磐城騒動(惣百姓一揆)

 

 1738(元文三)年、磐城平藩で起きた百姓一揆です。これは、洪水・凶作の上に新税・重税をかけられて困窮した農民が、町役所や牢屋・役人宅などを襲撃し、21ヶ条の要求を突きつけたもので、およそ2万人が城下に攻め入ったといわれます。およそ1ヶ月及んびましたが、一揆の要求は認められず、指導者28人が捕らえられ、このうち7人が鎌田河原で処刑されました。当時の藩主は内藤政樹であり、この百姓一揆が原因となって、1746年、日向延岡(宮崎県)へ転封されたといわれます。

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