2005年7月13日〜8月26日の45日間の日程で、モンゴルに滞在した。7月15日〜25日はキタサンショウウオを中心とした生態系の野外調査(セレンゲ県シャーマル)、7月26日〜8月1日はシャーマルで捕獲した水棲動物と両生類の重量測定(モンゴル教育大学、ウランバートル)、8月4日〜24日はキタサンショウウオの微生息環境の定点観測と新たな生息地の探索(フブスグル県ダルハディン湿地)という内容であった。
帰国後、手元にあるデータシートを調べていて、とんでもない事実に気付いた。事の成り行きを書くと、以下のようになる。
ダルハディン湿地調査の前に、以下の4点の品物をモンゴル教育大学にある「ズラさん(1)」の部屋に預けた。(a)と(b)は8月1日に、(c)と(d)は8月2日に、それぞれ預けている。
(a) シャーマルで捕獲した水棲動物の同定用にピックアップしたサンプルを入れたプラスチック瓶4個
(b) シャーマルで捕獲した水棲動物と両生類の重量を記録したデータシート
(c) シャーマルで採った野外調査のデータシート
(d) 父親へのお土産用に国立デパートで購入した絵画
これが大きな誤算であった。この中で、お別れパーティー(8月25日午後7時開催)の会場であるエーデルワイスホテルにズラさんが持って来たのは、(a)と(b)だけであった。このとき私は、彼女が(b)と(c)のデータシートをひとまとめにして持って来たものだとばかり思っていたので、受け取ったデータシートの内容確認を怠ってしまった。つまり「彼女が持って来るのを忘れたのは、研究とは関係のない絵画だけである」という判断であった。そういう理由で、現在、私の手元には(c)と(d)がない状態である。
モンゴル教育大学では守衛が各部屋の鍵を管理していて、鍵は部屋の持ち主か、その秘書にしか渡されない仕組みになっていた。また、合鍵も作らないようであった。そのため、当然のことながら、ズラさんの命令で取りに行かされた学生は、鍵の掛かっている彼女の部屋には入れず、そのまま戻って来てしまった。パーティー会場からモンゴル教育大学の生物学部がある建物までは、歩いても20分足らずの距離である。ズラさんがパーティー会場で一時的に席を外していたこともあり、私は、それを聞いたズラさんが自分で取りに行ったものだとばかり思っていたのだが、どうも私の認識が甘かったようである(2)。
ズラさんの話では、シャーマルの調査報告書の提出期限が11月末だとかで、英語と日本語の報告書を私に書いてもらい、それをベースに彼女がモンゴル語に翻訳して文部省に提出するのだそうである。これもまた虫のいい話ではあるが、野外調査のデータシートが私の手元にないのでは、報告書どころの騒ぎではないだろう。ズラさんからデータシートを受け取ったとき、内容の確認を怠った私にも責任の一端があるとは思うのだが、彼女が私の要求を受け入れて素直に絵画を取りに行ってさえいれば、それと一緒に野外調査のデータシートがあることにも気付いたはずである。「モンゴル人らしい」というか「ズラさんらしい」というか、私の再三の要求を無視して、絵画を取りに行かなかったのは、彼女自身の落ち度である。まあ、身から出た錆で、報告書が出せなくて困るのはズラさん本人だから、私は静観することにする。
とはいえ、生化学が専門のズラさんにデータの解析が出来るはずもなく、シャーマルで採った野外調査のデータが手元にない状態で、どうやって報告書を書けばいいのか、頭が痛い問題ではある。ダルハディン湿地プロジェクト調査隊長の○○さんが帰国するとき(9月20日?)、一緒に持って来てくれるという話があるようだが、これも確実ではない。
ということで、○○さん。ウランバートルで私のホームページを見ているんだったら、絵画だけでなく、野外調査のデータシートも忘れずに持って来て下さいね。これも、あなたが可愛がっているズラさんのためですから......。
[脚注]
(1) ズラさん(Zulaa=Hongorzul, T.)は、生物学部の助教授に昇任したばかりの女性教員で、私より年齢が一回り下の共同研究者である。13歳になる息子がいて、シャーマルの調査に同行して手伝いをしていた。
(2) 明朝6時出発の帰国便に搭乗するためには、遅くとも午前4時頃には空港に到着していなければならない。にもかかわらず、○○さんに至っては、よっぽど疲れていたのか「そんなのは明日、明日」と、理由の分からないことを言い出す始末だった。