荒島岳(あらしまだけ)   82座目

(1,523m、 福井県)


シャクナゲ平からの登りで見えた荒島岳。

白山から続く

勝原から荒島岳往復

2000年8月6日(日)

勝原(民宿)425〜450登山口〜925荒島岳〜1255登山口〜勝原−福井−米原−(新幹線)−新横浜

 勝原(かどはら)の林湊という民宿をヘッドランプを点けて4時25分に出発した。昨夜女将さんからもらった地図を頼りに登山口へ向かった。登山口まで歩いて25分。
 広い駐車場には4、5台の車が止めてあった。浜松や札幌ナンバーもあった。ここにはトイレと電話ボックスがあったが、水場は気づかなかった。

 4時50分発。いきなりスキー場のゲレンデを登らされる。登山道はなく、石コロの上にコールタールを流したような急斜面を登って行く。雪が少しでも降ればスキーが出来るように登山道を壊してコールタールを流したのだろうが、歩きにくいこときわまりない。朝から絞られたが、伊吹山と違うのは朝が早く風がすがすがしいことだった。もし、ここを炎天下に登ったらたまらないだろうと思った。

 第一リフトの上部からは登山道らしくなったが、それも直ぐになくなり、再び石コロの急斜面になった。ただ黙々と登るしかなかった。

 5時34分、左手の山稜から朝日が昇った。私は朝日に向かって手を合わせた。
 それから5,6分ほどでリフトの終点へ出た。そして、ここから樹林帯の中の登山道になったのでホッとした。しかし、それもつかの間で、今度は赤土の急登になった。所々に土止めの補修がしてあったが、昨日の雷雨で足元が滑り、下りが心配だった。

 しばらく登るとブナ林になった。涼しい風が吹き渡って気持ち良かったが、すぐにしんどい登りになった。

 6時45分に太鼓の音が遠くから聞こえてきた。きっと白山神社の太鼓だろうと思った。一服していると、男性2人が下って来た。彼らはご来光を見るために、夜中から歩いていると言った。

 シャクナゲ平へ着いた時は汗だくだった。ご夫婦と単独のオジさんの3人が休んでいた。シャクナゲ平まで行けば荒島岳が見えるだろうと期待していたが、何も見えなかった。

 それに、ここはシャクナゲがいっぱいあったと云うが一本も見当たらず、ガッカリして倒れるように座り込んだ。

 ここで一服していると、民宿で同部屋だった人が登って来た。東京から来たという40歳位の彼は、5時に民宿を出たという。私より35分も後に出発したのにもう追いついて来た。

 ここからも足場の悪い急登が続く。一直線に付けられた道は沢のように窪み、周りの木の枝やクマザサなどにつかまりながら登って行った。所々にクサリやロープが心許なくぶら下がっていた。

 日本百名山でこんなに道が悪いのは初めてだった。雨の日にこんな所を下るのはたまらんだろうと思った。地元の人達は、荒島岳に対する思いがないのだろうか。

 登山口から4時間半もかかってやっと山頂へ立った(9時25分着)。もやで遠望が利かなかったせいもあるが、何んと平凡な山頂だろうと思った。
 観測用の建物が建った広い台地に、ポツンと山頂の標識が立っていた。周りは草木に覆われ、とても山頂とは思えなかった。

 その山頂に5、6人の先客がいた。私が弁当を食べている間にさらに10人位が登って来た。ここは深田久弥さんが、自分の故郷の山ということで日本百名山に選んでいるが、こんな山奥まで来る人は、完全に百名山病におかされた重症患者に違いないと思った。    

【山頂に咲いていた花】

 下りはメロメロだった。水場がないのが辛かった。民宿へ戻ればお風呂へ入ってビールが飲める。「ビールだ! ビール! ビールが待ってるぞ!」と、自分を励ましながら下った。登山口へ12時55分着。

 とにかくしんどい山だった。登山道が悪い上に急登の連続で絞られた。昨夜泊まった民宿へ戻り、早速シャワーを浴びて外のテーブルでビールを飲んだ。最高にうまいビールだった。

 深田久弥さんは、この山を愛して何度も登っていたのだろうが、私は一度で十分である。
 私がビールを飲み終わった時、稲妻が走り出し雷雨が襲ってきた。私が下って来る時にすれ違った人達は、この雨に打たれて気の毒だと思った。

 民宿の娘さんが経営するという隣の喫茶店でうどんを作ってもらって食べた。しかし、ここに喫茶店があるとは全く気づかなかった。この町は食堂も喫茶店もないと諦めていたので本当に助かった。お姉さんに「登山者のために、ぜひ分かりやすい看板を立てるか、駅の待合室に軽食喫茶があることを張り紙をしてほしい」と提案した。そうすれば登山者ばかりでなく経営者も助かるだろう。

 帰りの電車の中で、「食堂がないので昼メシ抜きで、待合室で1時間以上も待った」という登山者がいた。近くに軽食喫茶があることを知っていれば、そんな苦労をせずに済んだものを・・・・、私はラッキーだった。
        (平成12年)