田守家住宅
母屋は(旧)杉山邸に次いで、寺内町では2番目に古い建築です。 非公開      
建築年代:
   18世紀中期
   

所在:
   
城之門筋・堺町 (じないまち散策地図
由来:
  当家は屋号を「黒山屋」と称し、寛永年間にその祖先が 大阪府南河内郡美原町黒山からこの地に移住してきたことからこの名をとった。 明治中期頃まで代々木綿商を営んでいた。    
建物の特徴:
  
 屋敷地は一区画の半分を占める。母屋は18世紀前半の建築と考えられ、寺内町に現存する町家遺構としては、(旧)杉山邸に次いで古い年代の建築である。母屋の表側 (堺筋面)は大きく改造されていたが、近年外観の復元が施され、歴史的町並みに大きく寄与している。 母屋の裏方には、内蔵、衣装蔵、米蔵、木綿蔵など大小4棟の土蔵が建ち並ぶ。
堺筋(右手前)と城之門筋(左手奥)に面する
田守家の玄関・出格子(堺筋) 外観が復元・修景された田守家住宅

煙だし (越し屋根)
虫籠窓
玄関木戸
煙だし小屋根と虫籠窓(むしこまど) 煙だし (越し屋根)
厨子(つし)二階
虫籠窓
煙だし (越し屋根)
田守邸外観(堺筋) 田守家住宅 (堺筋)
(一体型)出格子窓
母屋西妻の鬼瓦
母屋西妻の鬼瓦(堺筋寄り)
母屋西妻の魔除けの瓦人形鍾馗、しょうきさん)

京都でもよく見かけますが、町家の屋根に載っている瓦人形の鐘馗(しょうき)さんは、通りを挟んでちょうど向かい側の家の鬼瓦に対面する位置に置かれています。富田林・寺内町にある城之門筋を挟んで、それぞれ向かい合う杉田家住宅と田守家住宅。渋谷家住宅と小田家住宅。いずれも魔除けの鐘馗(しょうき)さんが、それぞれ相手側の鬼瓦に向かって置かれています。鐘馗(しょうき)さんの由来についてはボランティアガイドのお一人からご説明をお伺いして、なるほどと納得しました。魔除けの置物という説明だけでは物足りず、由来まで調べてご説明をされています。

「石屋のないしょ話」(第19話)に詳しく由来が紹介されています。
石屋のないしょ話
城之門筋に面する田守家土蔵。手前から綿蔵、米蔵、衣装蔵の順に並んでいる。 中央の米蔵は、通気のために屋根を浮かした格好をした「置き屋根」構造。手前の綿蔵と中央の米蔵は内部が借家(長屋)となっている。 (手前から)木綿蔵、米蔵(「置き屋根」)、衣裳蔵
(城之門筋)

屋根の形式等が三つとも異なっており、木綿蔵には腰に焼き板がはってあり、真ん中の米蔵は「置屋根」といい、屋根を置いたような形になっています。奥の衣裳蔵は「はちまき」といわれる形式。
(じないまち瓦版7号、富田林寺内町をまもりそだてる会発行)
北側の木綿蔵内部が借家として利用されている。
(借家への入口木戸)
北側の木綿蔵内部が借家として利用されている。
(借家への入口木戸)
堺筋側から見た土蔵(城之門筋)
手前から母屋西妻、衣裳蔵、米蔵、長大な木綿蔵が立ち並び、往時の賑わいが偲ばれる。
置き屋根 (米蔵)
寺内町煎餅の図柄にも取り入れられています。 田守家住宅の衣裳蔵、米蔵、綿蔵が並ぶ景観を意匠に取り入れた寺内町煎餅
内部が借家に改造された長大な木綿蔵
(南会所町)



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