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ベトナム/カンボジア旅行記

 

 「サイゴンは悲しくて軽薄で罪深い都である。
           −開高健『ベトナム戦記』−


第1話 ホーチミンでの初めての夜

ホーチミンのタン・ソン・ニャット空港には定刻より10分ほど早く、夕方6時過ぎに着陸した。気温摂氏30度。関西空港を飛び立つときには6度だったから、さすがに暑く感じる。しかし、マレーシアなどのような不快な湿度は感じない。日本を立つ前に着ていた厚手のジャンパーが、ここまで来てはお荷物だ。迎えの林(リン)というガイドが、税関を難なく抜けて外に出た私を見つけて声をかけてきた。

今夜泊まるホテルは旧大統領官邸とベン・タイン市場のすぐそばにある「新皇玉2飯店(Tan Hoang Ngoc 2)」<52 Thu Khoa Huan Str.,Ward Ben Thanh, 1St Dist.,HCM Cityだ。このあたりでは、新興の事業家がどんどん新しいスタイルのホテルを建設している。このホテルも出来てまだそう月日がたっていない。オーナーはベトナム人だが経営者は台湾人だと聞いた。間口が狭く、大きさから言えば中堅どころのホテルだが、中の部屋は真新しくバスタブもちゃんとあって、暑いお湯がいつでも出る。

ここでいきなりちょっとしたトラブルに見舞われた。鍵を渡されて自分で荷物を持ち(ベルボーイなどはいない)エレベーターで6階に上がったのだが、フロアには電気がついておらず真っ暗。部屋のドアの上にあるプレートの部屋番号がまったく読み取れない。フロアには部屋が3つしかない。ひとつは先客がいるようだったから、残る2つのうちのどちらかが自分にあてがわれた部屋だということはわかる。暗い中で鍵穴にキーを挿し込んだりしながらしばらく悪戦苦闘したがうまくいかない。実は間抜けなことに、自分の部屋には鍵がかかっておらず、ノブを軽く押せばドアが開くことがほどなくわかった。
 部屋は入り口のそばのキーボックスにキーを差し込むとマスター電源が入る仕組みになっている(この手の部屋がベトナムでは多いことがわかった)。しかし、キーを何度差し込んでも電気がつかない。しばらく、やってみて結局諦めて人を呼ぶことにした。誰の部屋かわからないところに荷物を置いておくわけにもいかず、やれやれもう一度荷物を抱えたままフロントに行き、居合わせた男性従業員を連れて部屋に引き返したという醜態だった。

旅装を解いて、夜9時少し前に林というガイドと軽い食事をすることになった。このガイドは観光施設を案内して回る免許を持った公式ガイドではない。空港からホテルまでの接遇をするガイドで単純に言えば世話係という立場。日本にいる知り合いの台湾人男性が、なにかあるといけないということで手配してくれた。日本語を話す中国人である。彼が、ほかに日本から二名のグループ客を受け入れており、ホテルも同じだったので、袖擦りあう縁でその人々と一緒に食事をすることになった。彼らはほぼ毎月ベトナムに来ていることをはじめて知った。

私以外の3人が知っているというので、居酒屋「ろばた」<29A  Le Thanh Ton ? HCM Cityというところに行くことにした。カウンターに椅子席が3つほどあり、雰囲気としてはすし屋さん。オーナーの大谷津行良さんという人が、挨拶にわれわれの席に来た。アオザイを着たベトナムの若い女性ふたりが働いている。このアオザイは日本でいえばいわば割烹料理屋さんの和服ということになるだろうか。日本料理屋は給料が高いということで、若い女性には人気である。競争が激しいということもあるのか、美人女性が多い気がする。

そのあと、ぜひにと誘われ「VIP」CLUB<32 Bis Nguyea Thi DieuP6, Q.3 ? TP. HCM というところに行った。それだけでは収まらず、そのあとベトナム最高級のクラブ「ホテルニューワールド」1階のディスコをはしごした。ほかの二人もガイドもここの常連らしい雰囲気だった。遊び方がとにかく派手で、チップがどんどん飛び交う様を目にしてちょっと気後れし、疲れていることもあり私だけホテルに送ってもらって帰った。彼らはこのあとまた別なディスコに行ったとあとで聞いた。到着したその日の夜から食事を入れて四軒もはしごするとは。帰りは3時半だったとか。いろんなベトナム観光の仕方もあるものだと思ったが、ベトナムビギナーの私にはちょっと抵抗を感じた。

第2話に続く

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