夢の浮橋

 

夜明けまでには、まだ少し間があるだろう。
空には薄青い闇がひろがり、人の気配もまだわずかにしか感じ取れない。
そんな時間、ふっと、花梨は目を覚ました。
(起きるにはまだちょっと早いかな?)
けれど、不思議と目がさえ、もう一度眠ることはできそうになかった。
寝巻きのまま起きだして、庭のほうへと視線を送る。
考えてみれば、ずっと生活しているというのに、この館の庭をじっくり見たことなどなかった。
(散歩してみようかな?これだけ広くてきれいな庭だもん、見終わるころにはちょうど夜明けだよね)
思い立ち、即着替えを済ませて庭に降り立った花梨は、大きくのびをして早朝の空気を吸い込む。
秋口の気候で時間が止まっているとはいえ、早朝となればまだ寒い。
吐き出される花梨の息も、ほんの少し白かった。
「ちょっと寒いけど、やっぱり気持ち良いな」
庭を彩る花々に目を移しながら、花梨はゆっくりと歩を進める。
ふと、前方に意外な人物の姿を捕らえた花梨は、思わずその相手に駆け寄った。
「翡翠さん!?こんな朝早くにどうしたんですか?」
「おはよう、神子殿」
意外に思ったのは翡翠も同じだったのだろう。多少驚きつつもそう返す。
翡翠の朝はゆっくり、というのが花梨のイメージだったので、この時間に会えることは予想外だった。
「この時間に会えるなんて驚きました」
予想せずに会えたことへのうれしさに、花梨は満面に笑みを浮かべた。
しかし、次の瞬間浮かんだ考えに、表情を曇らせる。
(もしかしたら、どこか女の人のところに行った帰りなのかな・・・)
嫉妬なのだろうか?
花梨の中に、何とも言えないもやもやした想いが生まれる。
くるくると表情を変える花梨を見守っていた翡翠は、その不安を溶かすような甘い笑みを見せた。
「夢を見たのだよ、神子殿」
「夢、ですか?」
首を傾げる花梨に、翡翠は頷いて見せる。
「そう、神子殿と過ごす夢だ。だが、残念ながら途中で目が覚めてしまってね。こうして夢路を辿ってきてしまったというわけだ」
「翡翠さんの夢の中で私、何か失敗したり変なことを言ったりしていませんでした?」
尋ねる花梨をからかうように、翡翠は小さく笑みを見せる。
「内緒」
「そんなぁ〜」
翡翠は花梨の反応のひとつひとつを楽しんでいるようだ。
静かに視線を合わせたまま、花梨に尋ねる。
「神子殿、今日は私と共に出かけてはくれまいか?夢の続きを楽しみたいのだが、いかがだろうか?」
「はい。どこへ行くんですか?」
「そうだね、宇治橋へ行こうか」
花梨は翡翠の誘いを受け、宇治橋に出かけることに決めた。
紫姫に断ってから出かけようとするが、この時間ではまだ寝ているかもしれない。
起こすのは忍びないので、すでに起きていた家人に言伝を頼み、宇治へと赴いた。

宇治にもまだ夜明けは訪れておらず、さらさらと流れる水の音だけが耳に届く。
「この場所には少し縁があってね。神子殿はここが好きかい?」
「はい。それに川の音って落ち着きますよね。でも、ここの怨霊はちょっと恐いです」
宇治橋に現れる怨霊、橋姫の姿を思い出しそう答える花梨に翡翠が告げる。
「橋姫かい?彼女はもともとは、この橋の守り神なのだよ」
「そうなんですか!」
「そう。穢れを流し清める。今となっては京の人間ですら忘れているかもしれないね。時に流され忘れ去られるものは多い」
呟くようにそう言いながら、翡翠は、宇治橋から少し南にある小さな島の方へ視線を送る。
「それでも変わらないものはあると思うかい?」
何気ない問い――
それでも花梨は、翡翠の目を見つめたまましっかりと頷いた。
時を越え、何にもとらわれることなく、続いていく思いがあると信じたい。
「はい」
花梨の答えは翡翠の求めるものだったか否か・・・
彼はただ、優しい瞳で花梨に微笑をみせた。
「さて、神子殿。少し場所を移動しようか」
「あ、はい。どこへ行くんですか?」
「川面に映る星を見るのも悪くないだろう?」
川辺に降りられる場所を探して、二人はまだ明けぬ道を歩いた。
花梨の隣を歩きながら翡翠が語る。
「神子殿は夜空を映す海を見たことはあるかな?」
「いいえ。でも、きれいなんでしょうね」
「美しいのかどうかもわからない。ただ、壮絶というべきか。今日見た夢もそんな風景だった」
いつもと変わらない。特別な意味もない故郷の海の夢。
ただ、違うのは――
その海の舟の上、花梨と過ごす夢だったと翡翠は語った。
静かな声音。その心の内を映し出すかのように静か。
「夢は、自分の願いを映すものだともいうけれど、どうなのだろうね?」
海を恋しく思う気持ちがどこかにあるのか
あるいは――
「この可愛い人を攫ってしまいたいという気持ちが現れたのかもしれないね」
「ええ!?攫うって」
突然、いつもの調子に戻った翡翠に花梨は思わず声を大きくする。
「何を驚いているのかな、私は海賊だよ。それとも神子殿自ら私と共にきてくださるのかな?」
「えっと、翡翠さん私は・・・」
「ふふ、答えはまだ聞かないでおこうか。さて、ここからならば降りられそうだね。」
そう言って翡翠は、一段低くなっている場所に降りていく。
危なげなく、まるで舞の動作の一部のように、軽やかに飛び降りた。
「うわっ、ここからでも結構高さがありますね」
先に下へ降りた翡翠の方をうかがった花梨は、思ったよりも高さのあることに驚く。
「恐いかい?」
「こ、恐くなんかありませんよ。平気です」
強がる花梨の様子に、翡翠はふっと笑う。
そして、優しい笑顔を浮かべ、花梨に両手を差し伸べる。
「おいで、可愛い人」
花梨は、考えるより先に翡翠の腕の中へと飛び込んだ。
その途端、翡翠の香がふわりと薫った。
飛び込んだあとで自分の行動に慌てるが、その花梨を翡翠は下ろそうとはしなかった。
「あ、あの〜」
「こうして飛び込んできたということは、先ほどの答えをいただいたと思っていいのかな?」
至近距離での問いに花梨は大いに慌てる。この状態では落ち着いて言い訳などできるはずもない。
「ええ!?あの、これはその何て言うか」
「このまま誰の目にも届かないように、こうして腕の中に隠してしまいたいね。攫われてくれるかな?姫君」
耳元で囁かれ、花梨の思考は完全に冷静さを失った。
(えーっと、この場合何て答えればいいの?)
「あ、あのちょっと待ってくださいね」
(遠慮しておきます、じゃ断ることになっちゃうし、えっとそもそも攫われるってどういうこと?私も海賊になるの?うわっ、違うってば〜)
混乱する花梨を楽しそうに見つめていた翡翠は、次の瞬間、花梨の耳に口付ける。
「ひゃっ!ひ、ひ、翡翠さん!?」
「おおせのとおり、『ちょっとだけ』待つことにしようか」
更に動揺する花梨を愛しそうに見つめ、翡翠は告げる。
「それまではよもや、他の男に目を奪われることなどあるまいね?」
その問いに花梨は、顔を朱に染めながらうなずき、そのままうつむく。
翡翠は、その答えに笑みを浮かべると、そっとうつむいたままの愛しい人に口付けた。

 

 

SAK様『Aerial beings』

http://isweb9.infoseek.co.jp/novel/amdsak/index.html

 

≪SAK様コメント≫

スタンプラリーコンプリート記念に書かせていただきました。
初の遥か2創作です。
地の白虎は、お二方とも難しいですね。SAKの精神年齢が低いからか・・・
後半のシーンを思いついたために書いてしまった作品です

 

[涙の一言]

SAK様のサイトでスタンプラリーコンプリート記念にフリー

として配布していたものをいただいてまいりました。

このお話は、SAK様が宇治橋の散策中に思いついたお話だそ

うです。だから、宇治橋付近の情景描写が美しいのですね〜
花梨ちゃんと故郷の海の舟の上で過ごす夢を見たという翡翠さ

ん。そして、考えるより先に翡翠さんの腕の中へ飛び込む花梨

ちゃん。からかいながらも花梨ちゃんの自分への思いを知って

翡翠さん、嬉しそうですね。近いうちにその夢は正夢になるね

きっと!

SAK様、ステキな創作をありがとうございました。

 

SAK様のサイトへは『リンクのお部屋』からどうぞ

 

 

戻る