4k71:ボタン押したい欲

 

 ボタンを見ると押したくなるのは、人間の中にある根元的な欲求ではないかという話はとても的を得ている的を射ている(※)と思う今日この頃である。

2歳になる娘を観察していても、それらしき行動を確認することができる。
昨年末に機種変更した為、旧携帯電話は現在娘のおもちゃとなっていて、手渡すと嬉しそうな顔でぷちぷちとキーを押し始める。最近はもう飽きたかなと思われるけれども、やはり携帯電話を手渡すとぷちぷち。

 たとえ家の中であっても押されては困るボタンというのがあって、本能の命じるままにボタンを押してしまうイキモノと一緒に暮らしていると、イキモノの「手の届かない所」にボタン(が付いている機器類)を移動させるしかないということになる。
そして移動させることができないものについては「厳しく、繰り返し注意する」しか対処のしようがない。しかしそういう過程を経て皆大人になってゆくのだろうという気もする。

 そうして大人になった私である。
押してはならないボタンや、押すと自分に不都合が生じるボタンがある事を知ってしまってから随分と時間の経った大人の私である。

押したときに不都合が生じるボタン。
上に行きたいのに下の階を指示するボタンを押してはいけない。なぜならエレベーターというものは意外に遅く、引き返して往復するのに時間がかかるし、下の階で誰か他の人が乗り込んできたら恥ずかしい。

押したときに不都合が生じるボタン。
リセットボタン。必要も無いのにこれを押すと編集中のデータは消えてしまう。
これは他に対処のしようが無くなった時に押すものだ。何の意味も無く押すボタンでは無い。

押してはならないボタン。
自爆ボタン。
そんなものは私の身の回りには無い。が、万が一出会ったとしてもそんなものを押す必要があるとは思えない。機密を隠すためか。私は機密などもっていない。本当なんだ信じてくれ。

押すとややこしいことになるボタン。
非常停止ボタン。
いざという時はすぐに押せるように、位置は把握しておかなければならないところがまたややこしい。

 さて、実は今目の前に「押してもそれほどややこしくはならないが、普通は誰も押さないボタン」がある。
いや、必要なボタンであるからそこにあるのだが、今の私が置かれている状況はこのボタンを押す必要など全くもってない状況。
私の周囲には数人の人間がいて、皆私のひそかな思いには気づく様子もない。皆私に背を向けているし。

押すか? 押してみようか?
今なら私がボタンを押したとしても、誰も押したのが誰であるか気づくことは出来ないと思う。全く意味の無い行為ではあるが、ちょっとしたいたずら心と、久しく忘れていた欲求、ただ目の前にあるボタンを押したいという純粋な欲求が私の手を動かしていた。

ピンポーン

ボタンを押したと同時に、その場にいた者全てにボタンが押されたというその事実が知らされた。

そしてアナウンス。

『次、とまります』

ふ……ふふふはははっ

押した。ついに押してやった。

次は終点なのに、バスの「とまります」ボタンを押してやったぜいえーい。

 

……小さいです。
あまりの小ささに笑ってしまいます。私。

 

※ 的を射る
読者”公式認定はらたまにあ”あらきさんよりご指摘をいただきました。

良く間違えられているが、的は「射る」ものなのでこちらが正しい。
これからは誤字等のご指摘は全て訂正し、残しておこう。そうだそうだそうしよう。

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