不幸中の幸い


こういうのを「不幸中の幸い」と言うのだろう。

2008年12月27日(土曜日)、正月休みで実家に帰省するため、自動車(トヨタのカルディナ)を走らせていた。新潟大学から山形市の実家までは、およそ180kmの道のりである。いつものように、国道7号線の加治川を越えたところから、ロータリーで国道290号線に入った。ここは、国道113号線の関川へと通じるショートカットの道である。ここ1〜2日の降雪で道路上の積雪は多いのに、除雪車が出動していないようで、路面は圧雪状態になっていた。

国道290号線の菅谷を抜け、新潟県胎内市坪穴地内というところを走行中、左カーブの雪道で急にスリップした。と同時にハンドルを右に切って、態勢を立て直すためのカウンターをあてたつもりが、今度はハンドル制御が全く不能になってしまった(FR車を運転していたときの癖で、反射的にカウンターをあててしまう)。右方向へとカーブしたタイヤ痕を雪上に30mほど残したままスーッと滑って行き、反対車線にあるガードレールの端の堅い部分に自動車の左側前面が突き刺さると、それを支点に半回転である。このとき、午後1時59分(1)。

きな臭い匂いがしたので、すぐにエンジンを止め、シートベルトをはずした。次に、体に痛いところがないことを確かめ、左右の安全を確認してから自動車を降りた。このとき、道路の反対車線に自動車1台分が余裕をもって通れる道幅があることを確認し、それから自動車の反対側に回って損傷箇所を調べた。自動車の左前輪タイヤはガードレールの下に食い込み、左側前面はざっくりとエグリ取られた状態で、損傷箇所はエンジン内部にまで到達している可能性が高いようであった。「これは、もう動かないな。幾ら自損事故とは言っても、自動車の任意保険には事故証明が必要だし、自力で処理できるようなものでもない。これは警察を呼ぶしかないな」と考え、携帯電話を取り出した。ここまで要した時間は、およそ2分間である。

ところが、私の携帯電話は「vodafone(現在のソフトバンク)」のため電波状況が悪く、完全な通信圏外であった。ちょうどそのとき新潟方面から1台、新潟方面に向かって3台の自動車が通りかかり、その3台目の自動車が親切にも止まってくれた。そこで「すみません。私の携帯電話が圏外で、警察に連絡できないので、代わりに電話してもらえませんか?」と頼むと、自動車の運転手は快く応じてくれたのであった(2)。

こうして、新潟県警に連絡が入ったのが、午後2時2分。それから15分間ほどで、管轄内にある胎内警察署の車両2台(パトカーと事故処理車)が到着し、警察官3人が降りて来て、現場検証が始まった。まず、運転免許証と車検証の提示を求められ、それに従った。調書を取る警察官は、私の事故状況の説明に対して、最初は詰問口調で問いつめて来た。「雪道でスリップしたのは見れば分かる。こっちはスリップした原因を聞いているんだ。スピードの出し過ぎとか、カーブに気付かなかったとか、何かあるだろう」と......。でも、そう言われてもねえ。私は雪道の走りには慣れているし、ドライバーの感覚としては、カーブに沿って道なりに「普通に」自動車を走らせているだけだから「どう考えて走っていたか?」なんて聞かれても憶えていないし「たまたまスリップしてしまった」としか言い様がないのだが......。また「エアバッグが膨らんでいるのだから、かなりスピードが出ていたんじゃないか?」と言われたが、60km/hも出ていないし、私の体はエアバッグに触れてもいなかった(3)。

事故処理の途中で胎内警察署の警察官から事故車両の処理方法を尋ねられたとき、どれがベストな方法かを考え、車載専用車(事故車両などを積載する専用の車で、レッカー車とウインチ車がある)の出動をお願いした。荷物が少なければ、近くの自動車修理工場まで事故車両を牽引してもらい、その工場に処理を任せることで、そこから列車やバスといった公共交通機関を使って山形の実家に帰ることも可能だったかもしれない。しかし、車内には調査道具を初めとする大量の荷物があり、事故を起こした場所も悪かった。(旧)国鉄が民営化されてJRになった後、新潟〜山形の直通列車は廃止され、胎内市からは在来線の乗り継ぎが不便で、その日の内に実家に帰ることは難しかった(最寄りの駅は、中条)。新潟〜山形の高速バスにルートの途中から乗車することも難しく、乗車するためには一旦、新潟市まで戻って予約する必要があった(しかし、年末のこの時期は既に予約で満席)。他に考えられるのは、レンタカーを借りて帰ることであった。しかし、事故車両の処理など、後々のことを考えると「お金が幾ら掛かっても、ここから山形の実家(の斜め向かいにある掛かり付けの自動車修理工場)まで、およそ120kmの道のりを車載専用車で運んでもらうのがベスト」と判断せざるを得なかったわけである(4)。

こうして、事故処理と取り調べが終わったのが、午後2時51分。車載専用車が到着するまでの時間を利用して撮影したのが、この事故車の写真である。レッカー車への積載が終わったのが、午後3時26分。この間、胎内警察署の警察官には交通整理をしていただき、感謝する次第である。事故現場からレッカー車を所有する(旧)中条町の〇〇車体まで移動し、そこで費用の見積もりと領収書を発行してもらって、最新式のウインチ車への載せ換えが終了したのが、午後4時20分。山形の実家に到着したのが、午後7時17分であった。

事故車はJA共済の車両保険が使えず廃車処分になってしまったが、今回の事故で不幸中の幸いだったのは、対向車がいなかったことと、私自身の体に、かすり傷ひとつ無かったことである。これは、きっと神様が私に「まだ生きろ」と、言ってくれているんだろうと思う。

[脚注]
(1) 調書の記録では、事故発生時刻は「午後1時58分」になっている。これは「普通の人は、事故を起こした後すぐには、警察に連絡することなんて出来ない。事故を起こしてから、だいたい15分間くらい掛かるのが普通」という、警察官の思い込みによるもので、幾ら私が「ガードレールにぶつかってから警察に電話するまで3分間も掛からなかった」と説明しても、まったく取り合ってくれなかったからである。「県警に連絡が入ったのが午後2時2分だから、それより3分間前(に事故を起こした)というのは幾ら何でも早すぎる。4分間前(に事故を起こした)ということで、午後1時58分にしましょう」ということであった。
(2) 新潟県長岡市にある吉野川酒造の方で「仕事を終えて本社に戻る途中で、明日は日曜日で時間に余裕があるし、寒いだろうから」とのことで、その方の自動車の中で警察が来るまで待たせてもらった。「地獄に仏」とは正にこのことで、名刺をいただき、後で充分なお礼はさせてもらった。「情けは他人の為ならず」といったところで、自分で言うのもなんだが、私は他人の恩義には報いる質である。
(3) エアバッグが膨らんだのは、ガードレールの端の堅い部分に自動車が衝突し、そのときの衝撃が強かったせいであると思われる。エアバッグが膨らむ様子も冷静に観察できたし、膨らんだ後すぐに萎(しぼ)むことも分かった。ちなみに、衝突直後に車内に立ちこめた「きな臭い匂い」というのは、どうもエアバッグが膨らんだときに発生するガスの匂いだったようである。
(4) 掛かった費用は105,000円であった(基本料金: 18,000円。作業料金: 10,000円。車載専用車利用料金120km: 72,000円。消費税: 5,000円)。ちょうど、私の一ケ月分の生活費が飛んだ計算になる。


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