交通ルール?


2003年10月31日(金曜日)の午前10時を少し回った頃のこと、新潟市五十嵐3の町にある下宿を出て国道402号線を横断し、反対側にある歩道を大学方面へと歩いていると、信号機を左に曲がったところの左車線で、自動車が2台、中途半端に停まっていた。いぶかしく思いながら周りに目をやると、反対車線の小路から出て来たN社のS車が右折ランプを出し、停止線を僅かに越えて停まっていた。2台の自動車の先頭にいる軽自動車は右折ランプを出し、その小路に入ろうとしているようであった。

反対車線の往来橋方面からは自動車が全く来ていないので、一般的な交通状況に照らし合わせると、これは「軽自動車がS車を先に行かせてから右折しようとしている」という場面であった。S車には年配の老夫婦が、軽自動車には30代前半くらいの女性が乗っていた。私の判断では「S車に50cmくらいバックしてもらって、ぎりぎりで軽自動車が曲がれるかどうか」といったところであった。ドライバー心理からすれば「S車が先に行ってくれなければ、その小路の狭い道には入れない」と思う。

見かねて、そのS車に「先に行くように」と言おうとしたそのとき、ドアを開けて年配の男性が自動車の外に出て来て、軽自動車を運転している女性に「こっちはルールを守って運転してるんだ。そっちが優先車線だろう。早く曲がれ。後ろが、つっかえてるじゃないか!!」と、自分には非がないとばかりに、威圧的な態度で怒鳴ったのである(1)。女性は「これはルールではなく、譲り合いです」と応戦していたのだが、後ろに7〜8台の自動車が連なっている状況に気付いたのか、右折することをやめて、そのまま直進してしまったのである。

女性が可哀想になった。これは、どうみても男性のほうが悪い。交通ルールは事故を無くし、自動車の流れをスムーズにするために存在するものである。杓子定規に守れば済むような代物ではない。この男性の歩んできた人生をあれこれと考えながら「こういう人間には決してなるまい」との誓いを新たにして、いつもの通り道を大学へと急ぐのであった。

[脚注]
(1) 私は、自分の父親が威圧的に振る舞うのをみたことがない。黙々と仕事をし、背中で語ることの出来る父親であった。そのような家庭環境で、育ったのである。だから、私自身、威圧的に振る舞うことは出来ないし、なんでもかんでも威圧的な態度に出る人には、嫌悪感を覚えてならない。昨今、増加傾向にある他人の心の痛みの分からない人間は、発達障害で無ければ、育った家庭環境に問題があるのではないだろうか?


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