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〜宝石姫〜

 

瞳に貴石を抱きし少女

塔に篭りし魔法使い

空より来る白い旅人

眠れる神々は

未だ地上の騒ぎを知らず

歯車は音も無く

延々と廻りゆく

 

 

使

暗い部屋に住んでいた。

四方を厚い煉瓦の壁が取り囲む。

灯り取り用の窓は、鉄格子がはめ込まれ、更に板で打ち付けられていた。

暗く、狭い部屋だった。

机の上の蝋燭だけが唯一の光源として、部屋に自分の影を映し出した。

その影だけが存在の証しだった。

埃と黴の匂いが鼻につく。

固い寝台に敷かれた襤褸布に寝そべって、「魔法使い」は天井を見た。

「くだらない」

この王国も、自分を閉じこめた人々も、自分も、世界が全部くだらなく思えた。

自分が生きていることさえも。

「食事だぞ」

無感動な見張りの声がした。

重い足音が響いた。

不意に壁の一部が開かれ、銀の食器に盛られた食べ物がさしいれられた。

暖かい湯気が食器から昇った。

好い匂いが部屋に広がる。

魔法使いの腹が食べ物を求めて鳴いた。

腹は減っていた。

けれど食欲はなかった。

魔法使いは寝そべったままで答えた。

「欲しくない」

「そんなことを言うな。けっこう美味いぞ」

聞きなれた声の代わって、懐かしい声が言った。

身体の大きな男が部屋へと入ってきた。

魔法使いは驚いて起き上がった。

一瞬、自分の目を疑った。

それから意味もなく笑いが零れた。

「何か用か?アスラン」

その声は数年ぶりに聞く、見張りと自分以外の人間の声であり、

かつて自分をここへ閉じ込める原因を作った声だった。

「ああ、吉報だ。お前をここから出してやれるぞ」

「出る?」

「そうだ。外へ出れるぞ!」

大男は誇らしげな声でいった。

煉瓦の壁に低い声が反響する。

空気が震えて不協和音のように広がっていく。

振動が魔法使いの耳の奥へ届いた。

それは喧しい雑音でしかなかった。

「・・・今更、そんなことしてどうする?」

魔法使いは咽から絞るように囁いた。

「僕はそんなこと望んでない!」

閉じ込められることも、生きていることも、今の魔法使いには関係なかった。

必然がない。

自分が行きる必然はもう失われてしまった。

彼女はもう居ない。

「魔法使い」を呼んでくれた彼女は行ってしまった。

左の手が空を掻いた。

指先が虚空に何かを描く。

いくつかの模様が綴られ、奇跡が白く瞬く。

急激に室内の空気がざわめきだす。

魔法使いの右手がその動きを遮った。

左手を押さえつける。

瞬きが消滅して左手は沈黙した。

室内に静けさが戻ってくる。

魔法使いはアスランを睨みつけた。

「そう怒るな、女王陛下からのご嘆願だ。悪い話ではないと思うぞ」

アスランは魔法使いの隣に腰掛けた。

にかりと魔法使いに笑いかける。

悪意も作為もなく、差し伸べられた手。

魔法使いは無性に腹が立ってきた。

結局、彼等は何も解ってない。何も変わってない。

…ソシテオマエモ…

「聞きたくない!」

床と壁が大きく揺れた。

声と共にアスランの大きな体躯が壁まで吹き飛んだ。

音をたてて煉瓦にぶつかる。

そのまま崩れ落ちた。

微かな呻き声が漏れる。

「…あ」

とっさのことで魔法使いは狼狽した。

自分でやっておきながら、事の成り行きに怯えた。

アスランが起き上がる。

頭を一振りして魔法使いを見上げた。

「ってて。その力、外では使うなよ。傍迷惑だぞ」

壁にぶつけた頭を押さえつつ、先刻までと変わらぬ様子で彼はぼやいた。

「久しぶりに効いたな。俺も年かな…」

「ごめん」

魔法使いは俯いたまま謝罪した。

ベットから立ちあがる。

座り込んでいるアスランに近づくと、軽く埃を腹って立ちあがる彼に手をかした。

「そうそう、ガキは素直に言うことを聞くもんだ。

 俺だって伊達に年とっちゃいねぇよ」

笑顔を見せるアスランを魔法使いは恐る恐る凝視した。

間近で見れば、アスランの顔には多数の皺があった。

手は堅くひび割れ、髪にも白い物が混じっていた。

それに対して、自分は―――。

魔法使いは未だ青年期を通り過ごしていない姿のままであった。

多少、塔へ封印された頃よりも背は伸びたが、まだ若いままだった。

まるで自分の時間だけ下界から切り離されてしまったようだ。

魔法使いは項垂れて瞳を閉じた。

その頭を大きな手が軽く叩く。

「気にするな。お前のせいじゃない」

魔法使いは顔をあげた。

記憶にあるよりも、数十年年老いた顔が彼を見下ろしていた。

目を背けもせず、まっすぐに。

魔法使いはどうしてよいかわかならくて目をそらした。

ぶっきらぼうに言った。

「今更、外へ出て何をさせようって言うのさ。」

「ん?あぁ、その話か。出てきてくれるのか」

アスランの表情が明るくなる。

「聞くだけだよ。中身によっては考える」

そんな権利が自分にはないことは百も承知での言葉だった。

「かまわんさ。俺は『魔法使いに伝えろ』としか言われてない。

 『何がなんでも、魔法使いを引きずり出せ』なんて命令は奴らも命が惜しくてできんさ。

 まして、お前に関わることは正妃様の遺言だしな」

正妃。あるいは『聖妃』ミーファ・エンデ。

建国の王アベル・エンデの妻であり、国王アーネスト1世の生母である。

そして、呪われた魔女の母でもあった。

魔法使いは、かつて、1度だけ彼女に会った。

骨と皮だけの枯れ木のような腕と緑の瞳を思い出す。

強い、強い、願いを秘めた彼女の視線。

―――シアワセニナリナサイ―――

手足が震えた。

彼女を思い出すたびに襲ってくる不安な感覚。

脚に力がはいらない。

床が揺れているような不安定さが全身を襲った。

魔法使いは積み木が崩れるように蹲った。

心と理性が、必死に、何かに抗おうとしていた。

膝を抱えて、祈るように呟く。

「アーニャ。」

答える相手はこの世界の何処にも存在しないのを知っていたけれど。

魔法使いに名を与えてくれた彼の主は、永遠に彼の王国から失われてしまっていた。

「お前のせいじゃない」

アスランが言った。

先ほどと同じ言葉だった。

魔法使いの身体が軽くなる。

頭一つ大きい躯が魔法使いの腕を引き上げた。

半ば引きずられるようにして、魔法使いは立ちあがった。

アスランの言葉が何を指した言葉かわからなかった。

魔法使いの力か、姿か、「彼女」のことか。

それでも、瞳から涙がおちた。

渇いた煉瓦に小さな円の後が残った。

長い間、忘れていた何かが戻ったようだった。

「外へ出ろ。魔法使い。

 お前を待ってる人がいるぞ」

アスランの声が聞こえてくる。

それはひどく遠い場所から聞こえてくる気がした。

冷たい壁の遥か向こうから…。

 

Topに前振りの詩がでてから、ほぼ2年でしょうか?
未だ「黒の魔女」が書きあがっていませんが、突発的に開始してしまいました。「宝石姫」です。まだ彼女は登場してませんが…。
実はこの話、「黒の魔女」の魔法使いがあまりに不憫なため、救いをということから発生した物語でした。果たして、本当に救済されるのか、それとも泥沼に落とされるのか?それは「彼」だけが知っている。
がんばれ、魔法使い。

 

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