アスペルガー症候群


アスペルガー症候群の症状を示す人が同じ下宿にいると、周りの人々は大変である。本人には「他人に迷惑をかけている」という自覚がないから、なおさら始末に負えない。

2006年2月18日(土曜日)の午前10時30分頃、下宿の大家が大掛かりなトイレ掃除をしていた。これは、1階の住人なのに2階のトイレを使用することに何の疑問も持たない○○さんに、1階のトイレを使用してもらうための苦肉の策であった。もう3年以上も前の話だが、1階に2つある共同トイレの片方の床に、誰かが大便を垂れ流して放置する事件があった。そのとき、運悪く、もう片方のトイレも余り綺麗な状態ではなかった。それを見た彼は「もう1階のトイレは使えない」と思い込み、それ以来ずっと2階のトイレを使用していたわけである。

2階に2つあるトイレの片方には何年も前から「故障」の貼り紙があり、現在、使用可能なトイレは1つだけである。そのトイレを○○さんは、わざわざ階段を昇って来てまで使用しているわけである。ところが、私より年輩ということもあってか、彼は夜中、何度もトイレに起きて来る。下宿の他の住人は全員がスリッパを履いているのに、彼だけはサンダル履きで、これをバタバタと響かせながら階段を昇って来ては、トイレのドアをバタンと閉めるのである。築30年くらいの古い下宿だから音が響くのは当然で、2階の住人である私なんかは、この騒音で何度、目覚めたかしれない(1)。

こういった状態が3年以上も続いていたわけで、下宿の大家に「○○さんの行為が迷惑だ」ということは幾度となく伝えてある。直接、本人に伝えないのは、もう彼とは関わり合いになりたくないからである(こう書けば、賢明な読者なら、彼が誰なのかは分かるはずである)。ところが、下宿の大家も彼とは余り関わり合いになりたくないようで、やんわりと諭すようなことは言ったらしいのだが、実質的には黙認状態が続いていたわけである(2)。

2月15日(水曜日)、思い切って動くことにした。大学に出かける前に「○○さんが2階のトイレを使わないように、(玄関先の)黒板に書いて欲しい」と、下宿の大家に頼んだのである。その日、午後8時40分頃に帰宅すると、まだ彼は帰宅しておらず、黒板には大家の字で「1階の人は1階の便所を、2階の人は2階のを使って下さい。お願いします」と書いてあった。さて「これで彼が、どう出るか?」が、見ものである。

それから1時間くらいして帰宅した○○さんが、2階のトイレを使用する音が聞こえたので、1階に降りて玄関先の黒板を見てみると、大家の字が綺麗さっぱりと消されていた。彼が何事もなかったかのように2階のトイレを使い続けるので、さすがの私も堪忍袋の緒が切れてしまった。アスペルガー症候群の特徴のひとつとして「物の位置関係に異常なまでのこだわりを見せる(但し、整頓されている必要はない)」という症状が挙げられる。彼の場合、2階のトイレのスリッパの位置は、常に左側と決まっている。彼に合わせて、私もスリッパを左側に置くようにしていた。この位置をずらすだけで、彼がパニックを起こすことは目に見えていた(3)。

夜中の2時頃、○○さんが2階のトイレを使った後、黒板に書き込む音がしたので、1階に降りて見てみた。黒板には「2階のトイレ、どうしてスリッパの位置を変えるのですか? 明日は、どの位置?」と書いてあった。いい加減、呆れてしまった。1階の住人である彼が、2階のトイレを使わなければ何の問題もないわけで、そのことを彼に理解させる必要があった。彼の書き込みを消し、新たに「2階のトイレ使用禁止 → ○○(少しは他人への迷惑を考えろ)」と書いた。こういった強い口調で注意書きをするのは、数年ぶりであった。

翌16日(木曜日)の朝、起床して黒板を見ると、私の書き込みも綺麗さっぱりと消されていて、2階のトイレには○○さんが使用した形跡があった。こういう人には、もう何を言っても無駄であった。が、一縷(いちる)の望みを託して、下宿の大家と今後の彼への対策を話し合ってから、大学に出かけることにした。午後11時半頃に帰宅すると、まだ彼は帰宅していず、その日は結局、下宿には戻って来なかった。そのときは「忙しくて、研究室に泊まり込んだのかなあ」といったくらいにしか思わなかったのだが、これが翌17日(金曜日)も続いたのである(休学しているのに、相変わらず、研究室には顔を出しているようである)

そうこうするうちに、18日(土曜日)の大家の大掃除である。彼女が言うには「昨日(17日)の夕方4時頃『下宿代を払いたいから』と○○さんが来て、本当は家に上げたくなかったんだけど、近所の人が来て話をしている隙に勝手に上がり込んでしまった。それから2時間くらい話をしていった」とのことで、その詳細を話してくれた。

アスペルガー症候群の特徴のひとつとして「自分の主張を延々と繰り返すだけで、相手の話をまともに聞こうとしないので、ほとんど会話が成立しない」という症状が挙げられる。案の定、○○さんは「羽角さんは、おかしい。トイレのスリッパの位置を変えようとする。おかしくなってることを親に知らせたほうが良いんじゃないか?」と、さも自分が正常であるかのように力説したとのことで、彼がアスペルガーであることを既に知っている大家も、呆れて聞いていたそうである。彼は「自分がアスペルガーであることを必死になって誤魔化そうとするほど、自分で墓穴を掘っている」ということに、気付いていないのかもしれない。彼女は「○○さんは、他のところでも、羽角さんのことを『おかしい』と吹聴しているんじゃないの?」と心配していたが、どうなのだろう? アスペルガー症候群が「見えない障害(知恵遅れを伴わない自閉症)」と称されるように「ちょっと見は普通の人と変わらないので、彼の言うことを信じてしまう人もいるだろう」と考えると、そら恐ろしい気もする。

下宿の大家からの情報で面白かったのは、16日(木曜日)と17日(金曜日)の○○さんの行動である。下宿に戻らなかった16日は、カプセルホテルに泊まったのだそうである。しかも、下宿代を払うのにかこつけて自説を主張しに来た17日には「今日もカプセルホテルに泊まりますから」と、得意げに話したというから呆れる。カプセルホテルなんて、新潟大学(五十嵐キャンパス)の近くにはない。わざわざ10数km離れた街の中心地まで行って、宿泊したことになる。大家も、これを聞いて、彼の異常さを改めて確信したそうである。

でもなあ、こんな形で○○さんのパニックが現れるとは、ちょっと予想できなかったなあ......(4)。

[脚注]
(1) 現在、下宿の2階に住んでいるのは私だけである。1階に住んでいるのは3人だが、そのうちの1人は留守がちなので「実質的に住んでいるのは2人」と言ってもよい。ちょうど、1人に1つずつのトイレが宛てがわれている状況である。ところが、○○さんが2階のトイレしか使わないので、この図式が完全に崩れているわけである。
(2) アスペルガー症候群の特徴のひとつとして「直接的な言い回し以外は理解できない」という症状が挙げられる。遠回しな表現では、幾ら言っても理解できないので、彼にはハッキリと伝えなければならない。
(3) 一応、私も動物行動学者の端くれなので、彼がアスペルガーかどうか確信が持てなかった頃、色々と試してみたことがある。そのひとつが、トイレのスリッパを様々な場所に置いて「彼が、どうなるのか?」を観察することであった。この他にも、玄関先に脱いで左側に揃えてある彼の靴を他の場所に移動し、彼の靴があった場所には他の人の靴を持って来て、彼の反応を試したこともあった。いずれの場合でも、彼はパニックを起こし、靴に関しては他の人の靴を押し退けて、必ず元あった場所に自分の靴を戻すのであった。
(4) アスペルガー症候群の症状を示す人たちの物の考え方を調べてみると、今回の○○さんの行動は、以下のように説明されるのかもしれない。彼の頭の中には「下宿で使えるトイレは2階に1つしかない」という固定観念があり、私から名指しで「2階のトイレ使用禁止」と書かれたことで、彼自身が下宿で使えるトイレが無くなってしまった。そのためパニックを起こし、私の書き込みを消すことで、2階のトイレを使えるようにした。しかし、また「2階のトイレ使用禁止」と書かれるかもしれない。そのため、彼自身が使えるトイレを求めて、カプセルホテルに宿泊することを思い付いた。この推察は、おそらく「当たらずとも遠からず」といったところだろう。


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