+ カインの領国 +
〜残視の窓〜
あふれた記憶 流れた時間 人の欠片はくるくると 窓の外を通過して 意識の奥へと 過ぎ去る光源 |
ア ベ ル |
空の高い所へ進んでいた。 ぐるぐとと旋回する階段を一歩ずつ進んでいく。 一足ごとにほんの僅かな上昇。 それを延々と繰り返してきた。 振り返って階下を見れば、始発点は深い闇に飲まれてしまっていた。 暗闇に続いて見えるのは階段ばかりだ。 反対に進行方向を向いてみるが、結果はたいして変わらなかった。 すなはち、上を見ても下を見ても、在るのは捩れた階段ばかりだった。 先の見えない螺旋が連々と連なっていた。 果てもない場所だった。 感覚が、麻痺していく。 登っているのか、下っているのか、わからなくなる。 壁越しに微かに風の音が聞こえた。 塔の壁面は土を焼いた煉瓦でできていた。 何年もの歳月を経てもなお風化することのない土の塊は、どっしりとした重さで存在を続けていた。 その堅固な壁を貫いてびょうびょうと何かが鳴くような音が響いてくる。 外の風はかなり激しいものであるようだった。 頭の片隅に埋もれていた知識が浮上してくる。 「空の高い場所は強風が吹き荒れる」 いつ、どこで得たかも定かではない知識だった。 けれども確信が胸の内にあった。 天に吹きすさぶ強風。 それだけが唯一の上昇の証だった。 アベルは目を閉じると音だけを頼りに階段を登った。
頭上から降り注ぐ声にアベルは目を開いた。 視界いっぱいに広がる赤い光り。 あまりの眩しさにアベルは腕で目を庇った。 腕の向こう側から声がした。 「何やってたのよ。本当に鈍くさいわね」 光りと同じくらい容赦のない言葉が浴びせられる。 もっとも声は言葉ほどに刺々しいものではなかった。 「ごめん、ごめん。悪かったよ、セシル」 アベルは腕をどけると声の主に謝った。 目の前に盛大に口を尖らせた黒髪の少女が、腰に手を当てて立っていた。 「これ以上待たされたら帰るところだったんだからね」 セシルと呼ばれた少女はアベルの鼻先に人差し指を突き付けた。 「だから、ごめんってば。階段が長くてさ」 「あたしも登って来たわよ!! 下手な言い訳するんじゃないわよ! だいたいね、あんた、アシモフの塔をなめてんじゃないの! 『この世で最も神に近い場所』よ。 そこいらの酒場の2階へ登るのと一緒じゃお話にならないでしょ!!」 「ごもっとも」 アベルは笑いながら両手を挙げて降参した。 セシルは満足げに頷いた。 「わかればよろしい」 2人はセシルの背後にある窓へとよった。 そこはアシモフの塔の最上階の『この世で最も神に近い』と言われる場所だった。 天に繋がる窓という訳である。 大きな窓だった。 大人1人程度なら余裕で通りぬけられそうだった。 もっとも通りすぎた瞬間に地上へまっさかさまだろうが―――。 窓の外では日が暮れようとしていた。 天から地上へ落ちる巨大な夕日。 赤い塊が地表へと飲み込まれていく。 こんな夕日を見たことがある気がした。 記憶にはなかったけれど。 頭の奥で何かの欠片がカチリとはまる音がした。 形のない何かが自分の中で生まれる音。 「あたし、こんな景色を見た気がするわ」 夕日を睨みつけるようにみつめたまま、セシルが言った。 アベルに言ったというよりは、独り言のようにも聞こえた。 それでもアベルは答えた。 「僕もそんな気がするよ。 もしかしたら、何時か、何処かで見たのかもしれないね」 「そうだね」 セシルはアベルの方を向いて笑った。 どこか泣きそうな笑顔だった。 アベルは黙ってセシルの肩を抱いた。 赤い光りが完全に地平線に消えるまで、2人は言葉もなく外の景色を眺めた。 |
思いっきり番外編です。カインが出てきませんね。 ほとんどのエピソードは年代もしくは時代が決まっているのですが、このエピソードだけは決まっていません。 遠い未来の物語なのか、それとも物語序盤で語られる物語なのか。 はたして残視の窓はどの時間をさまよっているのでしょうか? |
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