焼き物雑感その3
 先日,東北のさる古城あとの発掘調査の際に発見されたという黒織部茶碗と志野,黄瀬戸の陶片を手に取ってみる機会がありました。志野,黄瀬戸の小皿や向こう付けの陶片は溝あとから,茶碗はそれとは別のところから単独で発見されたということでした。志野,黄瀬戸の陶片は,土味や釉調から美濃産のもとみて間違いないようで,その中でも高根古窯群から出土したものときわめて類似していました。関係者の方の話では,黒織部茶碗も美濃産のものととらえているとのことでしたが,私にはどこか美濃のものとはちがうように感じられました。古い文献を調べてみると,古田織部と親交が深かった戦国武将が,美濃から陶工を連れてきて,地元の土を使って織部等の陶器を焼かせたという記録が残っており,もしかするとその窯で焼かれたものなのかも知れないと思われました。
 いずれにせよ,距離にして700qも離れた土地で,美濃の焼き物の陶片が多数発見されたことは,日本のルネサンスといわれる桃山文化の中心に美濃の焼き物があったことを実感させてくれました。

 さて,織部といえば,私が普段使っている茶碗の中に梅原偉央氏の織部茶碗があります。鉄絵の生き生きした筆遣いとさわやかに濃淡を見せる緑釉,低く抑えた高台が気に入っています。私のもっている茶籠に丁度合うので,イワナ釣りやツーリングなどにもよくもっていきます。
 よく,織部の茶碗はお茶の緑と緑釉が重なるから・・・ということを聞きます。茶碗の中を一つの宇宙とみると,確かに緑同士が重なるため,お茶の色が映えない気がします。しかし,野点をしてみると,外界の自然と見事なコントラストを見せる茶碗にはっとさせられます。茶碗の見込みを中心にして広がる大自然の輪廻・・・。曼陀羅には,全宇宙を意味する金剛界曼陀羅と大いなる母性をあらわす胎蔵界曼陀羅がありますが,茶室の点前は胎蔵界曼陀羅,野点は金剛界曼陀羅に通じるのかなと思ったりします。
 
 最近は仕事が忙しく,休日もなかなか外に出かけることができません。しかし,いらいらがつのってくると,野点に使った茶碗たちをごそごそとだしてきてお茶を点てるようにしています。
 滝をよじ登り,大淵を泳ぎ花崗岩の白い岩盤をうがつV字谷の中で釣った50pオーバーの大イワナが,ミズナラの古木に重くたれた濃紫に熟したヤマブドウの実が,はたまた,膝をすり減らすように回り込んだあの左コーナーを照らし出す白い街灯が,茶碗の内に外に浮かんできます。
 そしてまた,デスクワークを再開します。いつの日か,あのフィールドに
立つことを自分自身に約束しながら・・・。
 



















 
梅原偉央織部茶碗
 径10.8 高9.4 高台径4.5
 緑釉のさわやかさと,生き生きとした鉄絵に魅力を感じる。
同高台 
 決めのこまい白土をさくっと削りだしている。暖かみを感じる高台である。
山田勢児鼠志野小服茶碗
径9.5 高6.7 高台径4.9
 勢いのある造形と鬼板の豪快な発色が野趣をそそる一碗である。