4k77:うぉ
遂にこの時がやって来た。 聞くところによると人は皆4歳くらいまでの間、胎児であった頃の記憶、出産時の記憶を持っているという説があるそうだ。我々が胎児・出産時の事を思い出せないのは、4歳前後になると脳から分泌されるホルモンか何かの働きによって、その記憶が消されているからであると。 サイトの常連であるNS課長の息子さん、MS君は自分が生まれる前後の記憶を問われて、 「とうちゃん、泣いとった」 と答えたそうである。 ちなみにNS課長は泣き虫ではないし、酒はよく飲むが泣き上戸でも無い。NS課長から「実際に(息子さんの)出産前後に奥さんの前で泣いた覚えがあるので驚いた」という体験談を聞いた私は絶対に自分の子供でも試してみようと心に誓ったのであった。 そして現在。 「なあ、P。聞きたいことがあるんだけど」 オウム返しなのである。 何、これくらいは想定済み。しつこく聞くのである。 「生まれた時の事でもいいから、教えてよ。覚えてないん?」 何。まさかもうホルモンが分泌されているというのか。早熟な娘だと思ってはいたが(単に体がでかいだけともいう)、もう手遅れなのか。 仕方が無い、日を改めて再度挑戦するのである。 「P、父ちゃんに教えてくれ。母ちゃんのお腹の中ってどんな感じだった?」 母の胎内でよほど楽しい事でもあったのだろうか、それ以来Pはこの質問をしても『うぉ』と言う以外は笑うばかりで答えをくれないのであった。やはり笑いが止まらないほどの甘美極まりない記憶なのか。 仕方が無い。日を改めてまた挑戦したのである。 「P、じゃあ生まれた時のこと教えてよ。母ちゃんのお腹から出てきた後、父ちゃんに会ったよね。覚えてる?」 また『うぉ』か。一体なんなのだ『うぉ』って。 やむを得ない。ここまで再現性があるとなると娘の答えは『うぉ』で表現される何かであると認めるより他あるまい。 「魚(うぉ)」であるということかも知れない。 太古、人類の祖先をどんどんさかのぼっていくと魚類に行き着くという。脊椎動物以前はこの際無視しよう。 母の胎内にて胎児は魚の様な姿から進化の形態を経て人間として生まれてくるという。きっと娘は自分が魚であった頃の記憶を私に伝えたのだろう。へらへら笑っているし、きっと楽しかったに違いない。甘美なる記憶なのだ。うぉ生活。 しかし、生まれた時の記憶も『うぉ』であるというのはどういうことであろうか。娘は生まれた瞬間、すでに魚では無かったはずだ。 この場合の『うぉ』は難産であった自らの誕生を振り返った娘なりの気持ちなのではないかと推測する。 実はこの質問、一度しか聞いてはいけないという話もあるようなので(おそらく子供が質問の中からヒントを得てしまうといった事があるからだろう)、もう駄目かもしれない。 次も質問には気を使おう。今度は3歳になったときに「『うぉ』って何?」と聞くことにしようか。表現力もついているだろうし何らかの答えが期待できるはず。 なんだかんだで、まだ諦めないのであった。 |
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