仏都会津を開いた
徳 一 廟

                                               ▼ 磐越西線磐梯町駅下車
                                               ▼ 北西へ1.5キロの台地

 徳一・・・・・・、会津はおろか東北、関東の仏教界に大きな影響を与えた、この僧についての定説はありません。ただ「南都高僧伝」に没年が、天長元年七月二十七日七十六歳とあり、逆算すると天平感宝元年(749)生まれということになります。
 この徳一の墓といわれる、三重の石塔が、昭和四十五年国史跡に指定された磐梯町惠日寺境内にあります。
 二.三メートルの石塔は、下層の塔身高く、軒の出が深い。また各塔身の下が広く、上がせまって梯形になっています。屋根の四隅に孔をうがち、風鐸をつった痕跡の見られるのが珍しく、全国にその例を見ません。一代の名僧の廟所を現すのにふさわしい気品を誇っていますが、風雪のいたみが激しく、ひしひしと歳月の重みが伝わってきます。
 徳一は、若くして出家し、後に東大寺の僧となり、法相宗の布教につとめましたが、都市仏教の堕落を嫌い、山岳に真の仏道を求めて、遠い会津に下り、惠日寺を起こしました。最澄、空海に匹敵それ以上の高僧で、ここから仏都会津が形成されました。

                                          

 

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