鳥海山(ちょうかいさん)    29座目

(2,236m、 山形県・秋田県)


象潟駅から鉾立へ向かうバスの中から見えた鳥海山。


鉾立〜千蛇谷〜鳥海山〜伏拝岳〜湯ノ台温泉

1994年8月15日(月)

東京駅−(夜行バス)−象潟駅

 1週間前になって、秋田県の象潟まで行く夜行バスを申し込んだ。お盆なのでムリかと思っていたが、帰省のピークも過ぎたようで何とか予約がとれた。
 夜行バスに乗るのは初めてだった。夜行バスはトイレがあり、冷房がほど良く効いて、しかもリクライニングで横になって行けるので快適だった。しかし、私は慣れないせいかよく眠れなかった。


8月16日(火)
550象潟駅745−830鉾立〜千蛇谷〜鳥海山〜大物忌神社(小屋泊)

 象潟駅へ5時50分に着いた。鳥海山の登山口である鉾立行きの始発バスまで2時間近くも待たされた。(7時45分発)
 待合室にはザックを持った登山者が7、8人いた。その中の30代前半の青年が、私と同じバスに乗っていたと言った。そして「昨年も鳥海山へ登ったんですが、天気が悪く写真が撮れなかったので、今年も来たんです」と言った。私は鳥海山どころか東北の山を登るのは初めてだった。

 鳥海山は、秋田県と山形県の県境にあり、日本海に裾野を洗う成層火山で、秀麗な姿は出羽富士、秋田富士などと呼ばれている。

 バスで鉾立へ向かう途中、車窓からその秀麗な姿が見えた。まさに富士山のように美しい山容だった。私は急いで車窓から写真を撮った。

 鉾立へ8時30分着。ここは自然公園のようになっており、展望台から目指す鳥海山が見えた。
 待合室で一緒だった青年と一緒に歩き出したが、30分も歩くと青年に付いて行けなくなり、彼に先に行ってもらった。

 賽ノ河原には、休憩している人が大勢いた。マイカーで来た人達らしい。ここは例年なら残雪があるらしいが、雪らしいものは全くなかった。今年は残雪が少ないようだ。

(写真は賽ノ河原付近)

 この山は実に不思議だった。普通の山は山麓から森林地帯になり、森林限界を過ぎてからハイマツなどの低木になるが、ここは初めから大きな樹木は一本もなく、膝ほどの背丈しかない草木が一帯を覆っていた。その草木がまるでハイマツのように見え、3000メートル級の山を歩いているような感じだった。
 私は「火山活動が終わって、まだ歴史が浅いからだろう」と思っていたが、専門誌には次のように書いてあった。

『鳥海山や月山など日本海側の多雪地帯では、シラビソなどからなる亜高山の針葉樹林帯が欠如し、かわりに「イネ科草原」やお花畑、チシマザサ、ミヤマナラ、ミヤマハンノキなどの低木が優占する現象で、景観上、高山帯によく似ているので「偽高山帯」と呼ばれている』

 つまり、ここはニセ高山帯だったのだ。ニセ高山帯のため視界は良く利くが、その分夏の暑い日差しを直接浴びた。

 御浜小屋がある稜線まで来ると、左正面に新山、右手下方に鳥海湖(写真右)が見えた。新山は、緑色に染まったニセ高山帯の上部に、灰色の溶岩ドームらしいものが盛り上がっていた。
 その鳥海山を投影するという鳥海湖は、写真で見たよりもはるかに水量が少なく、とても山が写るとは思えなかったので行くのを諦めた。

 ここからも偽高山帯が続きアルプスを歩いているようだった。一面ハイマツのように緑に覆われた尾根を登って行った。

 途中で湯を沸かしてラーメンを食べようと思った時、ポリタンの水が少ないことに気が付いた。今日は暑いので水をガブガブ飲んでしまったこともあるが、そもそも駅で水を入れてくる時に水量を間違えたのだ。ラーメンを食べた後に残ったのは、200ミリリットル位だった。こんな少ない水で本当に大丈夫だろうか、という不安があったが、途中に雪渓があるので何とかしのげるだろうと思った。

 七五三掛という外輪山と千蛇谷の分岐まで来ると、千蛇谷へ下るコースが通行止めになっていた。外輪山の壁が崩れ、千蛇谷へ落ち込んでいた。
 仕方がなく標識にしたがって外輪山を登って行った。外輪山も急斜面で足場が悪く、両手を使いながら這うように登って行った。

 (写真は外輪山からの新山)

 しばらく登ると、左手に千蛇谷へ下る新道があった。崖のような所に造った新道は、人が落ちないで通れるというような道だった。石や草木の根につかまりながら必死で千蛇谷へ降りた。

 喉がカラカラだった。千蛇谷まで行けば雪渓があるだろうと期待していたが、雪渓はなかった。そこは小さな石がゴロゴロしている涸れた沢だった。しかし、100メートルほど先に小さな雪田が見えた。急いで駆け寄って、少し汚れた雪を掘じくって食べた。そして、これから先はポリタンの水をなめながら行くしかないと思った。

(写真は千蛇谷からの山頂と外輪山)

 左手にある新山がだいぶ近くなって来た。上部にあるゴツゴツした溶岩ドームが異様に見えた。右手には千蛇谷を挟んで、文珠岳や伏拝岳などの外輪山が壁のようにそそり立っていた。

 千蛇谷コースは、例年は万年雪に覆われているらしいが、今は小さな雪田がいくつかあるだけだった。雪があれば直登も出来るが、雪のない今は、左手に付けられた道を登って行くしかなかった。

 途中で上から下って来た人と話しをすると、「小屋へ泊まるつもりで行ったが、早く着きすぎたせいか『御浜小屋まで下ってくれ』と言われ、やむなく下って来た」と言った。さらに「15時までに小屋へ着かないと夕食が食べられない」と教えてくれた。そこで、私は14時から15時の間に着くように登ろうと思った。

 登るにしたがって斜面は急になり、ギラギラした太陽が頭上から照りつける。ペースはさらに落ちた。木陰がほしいと思っても、ここには木陰がない。石や岩の陰に隠れようにも石が小さく、頭上にある太陽から身を隠すことが出来ない。暑くてたまらず膝ほどしかない草の中に寝そべって、顔にタオルをかけた。

 そして、「どうせ15時に着かないなら何時に着いても同じだろう。夕食が食べられないなら、予備食で済ませばいい」と開き直った。
 一度開き直ってしまうと、ペースは落ちるばかりだった。昨夜の夜行バスの寝不足が今になって応えてきた。

 急な石階段を登り切った時、やっと小屋が見えた。平坦になった奧に鳥海山大物忌神社があった。ここで今朝一緒に登り出した青年が待っていてくれた。彼は1時間以上も前に着いたが、私の到着が遅いので心配になって出てきたのだと言う。

 私はすぐに社務所へ行き、宿泊と夕食のお願いをした。すでに15時を過ぎていたので夕食は諦めていたが、快く引き受けてくれた。そして、やっとビールが飲めると思ったら「売り切れです」と言われて、思わず天を仰いでしまった。
 飲み物はウーロン茶しかないと言うので、そのウーロン茶を一気に飲み干した。
 そして、「この社務所の前にある建物が山小屋で、水場は3分ほど行った所にある」と教えられた。

 小屋へ荷物を置いて、ひと休みしてから水汲みに行った。水場は千蛇谷の最上部にある雪田だった。雪解け水なので冷たくて最高にうまかった。ゴクゴクと音をたてて飲んだ。世の中にこんなうまい水があったのかと思うほどうまかった。

 小屋へ戻ってから、カメラだけを持って山頂へ向かった。水場の上を通ってガラガラした道を登って行った。山頂付近は、大きな石が積み重なり、ドームのようになっていた。どこが山頂か分からなかったが、とにかく一番高そうな所を登って行くと、そこは頂上ではなく7、8メートルほど離れた所が頂上だった。そこから一旦降りて、大きな石を登って山頂へ行った。

 そこには、『鳥海山、2238M』と書かれたものと、『新山、2236M』と書かれた小さな標識があった。標識に書かれている山の高さが違っていたが、ここは2236メートルが正しいはずだった。
 後から親子が登って来た。小学生ぐらいの男の子が先に登ってきた。親子と交互に写真を撮った。

 夕方になって、夕陽を見るため外へ出た。まさに日本海へ沈もうとしている夕陽が美しかった。左手に連なる外輪山の切り立った壁が、夕日に輝いていた。右正面にある新山は、すでに逆光で黒い物体に見えた。


8月17日(水)
大物忌神社〜伏拝岳〜湯ノ台温泉−鶴岡(泊)

 ご来光を見るため、七高山へ登った。七高山は外輪山で一番高い2230メートルで、新山より6メートル低いだけである。しかし、岩石がドームのように盛り上がった新山に対し、外輪山は同じようなピークが連なっているため、どれが何という山か分かりにくかった。その外輪山は、北西側は絶壁になっているが、反対側もまた急斜面で、稜線全体がナイフのように痩せていた。

 鳥海山はご来光の後に、山影を日本海へ投影する「影鳥海」が有名で、それを見る人でいっぱいだった。
 ナイフのようにやせた稜線には、ご来光を見るため東の空を見ている人と、反対に影鳥海を見るため西側の日本海を見ている人が半々だった。他の山では見られないめずらしい光景だった。私もご来光と影鳥海を見るため、東と西を何度も振り返った。


(御来光)

(左はご来光、右は影鳥海を見ている人)

(新山の夜明け)

 日本海へ写った影鳥海は、左側の3分の1は新山の陰になって見えなかった。それでも山影が海面に写るというめずらしい現象に驚き、それをこの目で見ることが出来て嬉しかった。

 影鳥海は太陽が昇る位置、つまり季節によって見え方が変わってくるそうだ。それに、ガイドブックには『影鳥海を見るには七高山がよい』と書いてあるが、七高山よりも新山へ登った方が見えるのではないかと思った。

 小屋へ戻る途中で、チョウカイフスマの写真を撮った。これは鳥海山にだけ咲くというめずらしい花だそうで、白くて小さい花がいっぱい咲いていた。アルプスに咲くフスマと似ているが、どう違うのかは分からなかった。

 下りは、七ツ釜避難小屋を通って祓川へ出る予定だったが、七高山から見た縦走路があまりにも急なので、急遽変更して、鳥海山荘がある湯ノ台温泉へ下ることにした。

 昨日、途中まで一緒に来た青年は、写真を撮るためのんびりと鉾立へ下るというので、私の方が一足先に出発した。小屋の前から、外輪山の絶壁を斜めに登って行く。途中で振り向くと、青年が手を振っているのが見えた。私も大きく手を振った。


(途中から新山、大物忌神社を振り返る)

 稜線へ出るとすぐ行者岳だった。ここで、後から来た単独の人と知り会った。私と同じくらいの年格好で、横長の年代物のザックを背負った東京の練馬から来たという人だった。最近は横長のザックを背負っている人はほとんど見かけなくなった。その人と一緒に下ることにした。

 伏拝岳から稜線と別れ、左の滝ノ小屋、湯ノ台方面へ下る。この道は「湯ノ台道」といわれ、ここを登って来た人達は、この伏拝岳まで来て初めて新山を見ることになり、ここへ伏して拝むためにこの名が付いたのだろと思った。

 ここの下りで左足首を挫いてしまった。岩から飛び降りた瞬間、足首に激痛が走って動けなくなった。骨折したと思った。もし自力で下山できなくなったらどうしよう、と心配した。
 しかし、しばらくすると痛みが薄れ、何とか歩くことができた。今日はどうせ下山するだけなので、のんびりと下ることにした。

 ここから湯ノ台までは遠かった。ニセ高山帯といわれる低木と雪渓があり、アルプスを歩いているような気分のいい所だったが、挫いた足首をかばっていたことや日差しが強いこともあって、もう汗だくだった。半袖シャツと短パンだった私は、日焼けで両腕、両足がヤケドのようになってしまった。

 湯ノ台のバス停に着いた時はメロメロだった。喉もカラカラだった。折り返しのバスが待っていた。乗客が一人もいなかったので、バスに荷物だけを乗せ、運転手に途中の鳥海山荘で拾ってくれるようお願いして、二人で鳥海山荘へ急いだ。早くビールが飲みたかったからだ。山荘までは500メートル以上もあった。

 彼とビールを飲みながら、明日は月山へ行く予定であることを伝えると、彼も一緒に行きたいと言った。
 私は鶴岡駅近くに宿を予約していたが、彼も別のホテルを予約した。二人で昼食をたべながら、「明日は月山八合目行きの一番バスに乗ろう」と約束した。

 月山へ続く