やさしい痛み

 

「きゃっ!」

あかねは急に目の前に飛び出して来たものに驚いて、尻餅をついた。

「どうしたのだ、神子!?」

後ろを歩いていた泰明は、あかねの声を聞き、慌ててあかねのもとへ駆け寄って来た。

そして、尻餅をついたままその場に座りこんでいるあかねを見て、ため息をつきながら、

言った。

「まったくおまえは神子としての自覚が足りぬ。だから、意味もなく駆けるなと言った

 のだ。」

「だって〜 泰明さ…」

そういつものように言いかけたあかねだったが、目の前のものが視界に入って、思わず

言葉を止めた。

「小鹿? えっ、この子!?」

あかねはそれを抱き上げた。まだ生まれたてのようなとっても小さな小鹿…罠から逃げ

出してでも来たのだろうか、その小さな存在は、胸のあたりから足にかけて血でべっとり

と濡れていた。

「ひどい怪我をしているじゃない!? かわいそうに… 泰明さん、早く館に戻って、

 手当てしてやりましょう!」

「無駄だ。」

「えっ?」

泰明の言葉にあかねは一瞬ドキッとして、泰明の方を見た。

「そのものの命の火はまもなくつきる。連れ帰っても館まで持つまい。」

「そんな…」

あかねは再び腕の中の小鹿を見た。小鹿は荒い息をしながらも、必死に苦しみに耐えて

生きようとしている。

「だって、この子、まだ生きてるんだよ? そんな見捨ててなんかいけないよ!

 走って行けばなんとかなるかもしれない!」

「神子!」

あかねは泰明の制止を振り切って、小鹿を抱いたまま駆け出した。

だが、揺れると傷に響くのか、小鹿の息はますます荒くなり、苦しそうにうめき声を

上げた。

それを聞いて、あかねは慌てて足を止めた。

そして、地面に膝をついて座り、小鹿をできるだけ楽な姿勢にしてやった。

あかねの腕の中で小鹿はまだ苦しそうに荒い息を立てている。

「いたずらに苦しめても仕方ない。」

追いついた泰明が声をかけた。

そして、小鹿に手をのばそうとしたが、あかねはそんな泰明から小鹿を隠すように

かばいながら

「だめーっ!!」

と叫んだ。

そんなあかねの耳に先ほどよりは幾分和らいだ小鹿の息づかいが聞こえて来た。

「小鹿ちゃん?」

そう言って小鹿を見ると、小鹿は目を潤ませてあかねをジッと見ていた。

そして、あかねの頬をペロッと一舐めすると静かに目を閉じ、そして…

そのまま動かなくなった…

あかねはハッとして、小鹿に声をかけた。

「小鹿ちゃん…」

だが、腕の中の小鹿からは何の反応もない。

「小鹿ちゃん! 小鹿ちゃん!」

あかねは小鹿を揺すりながら何度も何度も呼んだが、やはり返事はなかった。

「命がつきたか…」

泰明はそう言うと、あかねの横に来て、立て膝をついた。

「この子、死んじゃったの?」

あかねは震える声で泰明に聞いた。

「そうだ。」

泰明はいたって冷静にそう答えた。

「だって、まだ温かいよ、この子…」

あかねはその小鹿をギュッとその胸に抱きしめながらそう言った。

「やがて、冷たくなって来る。さあ、気はすんだはずだ。行くぞ、神子。」

あかねは泰明の方をキッと睨むと、言った。

「目の前でこんなちっちゃな子が死んじゃったんだよ! 泰明さんは何も感じないの!?」

「私には心がないから…」

「泰明さんのバカーッ!!」

あかねはそう叫ぶと小鹿を抱いたまま立ち上がり、再び駆け出した。

だが、数メートルも行かないうちに木の根に足をとられて転んでしまった。

辛うじて起き上がったあかねだったが、その目には涙が滲んできた。

一度流れ始めた涙は止まることなく流れ続けた。

小鹿が自分の腕の中で死んだことももちろん悲しかったが、それにもまして泰明が

それをさも当たり前のことのように平然と受け止めていることが、余計に悲しかった。

 

――泰明さんのバカ…

 

あかねは小鹿を抱きしめたまま泣き続けた…

 

そんなあかねの視界が急に遮られた。

 

――な…に…?  

 

  

見ると泰明の左手が自分の両目を覆っていた。

「泣くな。」

泰明が言葉を発した。その声は先ほどの冷静な声とは違う。もっとこう…

「おまえが泣くと胸が痛くなる。」

「泰明さん?」

「おまえの泣く姿を見たくない。」

そう言う泰明の声はとてもやさしかった。

 

あかねの涙はすぐには止まらなかった…

だが、その心の中には先ほどとは違う何かが少しずつ広がって行く…

二人を取り囲む木々からは、あかねの涙に呼応するように真っ赤に染まった紅葉が

後から後から降り注ぎ、二人をやさしく包んでいた…

 

やがてあかねが泣き止むと泰明は静かにあかねの目を覆っていた手をどけて、

そして、言った。

「おまえの手でその小鹿を埋めてやれ。そうすれば、きっと安心して次の世に

 旅立てる。」

「うん…」

あかねはまだ涙の乾き切らない目で泰明を見て、小さく頷くと、そばの土を掘り

始めた。泰明も何も言わず、横からそれを手伝った。

二人で小さな墓穴を掘るとそこに小さな亡骸を葬った。

あかねがその前で手を合わせて拝むとその今出来たばかりの小さな塚からボーッと

小さな煙が立ち昇った。

「神子、見ろ。」

泰明があかねに言った。

「おまえの祈りに乗って、旅立って行く。」

あかねが泰明に言われて、合わせていた手をそっと離し、目を開けると、フッと

その煙は形を取り、あかねを包み込むと、名残惜しそうにあかねの手の中にしばし

留まってから、やがて、天から差し込む一条の光とともに天へと昇って行った…

 

それを見送ったあかねはとてもやさしい気持ちに包まれた。

そして、それは心がないはずの泰明の胸にも…

 

――これは、何だ!? この胸に溢れて来るものは? だが、とても心地よい

  これはいったい…

 

そんな二人を降り注ぐ紅葉だけがそっと見守っていた…

 

 
Rui Kannagi『銀の月』
http://www5d.biglobe.ne.jp/~gintuki/

 

[あとがき]

越後屋まじん様のサイトの“トップ絵イメージ創作

企画応募した作品です。まじん様の超絶素敵な

ツーショット画をぜひGETしたくて、応募してし

まいました。

そのトップ絵とは、この中の挿絵に使わせていただ

きましたこの泣いているあかねちゃんの目に目隠し

をしている泰明さんの図であります。これを見て、

あかねちゃんが何故泣いているのか、泰明さんはど

ういう経緯で目隠しをしているのかを創作にしてく

ださいという企画でございました。


この際、ゲームの中の季節は無視してください。
季節は秋ですが、内容としては恋愛イベントの第一

段階が終わったばかりのころぐらいだと思っていた

だきたいと思います。あかねちゃんの目を覆ってい

る泰明さんの表情が私にはまだ人間としての感情を

ちゃんと持つ前に見えたので、こういう設定にして

みました。それでいて、ちょっとやさしさを含み始

めている?というふうに感じました。
この話の中に“北山”という文字は出て来ませんが

紅葉は北山の紅葉に見えました。そして、山といっ

たら動物! そして、紅葉で動物といったら鹿!

(何でかは考えてみましょう。書いちゃうと話の

 雰囲気がぶっ壊れるかもしれないので、あえて

 ぼかす・笑)

というわけで(どういうわけだ?)まじん様の絵

拝見してすぐに思い浮かんだのが、このお話です。

実はばらしてしまいますとこのぐらいの表現でも、

今夏に旅立った愛犬JONJONのことを思い出し

て、不覚にも書きながら、自分で泣いてしまいまし

た。(^-^ゞ
月日が経ってもやっぱりダメなんですね…

なんかしんみりしてしまいましたが、この小さな動

物の死を通して、泰明が得たものはきっと大きかっ

たことでしょう。そして、そんな出来事の積み重ね

が泰明に徐々に人間らしい感情を与えて行くに違い

ありません。

まじん様、こんな作品ですが、どうぞお受け取りく

ださいませ。 

 

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