4k93:中継ぎ三番手の一撃
いつもの事ではあるが、俺は迷っていた。
カーブか? ストレートか? 今、マウンドに立っている中継ぎ三番手の男はもともとコントロールがよろしくないだけに、ここはキリ良く終わらせるため、ストレートが無難だと考えるだろう。ここはやはりストレート狙いか。
スコアボードには「.500」との表示。 これは俺の打率だ。二打数一安打。
そう。俺は今、滅多に立つことの無い場所、バッターボックスに立っている。
今、マウンドに立っている男は俺と同じく中継ぎ三番手(くらい)。 どうにも頼り無さそうな、今にも打たれそうな、泣きそうな顔に見える。打席から見ると俺もこんな感じに見えるのだろうか。そら打たれるわ。
ここまでの打席数がたったの2回であるのは実に当然のことであって、敗戦処理か極端に左投手に弱い打者に対するワンポイントでしか登板の機会が無い俺は打撃についてもチームの信頼を得る機会は無い。 そんな俺が打席に立つことがあるとすれば、丁度今日のように、ブルースターズ打線がありえない繋がりでもって考えられない点差を追いつき、さらにそんな時に俺がその回を抑えていないといけないという極めて希少な場合でしかないわけで、そういう意味で今のこの打席はとても貴重なのであった。
さらに貴重なところとして、今はまだ同点である。 珍しくこの回の表を俺が抑えているので、ここで点を取ることができれば俺に勝ち投手の権利が転がり込むのだ。
勝ち投手。
プロ入りしてまだ2勝。それも新人の頃(そのときはまだ少し期待されていた)、先発して味方の大量点に守られながらの(これもまた珍しい)もので、前回の勝ちが一体いつなのかも忘れてしまうほどだ。第一、前回先発したのっていつよ。
さらにさらに今回は自らのバットで勝ちを拾うチャンス。 今回に限って、我がブルースターズは代打をほぼ使い切っているのだ。 現在12対12。総力戦の中で代打、守備固めと野手を使いまくったブルースターズは2アウトの今、俺にスカッと三振してもらって、次の回に1番打者からスタートし、次のチャンスに残りの戦力を使った方が良いと判断したようだ。 こんなに気楽な打席は無くて、俺にとっては三振して当たり前。投げる方は投手に打たれるわけにはいかず、さっさと終わらせてしまいたい場面なのだ。
ここで俺は密かに闘志を燃やしていた。今燃やさずにいつ燃やす。 俺はこう見えても高校時代は3番を打っていたのだ。 打撃練習ではたまにフルスイングして柵越えもある。 2打数1安打のヒット1本は左中間を深々と破るフェンス直撃のツーベースだ。 まあ以上のようなことは誰も覚えちゃいないが、それでこそ奇襲をうつチャンスでもあるといえる。
さて、ぼやっと考えている間に打席につかなければならなくなった。
打席に入る前にチラとキャッチャーを見る。 キャッチャーはこちらの様子を伺っている可能性が高いので、限りなく殺気を減らし(これ重要)、打ち気の無い、やる気ゼロを装っておく。これ以降キャッチャーの顔は見ないようにしておく(これ重要)。 ピッチャーをチラと見る。 ブルースターズの猛攻を受け、敵さんの何度目かの交代で出てきた男だ。投手交代を繰り返してネタが尽きたか、俺と同じような立場の男が出てきたのだ。 まだ同点だというのに、滅多に見られないブルースターズ打線の連打を食らった後で、少し顔は青ざめているように見える。 きっと今はホッとしているに違いない。
一球目。 あ。という間にボールはミットに吸い込まれた。 ぱあん、という乾いた音がして審判が高らかにストライクと告げた。 いやいやなかなかいいカーブだった。 関心している場合ではない。結構いいコントロールしているのじゃないか、こいつ。割ときわどいところに決まったな。
少し考える。 キャッチャーの方は見ないようにする。 殺気は出さない(しつこいようだがこれ重要)。 ピッチャーを見てみると、少し顔色が良くなったようだ。 いい感じ。 油断している奴は二球目、おそらくはストレートを放ってくるに違いない。 先ほどのカーブはおそらくど真ん中を狙って、偶然いいところに決まっただけの事だ。もともとコントロールがよろしくないだけに、ここはキリ良く俺でこの回を終わらせるため、ストレートでカウントを稼ぐのが良いと考えるだろう。
俺を舐めきっているであろう敵バッテリーをだまくらかし、カウントを取りに来たストレートをフルスイングする。 見てろよ。うまくいけば勝ち投手だ。
打席でもう少し考える。 チラとベンチを見る。
見るじゃなかった!
三振しろのサインが出ている。
信じられないことであるが、三振のサインなどが存在し、今俺に向かって出されているのだ。 万年Bクラスは必然だ。ブルースターズよ! (防御率8点台の中継ぎ三番手に言われたくはないだろうが)
しまった。これは想定していなかった。 この回をキリ良く終わらせたいと思っているのは敵さんだけでは無かったのだった。 (攻撃面での)戦力を使い果たしたブルースターズは、この回はキリ良く俺で終わり、次の回で一番から始めたいと考えているようだ。
ええい見なかったことにしよう。 このまま命令に従って三振したところで俺にとっていいことは一つも無い。 おそらく同点になって勝負がわからなくなったところなので、次の回も俺が投げる事は無いだろう。ブルペンでは既に3人ほどが投球練習に入っているはずだ。
打つことに集中しろ俺。 フルスイングするんだ。打球がスタンドインするところだけをイメージしろ。きっと打てる。俺なら打てる。俺なら飛ばせる。ヒーローは俺だ。もっと燃えろ俺!
……キャッチャーと目が合ってしまった。
しまった。ここに来て殺気が表に出てしまっていたか。
バッテリーは急に慌しくサインを交換しだし、ピッチャーは首まで振る始末。 ああなんてことをしてしまったのか。 千載一遇のチャンスを逃してしまったかも。
ここで二球目。 とりあえず気の無い感じで空振りをしてみた。
ベンチに対しても素直に命令に従うことになるし、敵バッテリーに対しても、もう一度騙しにかかることになる空振りを選択。俺が一瞬の間に考えたにしては合理的な判断。
空振りの後、軽くバランスを崩す振りをしてバッターボックスを出る。 少し考える時間が必要だ。 振り返って様子を伺ってみる。
……キャッチャーがじっとこっちを見ている。
これはもう誤魔化すことは出来まい。 俺が密かに打ち気満々であったことは既にばれてしまった。 こうなったら真剣勝負だ。 あと一球の賭けにでるしかない。 カウントは2−0なので一球勝負なのは俺だけなのだが。
ストレートか。カーブか。
いやフォークだ。
打ち気満々の俺に対して空振りを狙ってくるかも知れない。 しかも投手である俺に対しては変化球が無難だろう。 カーブは一球見せている。ここはフォークに一発山を張ってやる。 千載一遇が万載一遇くらいになってしまったが、滅多に無いチャンスには変わりない。やってやる。サインは引き続き無視!
三球目。 カーブが外に外れてカウントは2−1。 打ち気満々の俺を一応警戒してきたのか、一球外してきた。 ベンチは二球目の俺のスイングを見て安心しているのか、一球見逃した俺をとがめる雰囲気は無い。良しまだいけるな。 キャッチャーは――もう見ないようにしておこう。 それよりもピッチャーの目だけを見ておくことにする。どうだ。フォークか? フォークを放りたいか?
四球目! 真ん中低めに失速ぎみに落ちてきた中途半端なフォークを俺は思い切りひっぱたいた。
高々と上がった打球は風に乗り……。
翌日、俺は病院の一室にいた。 心臓の手術を無事に終えて集中治療室から出た少年の病室を訪れた俺は、少年に向かって懸命に弁明していた。
「あれは間違いない。ホームランだったんだって!」 「もうわかったよ。でもあそこであんなにムキにならなくっても」
俺が放った打球はライトのポール際すれすれ、フェンスとポールの角にスポっとはまるかと思うほどに絶妙な位置にあたり、ファールグラウンド側に落ちた。
審判はファールの判定。
猛然と審判に食って掛かる俺を審判は退場とし、その回はそのまま同点。試合は追加点をあげることができなかったブルースターズが13−12で負けた。 サインを無視した俺をチームは助けなかった。
「おいおい。一体俺が誰のためにあれだけムキになったと思ってるんだ?」 「ひょっとして僕のため?」 「お前との賭けに勝つためだよ」
少年と俺は賭けをしていた。 少年が退院したら。 俺が今シーズン1勝したら。
手術直前、弱気になった少年に対し、俺はブルースターズのホームゲーム年間予約シートを約束したのだった。
実際のところは賭けになっていない(どちらにしても俺は負けなければならない)のだが……。 そう、俺はムキになっていたのだった。
「だったら、ピッチングで1勝してよ。あそこでホームラン打つことは無いんだって」 「む。それはそうだが……」
まあまあいつもすみませんといいながら少年の母親がお茶を入れてくれた。 お茶をいただきつつ、俺はやはり打撃練習をもう少しやっておかなければならんなあと、正反対の事を考えていたりするのだった。
いや、あれは確かにホームランだったんだがなあ。
あーもう。
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