恵日寺の衆徒頭 乗 丹 坊 の 墓
▼ 磐越西線磐梯駅下車、徒歩20分 ▼ 惠日寺境内徳一廟近く
寿永元年(1182)、越後の城長茂が木曽義仲を討つため、越後・出羽・相津(会津)四郡の兵四万余騎を率いて出発したとき、会津四軍の兵を統率したのが惠日寺の衆徒頭・乗丹坊でした。 乗丹坊は信州・横田河原の合戦で討ち死に、会津の勢力は大きな打撃を受け、次第に衰退の道をたどりました。乗丹坊と城氏の関係は、承安二年(1172)城資国の妹竹姫が乗丹坊に嫁いだのが始まりで、そのとき越後の小川荘(新潟県北蒲原郡)が恵日寺領に寄進されたと伝えられています。また別説には、乗丹坊の戦死に報いるために寄進されたともいわれています。
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