フランスのルソーの言葉に「人間は生まれながらにして自由である。その一方で鎖につながれている。」と言うものがある。人間は、一人では生きていけない動物である。つまり社会と言うコロニーを形成してその中にいるというのが人間にとっての「野生」の姿なのだ。しかしながらこれは、社会に飼われていたとしても表面上は解らない。
「自分のための社会」と「社会のための自分」とをしっかりと見据えていなければ、この一見相矛盾する状態の間を彷徨い続ける事になる。「自分のための社会」の意識が強すぎる人間は『無法者』であり、「社会のための自分」が強すぎる人間は『家畜』である。無法者にも家畜にもならないように自分をしっかり見据えて、バランスをうまくとる「ほどのよさ」が大事だ。これを仏教では、中道を体得すると言う。野生のオオカミ同士は喧嘩をしても、まず相手を殺すことは無い。「種の保存」の本能があるからだ。飼い犬が、喧嘩相手を殺してしまう事があるのは、人間が種の保存をしてくれるからではなかろうか。最近の凶悪事件のニュースにふれるたび、人間が『家畜化』しているのではないかと思う。「社会」に頼りきってしまって、人間本来の動物としての本能がなくなってしまってきているのだろうか。つねに自らを見つめて、中道という程の良さのバランスをとっていきたいものだ。