4k90:中継ぎ三番手の約束
マウンド上でまたしても俺は迷っていた。 約束をしてしまったのだ。 「ねえ、本当に三振にとれる?」 病室というのはあまり気持ちの良い場所では無い。白い壁、白い天井、リノリウムの床、白いパイプの枠が張り巡らされたベッド。 重い病気なのだと少年の母親から聞いた。来週には手術が行なわれるのだという。 「本当は野球の話なんてしたくないんんです。でもあの子は毎日貴方の話ばかりして」 気にしなければならないのは俺の方だ。 少年は野球をやっていたらしい。 右投げだが俺を真似たサイドスローだという。感心はしないが、悪い気はしない。 「見てろ。明日はビッグガイズ戦だ。あいつとの対戦もきっとある」 「いっつも打たれてるけど」 「大丈夫だ。今の俺には新しいウイニング・ショットがある」 それは俺のワイルドピッチを激増させてくれたフォークボールだ。 「ずっとテレビで見てるよ。試合、出られるといいね」 こいつ、痛いところをついてきたな。 「大丈夫。打線もそこそこ調子がいいし、勝てそうな展開にもなるだろ」 「負け試合で敗戦処理でもいいよ」 実はそっちの方が確率が高そうな気がしたが、俺は苦笑いで答えるしかなかった。 あの少年に希望を与える。 待ちに待ったビックガイズ戦。 奴の打順。ランナーはいないが、ブルペンにいた俺にお呼びがかかった。 来た。約束の場面だ。 敗戦処理そのものの様な気がするが、そんなことは関係ない。約束通り三振にとる。少年に希望を与えてやるのだ。
俺が放った初球のストレートは美しい放物線を描きレフトスタンド上段にいるビックガイズファンを歓喜させた。 俺は自分の腑甲斐なさに、生まれて初めてマウンド上で声をあげて泣いた。
「しょうがないなあ。僕は来週手術があるから、その後の試合でいいよ」 「わかった。まかせとけ。今度こそ必ず三振にとるから!」 「今度は初球、思い切ってフォークから入ってみたら?」 「う。しかし……」 「その優柔不断な性格もなんとかした方がいいと思うよ」 「耳の痛い事をはっきり言う奴だな」 「ピッチャーには自信と思い切りが必要だよ。だから僕も手術に迷いは無いね」 ――果たしてこの少年に励ましは必要なのだろうか。俺の方が励まされてしまった。
病院を出た俺は車の中で、少年と再会できる事を祈りつつ次回の配球を考えていた。俺にできる事はそれくらいしか無い。 ああ今度はどうしよう。初球はフォークかなあ。
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