98年の12月、天皇杯を見るために広島に行った。いつもながら計画性はなかったので、前々日に早朝発の飛行機を取って、あとは現地で考えることにした。
広島に着いたのは8時頃だったか。試合は午後1時からだったから、無茶無茶時間があった。ちょっとどこかを観光していこうということになった。確か平和記念公園が市 街地にあるということは聞いていたので、そこに行ってみよう、ということになった。天気は良くて、気分は上々だった。市電で少し揺られると、あっという間に広島市民球場が 現れた。
修学旅行では定番のコースらしい広島だが、私の学校は京都止まりだったため、これが初めてだった。停車場から歩くと、ほどなく教科書を始め色々なところで見たことが ある原爆ドームが現れた。
原爆ドームは小さな建物だった。当時としては、しゃれた建物だったのだろうか。すぐ傍らまで寄って、そして、抜けるような青空の中にドームを見上げてみた。
その時、言いようのない感情がこみ上げてきた。霊感とかは全く持ち合わせていない私だが、何か違う空気を感じた。建物の周りに、沢山の焼け爛れた死体が倒れている のが確かに見えた。そしてもう次の瞬間、涙が溢れてきてしまった。
今まで、決して広島には興味がなかったわけではない。戦争とか平和とか、それなりに考えていたつもりだった。ある程度は知っていたつもりだった。でも、それは大きな間 違いだったことを知った。もちろん、僕は直接その悲劇を味わったわけではない。現実を見たなどとは口が裂けても言えない。でも、生で見た光景の持つ大きさ、体験すると いうことの重要さは良くわかった。
ここ数年の急速な情報化の進展によって、僕らは居ながらにして様々な情報を得ることができるようになった。でも、そういう、空調の効いた快適な中で得た情報は、軽い のだ。そんな情報は、僕らのむなぐらに掴みかかってきて、揺さぶって来たりはしないのだ。
その後広大な資料館も回って、色々な展示品を見て回ったが、打ちひしげられるばかりだった。嗚咽を堪えるので精一杯で、一言も言葉を発することはできなかったの だ。試合を前に、もう僕らは敗北感で一杯になっていた。
------------------------------------------------------------------------------------------
先日、久しぶりにテレビの前に釘付けになった。その時に、この広島での体験を思い出した。
「信じられないですが、これが現実です。」アナウンサーは叫ぶが、まるで豪華なCGのような映像を見ても、それが現実感と全く繋がって来ないのが怖かった。僕らは、ビ ルから降ってくるおびただしい数の「人」を、等身大の、温かい血の通った生身の人間として受け止めることはできたのだろうか?
むしろ、ショックだったのは、パレスチナの人々が、ニュースに狂喜している映像だった。子供達までが、旗を手にしてはしゃいでいる姿は言いようのない脱力感さえ与える ものだった。
僕らは、身近な人々の死体を現実に見ているであろう彼らの狂喜する姿を、どう受け止めれば良いのだろうか? 単なる宗教観とか価値観の違いとかで済ませて良いの だろうか?
極東の島国で、生き延びることで精一杯の僕には、彼らが味わっている「現実」は、到底理解しきれないだろう。 でも、与えられた情報の中でも、これだけはわかる。
結局、暴力は何も解決しないのだ。復讐は復讐を生み、悲劇は繰り返され、死体だけが増える。
今、大量の兵器を使って守ろうとしている「自由」は、かつてジョンレノンを殺した。自由の国の人達は、彼の言葉をもう一度思い出して欲しい。 |