入院(前半)


平成15年6月下旬頃。はづハハは、何故か毎朝起きることが出来ず、何時であろうが睡魔が襲ってきます。
そんな異変に気付いたはづチチはハハに冗談で「妊娠した?」といってました。
あまりに、はづチチが言うので、7月2日はづハハはこっそりと妊娠検査薬で試そう!と、冗談で妊娠検査薬を使って見ると・・・見事『陽性』・・・
次の日、初寿紀を産んだ病院へ行くと、即入院!その日から、ヘパリンと言う薬(点滴)になりました。
そして、初寿紀と同じく安定期に入ったらワーファリンに戻すということなりました。
この時点では、初寿紀の手術をしてもらった病院で出産するか、このまま初寿紀を産んだ病院で出産するかどうしようか?と言うことになっていました。
そして、はづチチに初寿紀を手術してもらった病院に連絡をしてもらいました。
このときの、病院からの返事は「検討します」でした。まさか、このときには全然違う病院へ行くことになろうとは・・・予想もしていませんでした。

入院しなれた病院での入院。ある程度、勝手は分かってるし、顔なじみの看護婦さんもいててのんびりと入院生活を送っていました。
主治医の先生も、歳が近くとっても話しやすい先生でした。(いい先生だった・・・)

入院して、お腹の赤ちゃんがエコーで見え始めた頃・・・ついに来ました。つわりが・・・
初寿紀のときも、かなりのつわりで苦しみましたが、今回もきつかった。
まず、魚・白米・甘いもの・人参・鶏肉・牛肉などなど食べれなくなってしまいました。食べれるものは、パンとそうめん。
もともと、卵と豆腐が苦手で食べれないはづハハ・・・病院食はほとんど魚と卵と豆腐。
食べれないだけならまだしも、そのうち匂いまでダメになってしまって食事時は拷問状態。
同じ病室に、ガンで入院されてる方がいて、その方も薬のせいで何も食べれずで二人でいつも「つらいね〜」っていいながら
その方のご家族の方に買ってきていただいた焼きそばや果物を食べていました。
そのうち、その方の症状が悪化してしまい個室に移られてしまいました。
たまに、お手洗いでお会いして私がもどしていると「大丈夫?看護婦さん呼ぼうか?」とよく声を掛けて下さいました。

しばらくすると私は熱を出してしまいました。
39度を超える熱で、妊娠中で薬の飲めない私は先生の「自力で治して!」の言葉で自力で治そうと試みてました。
その日はちょうど、初寿紀の誕生日。はづチチに初寿紀の誕生日ケーキを買って来て!とお願いしていたので
はづチチが来るのはわかってたんですが、なかなかはづチチが来ない!
熱でフラフラしながら、つわりでお手洗いに点滴を転がしながらダッシュして・・・病室に戻るとはづチチのおばあちゃんとお父さんがいました。
頑張って、起きていましたがさすがに39度の熱には勝てず、横になっていました。
そして、おばあちゃん達が帰った後、やっとはづチチが来てくれました。
ちゃんと、約束どおりケーキと初寿紀の誕生日プレゼントを持って・・・
でも、つわりと熱で結局ケーキは食べれず、急いでポカ○スエットを買って来てもらい(それも何故か2リットル)
それを飲んで横になってしまいました。熱は次の日も続きました。先生の診断は「かぜやろう〜な〜」でした。
3日目にようやく熱が下がって一安心。
しかし、その後2週間してまた熱が出るとは・・・2回目の熱は、さすがに培養検査をすることになりました。
血液を培養して、ばい菌がいてるかどうか調べる検査です。しかも今回の熱は40度まで上がってしまいました。
熱が高すぎても、胎児に影響があるって言うことで産科の先生と相談して解熱剤を出してもらいました。
でも、はづハハはなかなか飲もうとせず、昼間は飲まずに頑張っていましたが、さすがに夜は寝れないくらいしんどくなって解熱剤を
飲んで寝ることにしました。その次の日も熱は続き・・・3日目で下がりました。
そして、熱が下がり始めた頃、培養検査の結果が出ました。血液の中に腸にいる菌が見つかったとのこと。結局、熱の正体は感染症だったようです。
この菌がなんで血液に入ったかは不明。侵入口はたぶん点滴だろうと言うことで、速攻点滴を入れ替えることになりました。
そして、血液にばい菌がいると言うことは、心臓の人工弁に付きやすく抗生物質は点滴しないとえらいことになると言うことで
抗生物質の点滴も追加。ちなみに、万が一、人工弁にばい菌が付くと人工弁を入れ替えなければならないらしく、そうなると命に関わる手術で
お腹の赤ちゃんも諦めてくれとのことでした。抗生物質が効いて、何とか血液のばい菌もいなくなってくれました。
これで本当に一安心です。
感染症が治ってしばらくした頃、個室に移った方が初寿紀のそばに行かれたことを聞きました。
後から聞いたことですが、末期がんだったそうです。とってもいい人だったのに・・・ご冥福をお祈りします。

さて、今回の産科の先生はワーファリンにもどすのはかなり反対されてました。産科的にはワーファリンはダメ。心臓外科的にはワーファリンのほうがいい。と、
意見が分かれました。ワーファリンは胎児にかなりリスクがある。でも、点滴を続けてるとまた感染症になる可能性もある。これからどうするか、何度か話し合いをしました。そして、ちょうどこの頃、初寿紀の手術をしてくれた病院からの返事が・・・「心臓外科的には人工弁の方の出産をしたいのですが、産科のほうのOKが出ない。申し訳ないですが、うちでの出産は無理です」との事。これを聞いて驚いたのが、初寿紀の出産した病院の産科の先生。「えっ?ちょっと待ってください・・・」そして、病室に来られた先生は申し訳なさそうに「申し訳ないんですが、うちでは手に負えないので、国立循環器病センターに紹介状を書くのでそちらで出産してください。」との事。驚いたのはこっちの方。まさか断れるとは・・・しかし、胎児の心エコーはさせてくださいとのこと。
胎児の心エコーが出来るのが19週以降。もうこの時は13週になって、予定ではヘパリンをやめる時期に来ていました。
ワーファリンのリスクとヘパリンのリスク。これからどうするか・・・主治医の先生は、いろんなところに電話して調べてくれました。
そこで浮上したのは『カプロシン』と言う薬。これは、皮下注射の薬で効いてくれる時間が12時間。一日2回皮下注射をしなければなりません。
しかも、退院するとなると自分で打たなければなりません。この注射、薬がドロッってしていてかなり痛い。しかも、退院すると外来で薬の保険が効かない。
となると、一月6〜7万かかることになる・・・入院していればいいんだろうけど、出産は国立循環器病センターとなると、早いうちに病院を移動しなければならない。結局、ワーファリンに戻して退院することに・・・

退院して、1週間後胎児心エコーを受けることにしました。

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