i医 王 寺 句 碑

 

 元禄二年(1689)五月、芭蕉は月の輪を越え、瀬ノ上を経て飯塚(今の飯坂)の泊まりました。芭蕉は、義経とゆかりの深い佐藤庄司基治の旧跡を尋ねて、大鳥城のあった丸山へ行き、ここで基治の子、継信・忠信の嫁が戦死した夫たちに代わり、武者姿で老母を慰めたという故事に涙を流しています。また、かたわらの医王寺も尋ね、寺の宝である義経の太刀や弁慶の笈を見たあと、『笈も太刀も五月にかざれ帋幟(かみのぼり)』の句を詠みました。
 このくだりは、「奥の細道」に詳しいが、この句碑が寛政十二年(1800)、梁川の俳人谷蕪川の呼びかけで建てられ今も医王寺境内に残っています。

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