やがて楽しき【ANNEX】



Part 2「SMAPな日々/その夜明け」


はっきり「SMAP」として認識したのは、『夢がモリモリ』の初期だったのではないかしら。
最初は、美少年なくせに時にヘッポコだったりするゴロちゃんの意外性やら何やらを
「ふーん、ちょっと面白い子たちだなぁ」と眺めていまして。
それが「もしかしてカッコいいかも…」に変わったのは、93年秋、『$10』を踊る彼らを見た時で、
自分が「年下のアイドル」にカンペキげっちゅーされてしまったことに、軽い眩暈なぞ。
たまたま見た平日の奥様番組で、この曲の振り付け講座をやっているのを見たり、
久しぶりに会った既婚の友人に「私、最近SMAPが好きでさぁ…」と告白されたりして、
おぉ、主婦層にまで進出しているのかぁ、と感心したのもこの頃ですね。
そして、いつも画面の端っこをウロウロしてる「いんどぉ」で「アフロくんのオチ担当」の彼に目が留まり、
「実は一番キレイな顔してるのになぁ。もっと前に出てくればいいのに…」と気になり始めたのも、
おそらく、この頃だったのは。

94年。この頃には、親しい人にはSMAPの話をしていたような気がするな。
何故ならば、当時、自分ではまだ買う勇気がなかった『COOL』を或る人からプレゼントされたのが、
この年の暮れだったから(そういえば、彼はちょっとクサナギさんに似ていたような気もする)。
毎朝、『がんばりましょう』を目覚まし時計代わりにしていた記憶も。

95年、それまでは夜遊びした日以外は24時過ぎにキチンと就寝していた私の生活が、
一気に崩れたキッカケは『SMAPのがんばりましょう』。
ほんの10分の番組を見るためにズルズルと起きているうち、
すっかり夜更かし体質になってしまいまして(そのまま現在に至っております)。
そして、この番組のパジャマトークで殆ど喋らずにソファの上で膝を抱えていたり、
寄席で とんちんかんな答えを連発しては場を凍らせている彼にますます釘付けになる私
(異国の王子様を演じていたゴロちゃんも忘れ難いけれど)。
『家なき子2』の黒岩先輩の幸薄い風情にも、なんとなく切なさを禁じず、
すっかり保護者気分で見守るように。
でも、この頃はまだテレビ番組もかなり取りこぼしてたし、
コンサートに行くなんて考えられないと思ってたし。完全に在宅ファンの日々でしたねぇ。
この年の秋に『がんばりましょう』『夢がモリモリ』が終了。
仕事で付き合いのあった業界人から、「そろそろSMAPもオワリですねぇ」と言われて、
顔では笑いつつ"ちくしょー"と思ったけれど、不思議と心配はしていなかった気がします。

96年4月、『SMAP×SMAP』第1回を見た夜に6人とバレーボールに興じる非常に楽しい夢を見て、
私ってば、こんなに嬉しくてしょうがないのか…と、自分のハマり具合を改めて認識。
森くんラストのスマスマで、泣きじゃくる中居くんと涙ぐむメンバーに貰い泣きし、
ずっと彼らを見続けていこう、と想ってしまったのでした。

97年、学生時代の友人から「実はSMAPにハマってる」と打ち明けられる。
お気に入りは中居くんだと …ちょっと待て、学生時代のキミはやたらとオヤジ好みだったはずでは…
いや、ある意味、変わってないってことかしらん(はっ)。
しかし、こうなると同志を得た心強さで、後は転がり落ちるようにSMAPな日々を邁進。
そして、未だ、とどまるところを知らず今日に至るのでありました。やれやれ。

【2002/01/20 Greena】

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