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ベトナム/カンボジア旅行記

第2話 ホーチミン市内散策

「おはようございます。天生智です」
 ロビーに降りた私を、明るい声が迎えてくれた。約束の8時30分定刻に、現地の旅行会社「APEX」が派遣したガイドはホテルのロビーで待っていた。青年は、つやのいい浅黒い肌をしていた。おでこがやけに広い。(これが生粋のベトナム人か)私は今までに出会ったことのないその顔立ちに、「異民族」を強く印象付けられていた。あとでわかるのだが、彼は今は一少数民族に留まってはいるが、かつてチャンパ王国を形成し隆盛を誇った「チャム族」だったのだ。

 1階のロビーの横に形ばかりあしらえたレストランで、朝食に白粥とオムレツ、それにココナッツジュースを食べた。食事を取りながら、そのガイドと今日一日の観光スケジュールをおおまかに確認しあった。

こんなところにまで来て言うのはおかしいだろうが、正直いって私は「観光」とか「名所めぐり」というものにさほど興味がない人間だ。人々の働く姿や道行く人々の表情にむしろ関心が強い。旅の心は、赤瀬川源平風に言えば「路上観察」なのである。だから、どこに行くかなどはいつも成り行きまかせでいいと考えていた。かつてインドネシアとマレーシアを旅したとき、なるべく効率よくスケジュールをこなそうとして日の高い時間にもあくせく歩き回ったことがあったのだが、そのとき軽い熱射病にかかったらしくおまけにスモッグをかなり吸い込んだようで、とうとう帰国した日に倒れて入院する騒ぎがあった。だから、南方に行くときにはまずその日の体調を考え無理をせず、場合によっては予定をいつでもキャンセルする覚悟をして旅するよう心がけてきた。
 しかし、本日雇われたガイド「チー君」は、元国営サイゴン・ツーリストの公式ガイドだった。日本語のみならずきちんと歴史の勉強をして外国人にかいつまんで説明する訓練を積んでいる。いかに客がチャランポランでも、それなりに名所旧跡に案内して、難しい歴史の断片を解説しなければ気がおさまらないという顔をしていた。

 確かに、30歳というそのチー君は、なかなか理知的な顔をしていた。ホーチミンで最も難しいとされる「サイゴン医科大学」にいったん入学したが、医学は自分に合わないことがわかり二年でやめ、これも難関といわれる「サイゴン経済大学」に編入した。卒業後すぐに日本政府の招きで名古屋に留学、日本語と日本企業の仕事のやり方を学ぶため留学終了後そのまま日本企業に就職。五年前にサイゴンに戻ったばかりだという。日本流に言えば「おでこの広さ」がそのあたりを物語っている。

その彼とクルマで回ったコースは、ざっと以下のような次第。
 まず
チョロン地区と「ビン・タイ市場」。日用雑貨品のたぐいが多い。商品のほとんどが、先進国のブランドの「コピー品」だと聞いた。買っても数日ないし数週間もすると壊れたり傷んだりするという。地元の人間でも、値段よりは品質に関心があるという人は行かない場所だと聞いた。
 次に
中国寺院。彼も名前はうろ覚えだったので、観光スポットとしてはさほど重要ではないのかもしれない。だから名前は不明。ベトナム人も中国人も大多数は仏教徒だ。しかし、中国人が「お寺詣で」が好きなのと対照的に、ベトナム人は寺にはあまり行かない。この寺院は、はるか昔ベトナムにやってきた中国人が、お金を出し合って建立したものだという。よく見ると随所に細かい彫刻の細工が施してあって面白い。頭上を見上げると三角錐の渦巻状のものが天井からいくつもぶら下がっている。
 「線香です。約三日でなくなります」
 私の目線を読み取って、チー君が説明してくれた。そういえば、中国寺院にはさまざまな線香の種類があって、どこに行ってもそれを焚く煙でもうもうとしていたっけなあ。
 それから
「ベン・タイン市場」。物の豊富さに圧倒される。不思議なのは、商品の細かいカテゴリーごとに店が固まっていることだ。草履だったら草履。つば付き帽子だったらつば付き帽子というようにである。決して「履き物屋」とか「帽子屋」という品揃えではないのだ。まるで異常繁殖した昆虫の卵のように、店や軒先に同じような草履が所狭しと並べられ、山積みされ、ぶら下がっている。ひとつの店がそんな構えで、市場の一角に同じ品物を売る店がずらりと並んで様には圧倒される。
 途中ぜひにと言われ、なぜか
チー君の自宅兼香木店に立ち寄る。鍵のかかったショーケースの中には、自然のまま掘り出してきた香木が宝飾品のように並べられている。日本のお寺のお坊さんが上得意だという。ここで、奥から出してきた700グラムの伽羅を二点見せられ、かけらをライターで焚き「聞香」させてくれた。(チャム族らしいな)と、改めて思った。香木は、ベトナム中部の山岳地帯の特産(といっても見つかる確率は少ないが)で、そのあたりはチャンパ遺跡でも知られるチャム族の住む地域だった。
 それから、
サイゴン大教会堂に足を伸ばす。この教会は日曜日しか開かないという。あいにく月曜日だから、この日は門をかたく閉ざしていた。中央郵便局。中に足を踏み入れると、薄暗い明かりのなかで、正面の壁にベトナム解放運動の指導者「ホー爺さん(ホー・チミン)」の肖像画がかかっていおり、やさしく市民に語りかけるように見えた。ドン・コイ通り。一流のブランドショップが並ぶ。欧米の観光客を当てこんだ新しいスタイルのカフェなどもたくさんある。しかし、道は片側1車線で狭いから、銀座あたりの目抜き通りを想像すると誤解を招く。代官山のような道や軒が迫った感じだ。大教会堂を背にして通りを歩くと、終点の右手にマジェスティック・ホテルがある。その先がサイゴン川沿い。川はきたない。川に沿って公園のような部分があるが、ここには麻薬中毒患者が空ろな目をして座りこんでいる。ガイドも危険だから近づかないようにといった。だから川べりまではいけない。30度もある気温のなかで、中年の女性が不自然に厚手のコートのようなものを着て、キャスター付きの旅行かばんをもって立っている。何やらしきりに携帯電話で話し込んでいる。麻薬の売人だ。旧国会議事堂周辺のカフェで昼食。食後近くにあったサイゴン最大の本屋さんに立ち寄る。そして旧大統領官邸。日も高くなり、そろそろ私は観光に飽きてきた。ベトナムの首都とはいえ、初心者向けの観光コースをひととおりクルマで回れば、半日もかからない。そこで、チー君にお願いして、「真面目系」のベトナム式マッサージ&サウナに駆け込む。台湾式マッサージに少し似ている。ただし蒸しタオルはない。けっこう力が強くて気持が良かった。

 ホーチミン市内はひととおり見て歩いただろうから、「観光」のつづきは翌日に回し、もう今日のガイドはこれでいいと断って、午後3時半頃ホテルに帰り一休み。
デジタルカメラ「KODAK215ZOOM」の撮ったばかりの画像を愛機IBM「THINKPAD535」に取り込んでサイズダウンさせJPGファイルなどをこしらえているうちに夜7時くらいになってしまった。
 9時くらいにホテルの回りをひとりで散歩し、日本料理「南蛮亭」<37Nguyen Trung Truc St., Dist.1 HCM Cityで寿司を食べた。
 今日一日の「観光」を振り返ってみた。ガイドブックに書いてあることを、生で確認しただけという感じだったが、まあ初日はそんなものでしょう、などと妙に冷めた総括をした。

 ベトナムの人々は早起きだ。会社は通常7時30分から始まる。そういえば朝ホテルを出たらもう町は人でいっぱいだったことを思い出した。チー君の説明によれば、仕事がないから人が町に溢れ出るのだという。会社や仕事に出かけるための雑踏では必ずしもないらしい。
この国の完全失業率は約25%だという。景気は年々ひどくなるし、所得格差も拡大する一方だとのこと。そういえば、正月(2月5日)前だというのに市場もいま一つ活気に欠けているように見えた。レストランなども空席がほとんどだった。
 勤勉な国民だが、日差しの高い11時30分から13時30分まで長い昼休みをとる。自営で商売をやっている人は、いちおう「昼休み中」のプレートをドアのそばに出すが客がいれば休みを中断して接客する。しかし、公務員や会社員は完全に休むそうだ。
 昨夜遅く初めてのサイゴンの夜を体験したとき、日曜日だというのにおびただしい数のバイクが町に繰り出していた。いろんな年代のカップルが、おしゃれをして街中をあてもなくツーリングしている。彼らは何の目的もなくただ走りまわっているだけなのだそうだ。ただ、身体を切る風はなんともいえず心地よい。翌日私は、チー君のバイクの後ろに乗せてもらい、夜のツーリングの気持ちのよさを生まれて初めて体験することになる。


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