(2,191m、 長野県・岐阜県)
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1996年 5月19日(日)
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今日は恵那山へ行くため、旅館の朝食は頼まずに持ってきたパンを食べて宿を出た。
国道19号線で南下して中津川市へ出た。ここから中央高速を潜り抜けて川上へ行くはずだったが、左折する場所を間違えて20分以上もロスしてしまった。
川上からは、中津川を右手に見下ろしながら渓谷沿いの道を登って行く。砂利道は埃が舞いあがった。
黒井沢の登山口には、駐車場があり案内板があった。車を止めていよいよ出発である。
ゲートを潜って黒井沢の左岸(右側)の林道を行く。30分ほど歩いて山道へ入った所に黒井沢休憩所があった。建物はボロボロで土間には残雪があった。とても休憩する気にはなれず素通りしたが、もしここへ宿泊するつもりで来たらショックが大きいだろうと思った。
ここからは本格的な登山道になった。原生林の中を20分も行くと水場があった。竹筒から水が流れ、そこにワンカップの空きビンが置いてあった。
この原生林をしばらく行くと、今度は小さなログハウスの建物があった(写真左)。野熊ノ池避難小屋らしいが、建てたばかりの立派な小屋だった。多分、泊まれるのは4、5人ぐらいだろうが、さぞかし快適だろうと思った。
ここからはすぐに野熊ノ池へ着いた。冷たい水が大量に湧き出して池のようになっていた。その周りに5、6人が休んでいた。その中に70歳は優に超えたおばあちゃんがいたので驚いた。しかも単独行だという。そのおばあちゃんは、
「私は1時間に1キロしか歩けませんから……。ゆっくりなんですよ」
と言い、昨日は麓の民宿に泊まって朝5時にタクシーで来たという。帰りのタクシーもすでに予約済みで、前金で5,000円払ってあるという。タクシーの運転手もなかなか手堅いと思った。
ここからカラマツ林の中を登って尾根へ出た。すると恵那山の頂上らしいものが見えた。ボッテリした何の変哲もない山頂で、特に目を惹くこともなかった(TOPの写真)。
再び原生林の薄暗い中を登って行くと、途中で若い3人のパーティーが道端で休んでいた。そのパーティーを追い越して行くと、50メートルほど先に水場があった。私はここで休憩。実に冷たくておいしい水だった。
水を飲んで一服していると、先程の3人組が登ってきた。私が、「水が冷たくておいしいよ」と声を掛けると、
「ここで休めばよかった」
と悔しがりながら、ザックを置いて水を飲んでいた。
この恵那山はとにかく水場が多い。1時間も歩けば湧き水があった。いつでも冷たい水が飲めるので、登山者にとっては本当に有りがたかった。
この原生林を抜け出した時、突然小屋が見えた(写真左)。恵那山頂上避難小屋であるが、避難小屋などと呼ぶのは申し訳ないほど立派な小屋だった。こんな小屋なら是非泊まってみたいと思った。
その小屋の脇から一人の青年が「道がない」と言って戻って来た。私は小屋を見ながら立ち止まって肩で息をつきながら足元を見ると、膝よりも低いところに「山頂→」と書いた標識があった。その矢印は、今来た道を戻るように右へ135度位曲がった方向を指していた。
その標識にしたがって雑木林の中を行くと、すぐに稜線らしくなり1メートル四方ほどの神殿があった。それが五ノ宮で、同じように六ノ宮、七ノ宮と続き、一等三角点がある山頂には一回り大きい恵那神社本宮があった。
山頂は、どこが山頂か分からないような所に、まるで墓標のようにポツンと標識が立っていた(写真右)。期待していた展望は全く利かない。ガイドブックには「展望は抜群」と書いてあったが、周りの樹木が視界をさえぎっていた。
せっかく来た山頂なので、本宮や標識などを写真に収めていると、先程避難小屋の方から「道がない」と言って引き返してきた青年がやって来た。その青年と交互に写真を撮りあった。
山頂から一番近い水場を過ぎてから、おばあちゃんに会った。「頂上まであと30分ぐらいですよ。頑張って下さいね」と激励したが、本当に30分で着くかどうか、ちょっぴり心配だった。
下から登って来る人達が大勢いた。こんな遅い時間に登るとは驚いた。
車で林道を下っている時、タクシーが一台登って来た。そのタクシーを止めて話しをすると、やはりおばあちゃんが予約したタクシーだった。運転手には、「あと30分ほど待ってやって下さい」と言っておいたが、実際は1時間位待たされるかも知れないと思った。
今回はせっかく恵那山に登っていながら、恵那山の山容が分からなかった。実際に登ってしまうと、山全体が見えなくなってしまうので、どこか遠くから眺めるしかない。聞くところによると、名古屋から電車に乗ると恵那駅近くからこの恵那山が立派に見えるらしい。
恵那山は、もう一度登りたいとは思わないが、どうしても全景の写真を撮りたいので、機会があったら近くまで行てみたいと思っている。