近年、若年齢の凶悪犯罪や「キレる」などと言う事がよく言われる。もちろん様々な要因や原因があるだろうが、一つ言える事は心の中で溜まっていたものが、ある瞬間弾けるという事ではなかろうか。
 よく、悩みや苦しみを心の中にしまい込んでしまう人がいる。たしかにそういう戦い方もあるだろう。しかし、戦わずにしまい込んでいるとなると話は別である。例えば「こんな事で悩んでいることを知られるのは恥ずかしい」などと思ってはいないだろうか。もちろん「悩みが人間を成長させる」などと言うつもりは無い。そうではなくて「悩む事ができるという事」を喜ぶべきなのかもしれない。
 「煩悩即菩提」或いは「無明の実性即仏性」と言う言葉がある。悩んでいる、苦しんでいる、その瞬間がすなわち自分が人間であると言う、確信をつかんだ時なのかもしれない。
 さすれば、悩みや苦しみは決して恥ずべき隠し事には成り得ないことに気が付くはずだ。悩みが深ければ深いほど気軽に口に出すべきだ。それで悩みが解決するかしないかは別問題である。少なくとも、『「悩み」に悩む』と言う愚は避けられるはずだ。
 道元禅師は示された「仏道をならうといふは、自己をならふなり」(正法眼蔵・行持)と。