにもいかず、泰継のことが心に引っ掛かりながらも、

花梨は宴の席でつとめて笑みを浮かべながらみなと楽しんでいるそぶりをみせた。

だが、その心の中は…宴の賑やかさとうらはらにどんどん沈んで行った…

 

 

紫姫の館を後にした泰継は、ふと足を止めた。

そして、振り返り

 

「神子…」

 

とひと言つぶやいた。

 

――あの隣にいるのが私であれば…だが…

 

泰継は視線を落とした。

 

――私などが願ってはならぬことだ…

 

そしてそのまま踵を返すと、また歩き始めた。

 

《つづく》

 

Rui Kannagi『銀の月』
http://www5d.biglobe.ne.jp/~gintuki/

 

 

[あとがき]

『決戦の朝−泰継』の続編です。恋愛イベント最終段階を迎

えないままエンディングになってしまった花梨ちゃんの試練

が始まります。長くなりそうなので、ここらで一旦切りまし

た。前編・後編で終わるのか、それとも中編が入るのか、今

のところまだ私にもわかりません。

でも、この泰継さんを見ているとちゃっちゃと言っちゃいな

さいと我ながらイライラします。ほらっ、花梨ちゃんが待っ

てるよ。泰継さん、勇気を出して! 花梨が待っているのは

君だよ、君! でも、後編まで引っ張るんだな、これが…

 

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