各務周海の黄瀬戸   
 

 ここで,黄瀬戸について語る必要はないと思いますが,黄瀬戸の見所と言えば「油揚げ肌」「焦げ」抜けタンバンがあげられます。そこで,ここでは,周海氏の黄瀬戸作品の美について語ってみたいと思います
 
  一般に「油揚げ肌」というと光沢が少なくじんわりとした調子のものをさします。現代陶芸の作品を見てみると,薬が完全に溶けきらない様に焼きを甘くしてかせさせた作品や,薬に砂目のものを配合してざらざら感を出したもの,炭酸バリウム等の化学薬品を調合したもの等を「油揚げ手」とよんでしまっている場合が少なからずあるようです。しかし,古陶の名品の釉調をよく観察してみると薬がよく溶けきったあと再結晶によってじんわりとした油揚げ手がつくられていることがわかります。ある陶芸評論家は「朝比奈」をさして,生焼けに近いかせたものと言っていますが,裏面を見ると薬が溶けて流れているのが確認できます。
 さて,周海氏の黄瀬戸には様々な調子のものがあります。レモンイエローのタンバンがよく抜けるタイプのもの,黄色がやや濃くじんわりとした光沢を出すもの,「朝比奈」手のもの・・・。周海氏の黄瀬戸の奥深さはここにあります。不安定な灰釉を研究し知り尽くした周海氏だからこそ,古陶を凌駕するほどの黄瀬戸作品をつくれるのではないでしょうか。
 いい灰が手に入らなくなったからいい黄瀬戸が焼けないと言うような声を聞くことがありますが,これは反対に考えれば,(唐九郎でさえこのようなことを言ったということですから,かなり厳しい言い方にはなりますが)灰の善し悪しにぶら下がった僥倖的な作陶姿勢であると言わざるを得ないのではないでしょうか。油揚げ手の黄瀬戸を発表している作家はいますが,いい灰が手に入ったから焼けたという域を出ていない場合が多いように思います。確かに油揚げ手様のものではありながらどの作品も同じような平面的な焼き上がり,同じような表情のものであることからもわかります。 
 周海氏の場合,灰の研究の莫大な蓄積により,油揚げ手であるというだけでなく,薬の濃淡や焦げが醸し出すグラデーションによる立体感を表現する域にまで達しています。これが多くの陶芸ファンをして,周海氏の黄瀬戸に並ぶ者はいないとまで言わしめている所以ではないでしょうか。
 また,周海氏というと釉薬が注目されがちですが,卓越した轆轤技にも目を見張るものがあります。特に近作からは,自在の境地に達したことが見て取れます。骨太で,だからといって肩に力が入っているわけではなく,あらゆるものからの束縛から解放された自由な造形,まさに大河の奔流を想起させます。
 ゲシュタルトと言う言葉があります。楽曲が一つ一つ音符の総和を越える情感を生み出すことがその一例として取り上げられますが,奥行きのある油揚げ肌とそれを受け止める自在で力強い造形が,穴窯での焼成という人智を越えた過程をくぐり抜けることによって,総体としての美を生み出しているのではないでしょうか。 
 
油揚げ手が美しい
     黄瀬戸香合
上:黄瀬戸茶碗(朝比奈手)径12.1 高8.7 高台径6.2  力強い造形と大胆な焦げが心をとらえて離さない,野武士のような迫力を持った茶碗である。本歌の「朝比奈」に勝るとも劣らない名碗である。
下:黄瀬戸茶碗 径12.7 高8 高台径6.7 
 2001年秋の窯の作品である。油揚げ肌が織りなすグラデーションやタンバンの流れ,口縁にアクセントをそえる上品な焦げ,それを受けとめる力強く自在な轆轤引き,これまでに数多く見てきた周海氏の黄瀬戸茶碗の中でも最高のもののうちの一つである。
美しく抜けているタンバン
立体感を感じさせるグラデーション
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