青葉城跡
 青葉山の山頂近くに伊達政宗によって築かれた仙台城跡(青葉城跡)がある。前に広瀬川、後ろに青葉山、八木山、向山などに囲まれた自然の要害である。前を流れる広瀬川を自然の堀として利用し、川と城の間の平地には川内という名前と共に追廻(おいまわし)、三十人町(さんじゅうにんまち)、山屋敷(やまやしき)などと城下町が忍ばれる町名が今でも残る。また城の下、追廻の対岸には大手町がある。
桜岡大神宮
 桜ケ岡公園(西公園)の中に桜岡大神宮がある。
 この桜岡大神宮には天照皇大神、豊受大神他十六柱が祭られている。
 古く宮城郡荒巻村に鎮座神明宮と称えた。伊達政宗篤くこれを祀る。1621(元和七)年伊勢神宮の御分霊を勸請し伊勢堂山に遷す。天和二年伊達綱村規模を拡張し、社殿を改築。祭典には奉行職を以て代拝せしめ累代の藩主継嗣の時参拝するを例とし、伊達家累代崇敬の社であった。明治5年現在地の北東に遷り同8年県社に列し社号を桜岡大神宮と改める。大正15年現在地に社殿を造営移転した。
大崎八幡神社
 伊達政宗の仙台開府後の1602(慶長七)年それまであった岩手沢(現岩出山)より遷宮、1604(同九年)起工、1607(同十二年)完成。大崎八幡の名は遷宮以前の大崎の地よりとったもの。米沢西郊の成島八幡に起源を有すとも胆沢郡八幡邑より分社したともいわれるが詳細は不明。
 社殿は拝殿と本殿そしてそれらを連結する石の間の三殿が一体となった権現造りの形式を有す霊廟建築で、豊国神社を模したものという。本殿内陣には中央に応神天皇、右に仲哀天皇、左に神功皇后を祀り、社殿内外とも黒漆塗りで、長押より上には極彩色の彫刻が施され、桃山建築の典型といってよい。
 長床は別名割拝殿とも呼ばれる素木造りの建物で、極彩色の社殿と比較すると対照的に落ち着いた風格を有す。向かって左側は、能舞台になっており、九月十四日の祭礼で宮城県指定無形民俗文化財の能神楽が奉納される。
 拝殿に向かって左側には邪鬼を懲らしめ福を招く神として尊崇せられる大元帥明王が祀られる大元社と共に水の守護神又生命の根源を司る神として仰がれ崇められている建御名方神(たけみなかたのかみ)を祀る諏訪社、武道の祖神決断力の神として仰がれると共に縁結びや安産又交通安全等の御神徳が得られるとされる武甕槌神(たけみかづちのかみ)を祀る鹿島社が置かれている。
青葉城址〜大崎八幡神社

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