4k82:両腕に時計その2 〜あなたとわたしの時間

 

あの時以来、私の両腕には時計がついている。

右腕には私の時間、左腕にはあなたの時間。

「これで会えなくなる訳じゃないから」

あなたは言ったけれど、今度会う時にあなたはわたしを見てなんて言うかしら?

結局、わたしは置いて行かれた。あなたはわたしから逃げていったのだと思う。

でも実際に置いていくことになるのはわたしの方。そうなるはずだとあなたは思っているでしょうね。

今日も晴れた河川敷をポールと一緒に散歩する。
どこまでも高い、そして深い、青い空。
あの時以来、じっと空を見上げる癖がついてしまった私を待ちきれず、ポールは先を急いて引き綱をぐいぐい引っ張っていく。
あなたが旅立つ前、私に押しつけた犬。生まれたばかりの子犬だったのに、もう10歳になろうとしている。
今まで世話を一切していなかったので、私には全くなついていないのだけれど、こうして散歩に出かけるのは大好きなようだ。

突然、川沿いに生えている草が一斉に方向を変え、緑色の波となって私とポールを押し戻そうとする。強い向かい風が吹いてきたのだ。
私は目を細め、右手で帽子を押さえながらそれでも風の吹いてくる方をじっと見た。

川下の方向、ずっと遠く、海に近いところ。そこに空港がある。
今日も一筋の光条が空港から空に向けて延びていくところだ。いつしか、ここから空港を眺めるのが私の日課となっていた。

あそこにはきっとあの頃のわたしと同じ気持ちであの光を見ている人がいるんだろう。

あなたはわたしを置いて、家族も友人も全て置いて、実験に参加した。

光速飛行実験。光速に近い速度で他の恒星系へと旅立つための有人飛行実験は過去に数回行われていて、既に帰還している参加者もいる。人体への影響はかなり調べられていて、健康への悪影響は極めて少ないということだった。
誰に相談することもなく、あなたはその実験に参加することを決めたのだった。
地上にいる人々の10分の1のスピードで進む時間の流れに身をゆだねることを決めたあなたは、私との別れを望んでいたに違いない。何しろ実験に費やされる約10年間の間に私は40歳になる。その間、光速に近い速度で実験に参加しているあなたは1年分の時間しか経験しないのに。

目を輝かせて人類の未来について語るあなたを冷めた気持ちで見ていたのに気が付いた?
あの時、あなたの話をわたしがどんな気持ちで聞いていたか。
わたしは必ず一人であなたを待ち続けて、そして全てぶちまけてやろう。そう決めた。

その時から、私の左腕には約10分の1の速さで進む、「あなたの時間」を刻む腕時計がついている。じっと見ていると気が狂いそうなほどに、遅い。

ポールに引っ張られ、仕方なく歩きながら左腕の時計を見た。

左腕につけた「あなたの時間」はあと13時間48分と12秒。
右腕につけた「わたしの時間」であと6日ほどすればあなたは帰ってくる。

あの時と変わらない笑顔のあなたをわたしは出迎えるつもり。

あの時と同じ笑顔で。

9年間を冷凍睡眠(コールドスリープ)で眠り続けたわたしが。

 

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