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〜宝石姫〜

女の泣く声がする。

霞がかかったように、世界は朧で、全てのものは淡くぼんやりとしている。

それなのに、嗚咽だけがはっきりと、鼓膜を突き刺すほどの音量で耳に響いている。

狂ったように、呪うように、祈るように。泣き叫ぶ声。

魔法使いの心臓がチクリと痛みを訴える。

天井に彫られた賢者の巨頭。厳しい顔の白い聖者が頭上に重く圧し掛かる。

首は次第に巨大化し、洞窟のような口を開け大音量で叫ぶ。

「異端児よ。去れ!」

ガラガラと崩れ出す世界。魔法使いは1人立ち尽くす。

世界の破片が礫となり、魔法使いの身体を打ち付ける。

鋭利な欠片が皮膚を切り裂き、血が流れる。

しかし、傷は瞬く間に塞がってゆく。心の傷をそのままに。

痛みだけがじくじくと魔法使いを蝕んでいく。

爆発音が響く。

白い巨頭が天井から剥離して落下する。

魔法使いを押し潰す。

圧倒的な重量が、世界を粉砕していく。

「誰かあの化け物を殺して!!! 〜〜〜を殺して!!!」

壊れる世界に、叫ぶ声だけがはっきりとした輪郭を持つ。

 

「魔法使い!」

自分を呼ぶ声で、魔法使いは目覚めた。

ふわふわと心地好い感触がする。

天蓋付の豪奢な寝台の上に彼は横たわっていた。

冷たい指が魔法使いの手を痛いくらいに握りしめている。

「急に倒れたって聞いたから、心配していたの」

宝石姫は魔法使いの顔をのぞきこむ。

もともと色白の彼女の顔は、いっそ、青白く、魔法使いの手を握り締める指先は冷たかった。

倒れた?自分は倒れたのだろうか?

魔法使いはゆっくりと記憶をたどってみる。

冷たい汗が背中を這う。

「嫌な夢をみた」

魔法使いは小さく呟いた。

目が覚めたとたんに全ては霧のように忘却されて、残っているのは微かな夢の残滓でしかなかった

けれど、魔法使いはそれが良くない物としか思えなかった。

漠然とした容のない恐怖が魔法使いを支配している。

『思い出してはいけないよ。』

少女の声が囁く。

「え?」

耳元を掠めた声に魔法使いは顔をあげた。

「アーニャ?」

辺りを見廻す。そばに居るのは不安そうな顔をした宝石姫だけだ。

「今、何か言いましたか?」

魔法使いの問いに、宝石姫は硬い表情で首を横に振った。

「いいえ。何にも。・・・私、お医者様を呼んでくるわ」

宝石姫は急いで立ちあがると、小走りに部屋から出て行った。

ドレスの裾がさやさやと衣擦れの音をたてた。

部屋には魔法使い1人が残された。

空耳だったのだろうか?魔法使いは首をひねる。

それにしては、はっきりとした声だった。

声は間違いなく魔法使いの耳元でした。

幼い少女の、しかも、年の割りには低く落ち着いた声。

アーニャ・エンデの声を間違えるはずはない。

けれども、それは有り得ないことだった。

部屋には魔法使いと宝石姫以外は誰もいなかった。

第一、声の主であるはずのアーニャ・エンデはもういない。

遥か昔に魔法使いを置いていってしまった。

「あぁ、まったく!」

魔法使いは背中の下にあった枕を投げつけた。

枕は寝台の端にあたり床に落ちる。

房飾りについた白い宝石が窓からの光にキラキラと反射する。

視界にその光が描いた軌跡が瞬く。

魔法使いは声がアーニャ・エンデであると確信していた。

同時にアーニャ・エンデが存在しないことも確信していた。

「一体、何が言いたいんだよ」

矛盾した確信に苛立ちながら、魔法使いは頭を抱えた。

  

そういえば、宝石姫の声はもっと高く澄んでいたな。

部屋を出て行った宝石姫はしばらく戻らなかった。

魔法使いは寝台の上で膝をかかえ、彼女が消えた扉をみつめた。

堅そうな建材の扉はよく磨き上げられ黒々と室内を映し出していた。

魔法使いと彼の乗った寝台。その奥には白く発光する窓。

窓の淵には金色の刺繍が施されたカーテンが時々揺れる。

扉の表面に映し出された世界は仄かな闇に覆われ、暗く閉ざされていた。

重たい重感が魔法使いと外の世界を隔てていた。

魔法使いは顔を伏せた。

1人でいたくなかった。誰かが必要だった。

美しく豪華な無機物しかいないこの部屋は、ひどく寂しかった。

「早く戻ってこないかな」

魔法使いの頭の中で緑と青が瞬く。

『お医者様を呼んでくるわ』

宝石姫は魔法使いが気がふれていると思ったのだろうか?

慌てたように走り去った彼女の後ろ姿が心を過ぎる。

彼女は誰を呼びに行ったのだろう?

城にいる医者で、姫君が呼びに行くような相手。

「『御殿医』か」

魔法使いは不愉快な相手を思い出した。

宝石姫は御殿医に助けを求めに行って戻ってこない。

「面白くないな」

現状を認識した魔法使いは毒づいた。

長い間、1人で生活していた彼は、時々、思ったことを言葉にして発してしまう癖がついていた。

言葉を呼び水にするように、魔法使いの記憶が鮮明になる。

第一印象は最悪だった。

アスランと食堂で食事をしていて、城の医者に会った。

彼と話しているときに魔法が発動しそうになって、そのまま意識を失ったのだ。

・・・なぜ、意識を失ったりしたのだろう?

そもそも魔法が発動しそうになったのは何が原因だっけ?

「名前、聞き損ねた」

思考が動き出すにつれて感情と身体が動き出す。

出来たら会いたくない相手だった。

しかし、宝石姫が今呼びに行ったのは医者である。

逃げよう。

魔法使いは寝台から降りると足元に畳んであったローブを羽織った。

膝を曲げ伸ばしてみる。身体には不調はないようだ。

留まって良いことは何もない。

自分を心配してくれた宝石姫の顔が頭を過ぎる。

「ごめん」

彼女にだけ、聞こえないのはわかっていたが、謝罪の言葉を残して、魔法使いは部屋を飛び出した。

 

 

何年ぶりの続きだろう・・・(遠い目)
水面下でジリジリと女の戦いが進行中の中篇第4話でございます。書いているうちにどんどん長くなっていきます。中篇はあと2エピソード予定。どこまで膨らむのかしらない。
早く強くなれ、魔法使い!君の活躍する(かもしれない)後編はまだまだ先だ。
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