白水阿弥陀堂

                                ▼ いわき市内郷白水町広畑
                                ▼ 常磐線内郷駅常磐交通バス川平行阿弥陀堂前下車

 平・内郷を中心とするこの地域は、古代は陸奥国磐城郡に属していました。鎌倉時代初期には岩城氏が好間庄の地頭となり、それ以後室町・戦国期にかけて岩城氏が勢力を伸ばしました。しかし、関ヶ原の戦いに参加しなかっ た為、江戸幕府によって所領を没収され、1602(慶長七)年に鳥居氏が十万石で平に入り、磐城平藩が成立しました。その後、藩主は内藤氏・井上氏・安藤氏と変わりましたが、平は城下町として繁栄しました。

 バス停から北に進み、白水川にかかる朱塗りの橋を渡ると、山懐に抱かれ、露盤から流れるような美しい曲線をもつ阿弥陀堂の屋根が見えてきます。白水阿弥陀堂(国宝)は、正式には願成寺阿弥陀堂といいます。願成寺は1160(永歴元)年、領主岩城則道の後室徳尼が、亡夫の冥福を祈って建立したものと伝えられています。徳尼は奥州藤原清衡の娘であるといわれており、中尊寺金色堂や毛越寺(もうつうじ)の浄土教文化がこの地方 に大きな影響を及ぼしたとみられ、浄土教文化の地方への波及の代表例として有名です。

 阿弥陀堂は方3間の堂で、正面は各柱間を扉口とし、側面は全面寄り1間、背面は中央間を扉口としており、他は 横板壁となています。屋根は宝形造・栩葺(ともぶき)で、屋頂には露盤・宝珠をのせています。内陣にはかって彩画が施されていた痕跡が認められます。堂内には、木像阿弥陀如来および両脇侍立像・木像持国天立像・木像多聞天立像(いずれも国重文)が安置されています。いずれも平安時代のものであり、徳尼が中尊寺金色堂の仏像を写してつくらせたという伝承をもっています。

 阿弥陀堂の美しさは、堂の南にひろがる浄土庭園(国史跡)によって一層ひきたちます。苑池には中島と小島・州浜や石組が配置されています。中島には南橋と北橋がかけられ、大門に通じていました。浄土庭園は平安後期に流行した庭園で、浄土曼陀羅を現世に再現したものです。代表的なものとしては白水のほか、平泉毛越寺庭園や宇治平等院の庭園などがあります。

  

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