追儺祭

 

――鬼やらいぃ……鬼やらいぃぃ――

かけ声が響く。
京の街に新しい年が訪れようとしていた。

年の瀬を締めくくる行事…追儺祭が行われている内裏では皆が忙しく立ち働いていた。
いまや安倍晴明と並んで京で最も忙しいといわれる陰陽師――安倍泰明もまた
例外ではなかった。

大体数が多すぎる――

泰明は小さな物の怪の類をさっと祓いながら不機嫌そうな顔をした。
次々と物陰から現れるそういったもの達を
式と手分けしつつ祓っているのだが一向にきりが無い。

神子と共に封印した怨霊に比べれば全くくだらない――

八葉として神子と共に戦った手強い怨霊たちも今はみな封印されている。
そしてかつての龍神の神子――あかねは泰明の妻として共に暮らしていた。
事務的に作業を続けながら泰明はひとり家に残してきたあかねに思いを馳せた。



『だって…今日はすごく忙しいんでしょう?だったら…!』

『だが、本当に不便は無いのか?』

『私は泰明さんや晴明様みたいに式さんに何かを頼む習慣は無いもの。全然平気!』

『わかった。ではここの式はみな連れて行くが…本当に大丈夫なのだな?』

いつまでも不安そうな表情をしている泰明の首に両手を回すと
軽くその頬に口付けてあかねは安心させるように微笑んだ。
泰明はあかねをぎゅっと抱き寄せるとその耳の下に口付けを返しながら囁いた。

『………何か有ったら私を呼べ。』


あかねは今頃何を思っているのだろう。
手を止め物思いに耽っている泰明を傍らの晴明が面白そうに見つめていた。



         ☆



「………やっぱり、ひとりくらい置いていってもらえばよかったかな…。」

元々現代にはいなかったもの――式――の存在がいつの間にか
こんなに大きくなっていた事にあかねは驚いていた。
泰明の仕事を手伝わせる為に全ての式を連れて行かせたのはあかねだったのだが
先程からなんとなく心細くて仕方がない。
寂しいというよりはなぜか不安がひしひしと押し寄せてきていた。

「京の夜って静かだからかな…って言うより…なんか寒いような……。」

あかねはぞくぞくとする身体を両手で抱きしめた。

「泰明さん…寒くないかな。」

帰ってきたら温めてあげよう♪

そんな事を考えながら「ふふ」と笑みをもらした時
先程の寒気がいっそう強くなった気がした。
すっと一陣の風が吹き込んで来た次の瞬間
あかねの周りを冷気が取り囲んでいた。



          ☆



丑寅の方角から妖しの気配がする。
泰明はぴたりと足を止めると眉をしかめて傍らの師匠を振り返った。

「…お師匠……!」

「うむ…。どうやら我々の不在をいいことに
 好き勝手しようとしているヤツがいるようだな。
 全く、油断も隙も無いものだ…。」

「何を悠長な事を!あれは家のほうだ…!
 家には…家にはあかねがひとりでいる……!!!」

後は頼む!と言い残して走り去った弟子の後姿を見送りながら
晴明はふっと笑みをもらした。

「あの神子殿なら心配はいらぬとは思うが…。
 ……お前、泰明の姿になって代わりをしておけ。」

少年の姿をしていた式がたちまちのうちに泰明と瓜二つの姿に変わる。
晴明は何事も無かったかのように式と共に再び京の街を歩き始めた。



          ☆



「こ、これって怨霊…よね………?」

あかねは目の前でみるみるうちに恐ろしげな表情の女房姿になっていく気体を見つめていた。

『…そなた……龍神の神子だな……』

「あっ…え、えと……今はもう違うけど…。」

『今日は追儺祭……ここのものは皆出払っているのであろう…
 我が名は松葉。祓われる前に逃れてきた……』

「って…あの…一体どうして…?」

『………………申し訳ないが…そなたの中に入らせていただくぞ…』

「えええ!?」

あかねはみるみるうちに近づいてくる怨霊を前に必死で泰明を呼んでいた。

(泰明さん!泰明さん!!来て〜〜〜っっっ)



            ☆



「あかねの声が!」

自分を呼ぶあかねの声がはっきりと頭の中に響いてきた。
家まで後少し。

「あかね!待っていろ!」



            ☆



怨霊の手があかねの胸のあたりから滑り込んできたとき
あかねの意識はすでに朦朧とし始めていた。

『…あかね!』

遠くなっていく意識の向こうの方から泰明の声がする。
それと同時に流れ込んでくる切なげな想い――

(これは……この想いは誰の……?)

そう考えた時、目の前が明るく光り
そこにはあかねを庇うようにして立つ泰明の背が見えた。

「泰明さん!」

「大丈夫か?あかね!」

あかねに取り付こうとしていた怨霊は引き離され天井近くに浮かんでいた。

「よくもあかねをっ……急急如律令…。」

先程までの恐ろしげな顔と打って変わって
松葉と名乗る怨霊は切なげな表情を浮かべていた。頬には一筋の涙さえ伝っている。

『…生前はずっと物陰から拝見するだけ……一度くらいは声をかけて欲しいと思っていたのに……
 初めて聞く声が調伏の声とは……』

あかねの胸がズキンと痛んだ。
先程、意識が朦朧とした時に感じた想いはこの怨霊のものだったのだ。


一度だけでもあの方に声を掛けて欲しかった
その手に触れてみたかった
龍神の神子の中に入り込めば叶う筈だった………!


「泰明さん!呪符退魔しちゃダメーっ」

「……神子!?何を言う。」

(泰明さんには聞こえないんだ。この怨霊の声…。)

その怨霊が先刻一瞬といえどもあかねと重なった為か
それとも怨霊であろうが無かろうが
あかね以外の女性には全く興味の無い泰明の意識のせいか――
その悲しげな声はあかねには聞こえてもどうやら泰明には届いていないようであった。

「泰明さん…お願い……その女房さんの手を握ってあげて…。」

「あかね!?」

(だって…松葉さんの気持ち…よくわかるんだもん…。)

あかねの瞳に促されて泰明はその物の怪に向かって静かに手を差し出した。

『…………!』

「……お前は…!…馬鹿な事をしていないで行くべき所へ行け…。」

泰明の手から光が溢れ出る。
その手に触れたとたんに松葉姫の身体は金色の光につつまれた。

『…初めて…私自身に声をかけていただけた……』

松葉姫の目から再び涙が流れ落ちる。
姫は消える間際にあかねの方を向くと小さな声で『ありがとう…』と呟いた。



「……行ったようだな…。触れてみてわかったが…あれは陰陽寮の松の木の精だ。」

「そうだったの?…ずっと泰明さんを見ていたんだよ。」

「先日枯れてしまったのだが…神子にはあの怨霊の声が聞こえたのか…。」

「……だって、私も…」

「…?」

「私もこうして、龍神の神子として泰明さんと出会わなかったら……。」

「神子?………なにを言っているのかわからぬが…」

そこまで言うと泰明はあかねの身体を引き寄せた。

「いつ、どこでどのようにして出会おうとも…!
 ……私はあかねに惹かれていただろう。あかね以外は考えられぬ。」

「泰明さん…。」

「私はお前のその魂に惹かれたのだから。……忘れるな…。」

「うん…。」

泰明の唇が重なった。
瞳を閉じて泰明の想いを受け止めているあかねの頬に
ひやりと冷たいかけらが落ちてきた。

「きゃ…雪…?」

巻き上げられたままの御簾から二人で外を眺めると
いつの間にか庭が一面うっすらと白くなっている。

「新しい年が始まったな。」

「…うん。」

ぶるっと身体を震わせたあかねを泰明が背後から抱きしめた。

「温めてあげようと思ってたのに…反対になっちゃった…。」

「いや…私も十分温もりを貰っている。…この心に。」



            ☆



「では…神子殿のほうが冷静で上手だったということだな。」

「そ、そんな事無いです…。」

晴明の言葉にあかねは頬を染めながらうつむいた。
泰明は正月早々仕事に出ていた。
『金輪際、お師匠に後を頼む、などという事はしない!』
と文句を言いながら。
その度に見返りとしてこんな莫大な量の仕事を押し付けられたのでは割に合わない。

後に残されたあかねは晴明に呼ばれて話し込んでいた。

「たまたま…あの松葉さんの気持ちがわかっちゃっただけなんです……。」

「そういう感覚は大切なものなのだよ。
 あの泰明も連理の賢木とは話せるくせに、自分に想いを寄せるものとなると
 人であっても精霊であっても無頓着でいけない。」

「そのせいで松葉さんの声が聞こえなかったんですね。
 松葉さん…幸せになってくれるといいなぁ。」

その言葉に晴明がにやりと笑みを浮かべた。

「あー、神子殿。心配は要らないよ。
 松葉の想いは泰明に触れた瞬間に浄化されたのだから。」

「そうなんですか?」

晴明様にはなんでもわかるのね〜と感心しているあかねに
ひとりの式がお茶を持って現れた。

「…!ま、松葉さんっ!!?」

「先日は失礼いたしました。私、晴明様の式としてお使えする事になりました。
 どうぞよろしくお願いいたします。
 …あ!大丈夫です。泰明様への想いはもう残っておりませんから。ね?」

と、晴明に向けてにっこりと微笑むと、松葉は下がっていった。
あかねの無言の視線を感じて晴明が言う。

「いや…まあそういうことだ。私の好みだったのだよ。」

満足そうに微笑む晴明を後にあかねは自分の対に戻って行った。




「ぷっ…!」

部屋に戻ったあかねは思わず吹き出していた。

全く、晴明様って油断ならないというか何というか…!

でもきっと私も木の精か何かに生まれていたら
泰明さんとああして暮らしたかもしれない。

遠くから泰明の足音がする。

「あ。帰ってきたんだ♪泰明さ〜ん。」

「あかね…!正月から寂しい思いをさせてしまったな。」

不意に抱きしめられる。
その腕の温かさを感じながらあかねは泰明の言葉を思い出して幸せを噛み締めていた。



――いつどこでどのようにして出会っても
  私はあかねの魂に惹かれていただろう――

                       終


by 安樹
月の光:http://homepage2.nifty.com/anje/

 

≪安樹様コメント≫

泰明さんってあんなに素敵なんだから絶対にそっと思いを寄せている女性の(もしくは精霊の)
10人や20人くらいいただろうな〜と思った時にこんな話を思いつきました。
もしかすると神子ちゃんだってその中のひとりだったかも知れない…。
そんな風に相手を思いやれる神子ちゃんであって欲しいしみんな幸せになって欲しい…
そんなお話のつもりです。
みんなに素敵な新年が訪れますように…^^

 

[涙のひと言]

ひと目で気に入り、『月の光』の安樹様より速攻でいただいて参りまし

たフリー創作です。

松葉さんの気持ちよくわかるわ〜。それにその気持ちを知ったあかねの

やさしさ、あたたかさ。とっても素敵なお話です。ラストのお師匠様も

お師匠様らしいというか何というか、とってもいい味を出しているし、

泰明さんとあかねちゃんはラブラブだし、もう何もかもがツボに入りっ

ぱなし! こんなお話をフリーにしてくださった安樹様に感謝×2!

安樹様ステキなお話ありがとうございました。

安樹様のサイトへは『リンクのお部屋』からどうぞ

 

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