ベルリンの壁


私たち日本人にとって「ベルリン」と言えば、最近では、ベルリンマラソンの平和な光景を思い浮かべる人が多いに違いない。2001年のベルリンマラソンで、高橋尚子選手が、当時の女子マラソン世界最高記録をたたき出したことは、記憶に新しい。かつて東西両ベルリンの境にあったブランデンブルク門も、このベルリンマラソンで有名になった場所のひとつだろう。でも、私にとってのベルリンは、やはり研究との絡みでしかない。

1989年11月9日、東西の冷戦構造が崩れ、ベルリンの壁も崩れた(1)。その直後、ある学術論文の校正刷りが航空便で私の元へ届けられ、引用文献のひとつが編集者の手によって赤ペンで修正されているのを目の当たりにしたとき、私も壁の崩壊といったものを漸く実感できたのである。

具体的には、米国で発行されている国際専門誌「Copeia」に掲載された論文(Hasumi et al., 1990)の、とある引用文献の記載のことである(下記)。これが「West Germany」から「Germany」へと修正され、編集者の「もうWestは要らない」という誇らしげなコメントが、妙に印象的であった。

Mann, T. 1984. Spermatophores. Springer-Verlag, Berlin, Germany.

[脚注]
(1) 現在のドイツの首都であるベルリン(Berlin)は、当時の東ドイツ=ドイツ民主共和国(DDR: Deutsche Demokratische Republik)にあり、壁で東西に(Ost und West)分断されていた。この「Berlin (West)」が当時、東ドイツの中にある西ドイツ=ドイツ連邦共和国(BRD: Bundesrepublik Deutschland)であった。


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