4k70:器の大きさが違うだけなんだ
直径数十センチのガラス球の中で、五匹のエビが水草をつついている。 私はいつもの通りにライトのスイッチを入れた。ガラス球の中が一気に明るくなり、毎度の事ながら驚いたようにエビは水草の間を跳ね回った。
部屋のほぼ中央にある大きな時計は朝の7時をさしている。私も朝食を取らなければ。これもいつもの通り。
隣の部屋に行き、壁のほぼ中央にある緑色のボタンを押すと、操作パネル内に準備中である事を示すメッセージと、朝食の準備終了までの予定時間が表示された。これもいつもの通り。
私は便所に行き用を足すと、洗顔をし、中央の部屋に戻った。 テーブルの上にある端末を操作し、壁面のディスプレイに表示される情報に目を通し始めた。いつもと同じ。
数ヶ月前に地上で起こり始めた出来事について伝えられたのを最後に、ニュースは表示されなくなっている。私がディスプレイで確認しているのは、この宇宙船の残エネルギー、取得エネルギー、各元素の分布図などなど。これらはニュースが無くなった事以外はいつも通り。
他の船との連絡はもう取れなくなって久しい。メールの返信が一切無いので、仲間を探すのもあきらめた。
私が乗っている惑星探査船には長期航行を実現するためのシステムが搭載されており、私は飢え死にする事なく、今日まで生き残っている。 表示パネルの元素分布を見ると、炭素、水素、窒素、リン、カリウムナトリウムマグネシウム等々(炭水化物にタンパク質、数種類のビタミン、ミネラル類)がそろそろ室内に入ってくるところ。いつも通り。朝食が出来上がるという事だ。
私は排泄物はもちろん、伸びてきた髪の毛も決められたダストシュートに投入する。数日後にはそれは食事の一部として再合成されることになる。 貴重な資源を有効活用することが出来る仕組みであるから気持ちが悪いなどとは言っていられない。味に問題は無いし、慣れればどうということはない。大地に種と堆肥を蒔き、作物を収穫するのとなんら変わらないという理屈に納得すれば良いだけのことだ。
私が船内にエビの入ったガラス球を持ち込んだのは、自分に対する皮肉からだった。 エビは呼吸によって水中の炭酸ガス濃度を上げ、水草を食べ、排泄する。水草は水中の炭酸ガスとライトの光を使って光合成を行い、エビに食べられた体を修復する。 また、目には見えないが、ガラス球の中には好気性細菌もいて、エビの排泄物を分解している。 ガラス球は密閉されており、外からのエネルギー補充はライトの光だけ。だが、ガラス球の容積と水草の量、エビの数は巧妙に計算されていて、エビの寿命が尽きるまでの数年間はライトの照射だけでこの環境が維持できるようになっている。
まさにこの宇宙船がそうであった。
乗組員の身体を維持するためのシステムは、ダストシュートに入れられた物質を分解・再構成し、室内の空気環境も一定に保つ。 さらに船外にある受光パネルで太陽光、宇宙線を吸収している為、照明や室内で使用される熱エネルギー等のロス分もカバーされている。このシステムのおかげでこの船も数年間は補給を受けずに活動できる様になっていた。
この船のような惑星探査船は各国が競うように建造し、私を含む数人ずつの乗組員を打ち上げてきた。 しかし、数ヶ月前に起こった出来事により、私たちは故郷に戻ることが出来なくなったのだった。何が起こったかは直前の情報から想像がつく。もう誰も生きてはいまい。
同乗者たちがおかしくなるまではあっという間だった。
無意味な争いが起こり、争わなかった者も自らの命を絶った。 死んだ仲間の身体は片づける場所が他に無いのでダストシュートに入れた。だから室内に残っているのは私一人。 こうまでして生き残っているのが我ながら不思議であるが、既に私もおかしくなっているのかもしれない。
おそらく私は人類最後の生き残りということになるのだろう。一人で生き残って何の意味があるのか。仲間達同様に命を絶った方がすっきりして良かっただろうか。
数日後、私はガラス球へのライト照射をやめてみた。 新たに得られる情報、知識が無い事に気づいた私はやはり命を絶つことにしようと思ったのだが、一つだけあった。 ガラス球への光供給をやめたらエビ達は一体どうなるのか。それを確かめてからでも遅くはないだろう。死ぬのはいつでもできることだ。
半日後、異変を感じたのかエビ達は互いを攻撃しあい、最後に一匹が残った。 じきに最後の一匹も死ぬ事になるだろう。予想通りの結末でちっとも面白くなかった。 ただ、最後に残ったエビは仲間の身体を食べることはしなかった。
何だ。私はエビ以下か。
窓から故郷を見て想った。
あの小さな光の中に収まりきれなくなった結末か、はたまた誰かがスイッチを切っただけのことか。 ちょっとしたバランスが崩れただけ。そういうことなのかなと。
そして私は船外にある受光パネルの動作スイッチを切った。 |