自宅−450相模原IC−入間IC−(R299・R140・R210)−708小倉沢登山口715〜830赤岩峠840〜901分岐〜951大ナゲシ1003〜1058赤岩峠1103〜1143赤岩岳1205〜1234赤岩峠〜1325登山口 |
赤岩岳は上武国境(群馬県・上野村、埼玉県・大滝村)にあり、日本百名山である両神山から北西へ延びる八丁尾根、さらに八丁峠から西へP1、P2と岩峰が繋がる赤岩尾根の一番西側にある。ちなみにP7が赤岩岳だそうだ。
大ナゲシは、さらに西の稜線から外れた北側(西上州)にある。
私は、かつて八丁峠から両神山を登った時、背後に見えた赤岩尾根の岩峰群を見て「登ってみたい」と思ったが、ザイルがないと登れないと知って諦めた経緯がある。
しかし、赤岩岳と大ナゲシならザイルがなくても登れることを知って、急遽、出掛けることにした。
まずは圏央道の入間ICで降り、R299で秩父をめざし、R140、R210で中津峡、ニッチツ(日窒)鉱山を目指して行く。中津峡には紅葉を撮るカメラマンが何人かいたが、今年の紅葉はイマイチだった。
ニッチツ近くなって一車線になったが、「こんな時間に下って来る車はないだろう」と思っていると、何と大型トラックが下って来て大慌て。擦れ違いが出来ずにバックする。鉱山は今でも操業しているそうだから鉱物を運んでいるのだろう。
ニッチツを過ぎ、空き家の近くから正面に赤岩岳が見えた。前に来た時はあれを「両神山の稜線」だと思ってしまったが、あれが目指す赤岩岳である。 | |
心配した登山口は簡単に見つけることが出来た。右へ大きくカーブする左手に、通行止めの鎖が張ってあったので、20mほどバックして広い路肩へ車を止めた。しかし、車が一台もないというのは寂しい。 鎖を張ったポールには、「赤岩口」とマジックで書いてあった。 私がここで写真を撮っていると、スポーツカーが私の車の脇へ止めた。「よし!これで登るのは私一人ではない」、とホッとした。 |
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まずは廃屋となったニッチツの社宅の間を通って行く。朝でも一人で歩くのは気味悪い。 そもそもこの鉱山は、 「1600年頃(慶長年間)、甲斐武田氏が金や砂金を採掘したのが始まりで、1765年(江戸時代)には、金採掘のため平賀源内が入山したという。 最盛期(昭和30年代)には、2、3000人が住み、学校まであったというが、今や廃墟となり、雑草に覆われ、シシや化け物が出て来そうな感じだ。 |
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廃屋の間を登って行くと、すぐに「山火事用心」の赤い幕が見えて来た。あそこが登山口だ。 登山口には「右→群馬県上野村ニ至ル、左←赤岩神社」と書かれた石標が建ち、古ぼけた案内板があった。それには、 「大ナゲシ方面に登山される方へ、大ナゲシ頂上直下は岩場となっております。鎖等は設置されていなく上級者向けのコースです。登山する場合、ザイル等の装備と技術が必要です(以下略)」 と書かれており、ザイルを持たない身には少々緊張感を覚える。 |
ここからは針葉樹林帯を登って行く。
20分も歩くと朝日が差して来た。たとえ木漏れ日であっても嬉しい。
それから3、4分で針葉樹林帯を抜け出し雑木林になった。そして早速、紅葉したモミジがお出迎え。上部の紅葉に期待が膨らむ。 |
そこからは支尾根を登って行く。途中で厚手のシャツを脱いだ。
私の車の脇に止めたスポーツカーは、どうしたんだろう。一向に登って来る気配がない。
急斜面をジグを切りながら登って行く。ガレの上に落ち葉が積もって歩きにくい。 赤岩峠へ8時30分着。峠には小さな祠があった。ここで小休止。 右手(東側)には樹木の間から赤岩岳がそそり立って見えた。赤岩岳へ行きたい気持ちを抑え、まずは大ナゲシへ行こう。 |
分岐から20分程で、やっと大ナゲシの絶壁の基部へ出た。ここで一休み。 ストックをデポしてロープで岩場を登って行く。しかし、ここは思ったよりも嫌らしい。ロープに掴まりながらトラバースする所もあった。 |
(オーバーハングの岩場) |
(右から回り込むと鎖が・・・!) |
(大ナゲシの山頂) |
(赤岩峠方面) |
(天丸山、帳付山方面) |
それよりも、これから登る赤岩岳が気になる。ここから見る赤岩岳は垂直のような壁だ。あんな所が本当に登れるのだろうか。 |
ぼちぼち下ることにしよう。 山頂直下の岩場は鎖があり、難なく降りられた。問題は次のロープ場である。登りでも嫌らしかった所を下るのはもっと嫌だ。と思っていた時、岩場の右手に巻道らしき踏み跡があった。騙されたつもりで下って行くと、何と鎖があるではないか。ここは旧道のようだが、あのロープ場に比べれば遥かに楽だ。鎖は3か所あったが、ストックをデポした岩場の基部へ出た。 良く見れば、右手にロープが見えるが、左手にペンキマークと鎖があったのだ。 |