蝶の紡ぐ夢

 

辺りに広がる空気はまだ冷たいながらも、降り注ぐ日差しはやわらかくなっているように思える。
龍神の神子であった花梨が、京を救ってからすでに三月。少しずつながらも確実に春の気配が近づいてくるのが感じられる。
左京八条の屋敷の中、千歳はそっと片手で御簾をあげ、庭を眺めた。
京の季節が巡っていく。庭を飾る紅葉が雪へと姿を変え、やがて桜へと移り変わってく。ごく当然の時の流れ。
花梨の存在がなかったならば、自分はあのまま京の在るべき姿を歪め続けていただろう。
そして、自分達兄妹は、わかりあえることなく敵対していただろう。京を救いたい、その思いが同じだと気づかないままに。
孤独しか見ず、今に絶望していた自分。そこに花梨の存在が光を投げかけた。暖かい光。
京だけでなく自分をも救ってくれた彼女のためにできること、それは彼女の選んだ道が幸せに続くように願うこと、安らぎを見守ること。
千歳はふと、右手を胸の位置まで持ち上げた。その手の中から二匹の蝶が生まれ出でる。
淡い光のようなそれは、ふわふわと飛び何処かへと消えていった・・・

春がすぐ近くまでやってきていることが、差し込む日差しから、あるいは吹き来る風から自然と感じ取れる。
そう時を置かずして、その風の中に春の花々の香りが漂うことになるのだろう。
弾むような気持ちで視線を庭へと向けた花梨は、ふわりと舞う一匹の蝶の存在に気がついた。
辺りの景色に溶け込まない、凛とした存在感を放つ様子は、とても普通の蝶とは思えない。花梨は小さく首を傾げた。
「蝶・・・?」
蝶はじっと、空の一点に留まったまま、どこへも行こうとはしない。その様子はまるで自分を呼んでいるかのようだ。
「一緒に来てって言ってるの?」
花梨のその問いを肯定するかのように、蝶は花梨が歩み寄るのを待ちながら、少しずつ先へと飛んでいく。
近寄っては遠ざかり、再び近寄ってはまた遠ざかる。それを繰り返しながら、蝶は花梨を何処かへと導いていく。
四条、三条・・・そのまま、花梨は左京四条の屋敷からずっと北の方、火之御子社へと辿り付いた。人気はなく、辺りにはただ静寂が広がっている。
「火之御子社?ここに何かあるの?」
問い掛けた途端、強い強い風が吹き、どこから運ばれたというのだろうか。埋もれそうなほどの桜の花びらが視界を閉ざした。
まだ桜の時期には早すぎる。これほどの桜吹雪が存在するはずはなかった。
ようやく視界の自由を取り戻したとき、花梨の目の前には幼い二人の少年の姿があった。
声は全く聞こえない。それでも、負けん気の強そうな二人の、その幼い顔に残る面影を間違えようもなかった。
「勝真さんと、イサトくん!?」
声に出した途端、ぐにゃりとその幻は歪み、そして歪みが正されたと思った途端、恐ろしいほどに鮮やかな赤い色彩が目の前を埋め尽くした。
勢いよく燃え盛る炎が、全ての風景を飲み込んでいく。声は聞こえないというのに、人々の叫び声が聞こえるような気がした。
(勝真さんが言っていた八年前の大火・・・)
そして、真っ暗な、今にも炎に取り込まれてしまいそうなその場所で、震えながら一人泣いている子供の姿。それは・・・
「勝真さん・・・」
炎はゆらゆらと暗い影を落とし、涙に濡れた勝真の幼い横顔を照らし出す。
両手を差し伸べて、花梨は勝真を抱きしめた。
勝真の中の最も辛い記憶。仕方のないことわりきることも、何もなかったかのように忘れることもきっとできはしない。
だから、その痛みを包み込める存在でありたい。
辛い記憶も、そこにある痛みさえも勝真を作ってきた一部であるならば、その時間を分かち合いたい。
全ての過去は現在の勝真へとつながり、だからこそ自分はこうして彼とめぐり合うことができたのだ。
「大丈夫だよ、勝真さん」
花梨の腕の中、ふわりと、光に溶けるようにして幻は消えた。
「大丈夫だよ」
勝真の中の暗闇。その場所に光を投げかける存在でありたいと願う。花梨はその願いを込めて囁いた。
そして・・・消えた後には、一番会いたいと願うその姿。
勝真は、社の傍の木に寄りかかるようにして座り、瞳を閉じていた。そのまま、動く気配は感じられない。
(眠ってるのかな?)
ゆっくりと歩み寄った花梨は、その場に膝をついて、勝真の顔を覗き込んだ。
「勝真さん?」
呼びかけてみても返事はない。花梨は小さく笑みをこぼした。
考えてみれば、こんな風に勝真の寝顔を見ることなど今までなかった。
(そっか。こんな風に眠るんだね)
花梨はそのままじっと、勝真の顔を見つめた。
もっとずっと一緒にいていろいろなことを知りたい。自分の幸福は、勝真の元にあるのだと、そう思える。
別の世界へ続くはずだった時間の全てと引き換えにしても、その幸福を手放すことだけはできない。
花梨は膝をついたまま、勝真に近寄ると、そっと閉じたままのその瞼に唇で触れた。
ほんの一瞬だけ。すぐに離れようと体を起こす。
けれどその途端、力強く腕をとられて抱きしめられた。
驚いて顔をあげると、勝真はからかうような笑みを見せて、こちらを見つめている。
「か、か、勝真さん!?起きていたんですか!!」
腕の中で慌てて暴れる花梨をぎゅっと抱きしめたまま、勝真は堪えきれないという風に笑いをこぼした。
「ああ、途中からな」
「だったらそう言ってください〜〜」
花梨はあまりの気恥ずかしさに、手足を動かして、勝真から逃れようと懸命にもがく。
顔を耳まで赤くして抗議する花梨の様子にやさしい笑みを見せて、勝真はもう一度花梨を抱き寄せた。
声を落とし、ただ囁くように告げる。
「夢を見ていた」
「夢?」
「暗闇に取り残された俺に、おまえが道を示してくれた」
それ以上、何も言わずに勝真は花梨を抱きしめた。
京に残ると花梨が決めた今、儚く目の前から消えてしまうことはない。それでも、手放しがたいとそう思う。
例え一時でも、この手を離すことができると何故思えたのだろうか。
離れることなどない。諦める必要もない。共に在りたいと願うこの想いは、全てを乗り越えて行けるほど強いものであるはずだから。
幸せにしてやりたい。幸せになりたい・・・傍にいたい。
消えることのない願い。そして、そう願うとき、胸の中には幸福感が満ちていく。
「あの痛みは忘れられない。いや、忘れる必要なんかないんだ」
痛みと向き合うことを怖れ、ただ後悔を重ねるだけの日々に、花梨は光を投げかけた。
進むべき道は閉ざされてなどいない。幾筋もの道が広がっていると気づかせてくれる。道を選び取り、進んでいく勇気を与えてくれる。
か細いはずの両腕が、いつも自分の背中を押してくれるのだ。
「約束しよう、ずっと傍にいる・・・もう二度と離さないからな」
勝真はそっと、花梨がそうしたように、瞼に唇で触れた。
そして、頬を朱に染める花梨に次の瞬間、からかうように明るい笑みを見せた。
花梨が首を傾げるより速く、手首をつかんで引き寄せると唇を閉ざした。
やがて、一時だけ解放すると、唇がふれる寸前の距離で笑みを浮かべたまま告げる。
「それに、離れたいっていっても、もう聞かないぜ?」
そして勝真は言葉通り、花梨を抱きしめたままゆっくりと唇を重ねた。

 

SAK様『Aerial beings』

http://amdsak.hp.infoseek.co.jp/

 

≪SAK様コメント≫

サイト三周年記念として書かせていただきました。
三周年記念ということで、なんとなく「時間」をテーマにしたものを書きたいなと考えて作った話です。
その人を形作るための時間の流れっていうんでしょうか?
あの時に読んだ本だったり、会った人だったり、何かの出来事だったりとか。
はっきりと形に残らないにしても、確実に影響受けていたりするんですから不思議です。

えっと、舞台が火之御子社なのは、勝真さんが天罰覿面で熱を出した思い出深い社ということで(笑)
理由になってないって・・・
 

[涙の一言]

SAK様のサイトでサイト開設3周年記念作品としてフリーで

配布していたものを頂戴してまいりました。

勝真さんの過去も現在もすべてを受け入れて、やさしく包みこ

んでしまう花梨ちゃん…花梨ちゃんが見た子どものころの勝真

さんは千歳の願いによって龍神が少しの間だけ垣間見せた幻で

しょうか?

そんな花梨ちゃんを何よりも大切に思っている勝真さん。

二人が離れることは決してないでしょう。

それにしてもSAK様の書く勝真さんはいつも積極的ですな。

彼からこんなことを言われた日にゃあ、もう花梨ちゃんはめろ

めろになってしまうこと間違いなしです!(^。^)

SAK様、ステキな創作をありがとうございました。

           *  *  *

このお話はまたSAK様が作っていらっしゃる同人誌『蝶の紡

ぐ夢』にも収録されております。こちらの方では、ゆうこ様が

素敵な挿絵も描いていらっしゃって、さらに素敵な世界を展開

しておりますので、ご興味のある方はSAK様のサイトのサー

クルコーナーをご覧くださいませ♪

 

SAK様のサイトへは『リンクのお部屋』からどうぞ

 

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