御嶽山(おんたけさん)      42座目

(3,067m、 長野県・岐阜県)


雲海に浮かぶ御嶽山(木曽駒ケ岳から)。

田ノ原〜御嶽山往復

1996年5月18日(土)

相模原−相模湖IC−塩尻IC−木曽福島−田ノ原〜御嶽山往復−木曽福島(泊)

 「キソのオンタケさん」は一度は行ってみたいと思っていたが、いざ行こうと思った時、どこにあるのか分からなかった。
 木曽というからには木曽山脈、つまり中央アルプスにあるのだろうと思って地図を広げてみると、中央アルプスではなく、木曽川の反対側の岐阜との県境にポツンとあった。木曽のオンタケ山は木曽山脈にあるのではなく、木曽地方から見える単独峰だった。

 今回はこの御嶽山と恵那山を登ろうと、早朝の中央高速を飛ばし、長野自動車道の塩尻インターで降りた。国道19号線で南下し、木曽福島を目指して行った。

 木曽福島からは林道黒石線で田ノ原へ向かって行った。途中から御嶽山が見えた(写真右)。台形状の山容が残雪でまばゆいほどに輝いていた。早速車を止めて写真を撮った。
 途中にあった旅館やペンションは、スキーシーズンが終わったらしく、ほとんどが閉まっていた。

 林道はスキー場のゲレンデを横切っている所があった。まだ1メートルも積もった雪の急斜面に、道路だけが除雪してあった。しかし、崩れては来ないかと心配でスピートを上げて通り過ぎた。

 田ノ原には車が100台も置けそうな大きな駐車場があった。鳥居の奥にめざす御嶽山(写真左)が横たわり、残雪が眩しく輝いていた。ここは大滝六合目でビジターセンターなどもあった。

 鳥居を潜って、シラビソやコメツガなどの針葉樹林の中を登って行く。林道にはダケカンバがあったが、登山道は針葉樹林が多かった。

 途中に仮の神社があった。御嶽山は1979年(昭和54年)に爆発し、登山禁止になっていた。そのためここで登拝できるように仮の神社を建てたらしい。登山規制は1983年に地獄谷を除いて解除された。

 登山道は次第に傾斜がきつくなり、森林限界を抜けると八合目で、ここからは雪山になった。まるで槍沢でも登っているような急な斜面を一直線に登って行く。


(八合目を過ぎると雪山になった)

(王滝の頂上手前から見えた剣ケ峰)

 ここからひと頑張りで王滝頂上山荘へ着いた。小屋は下の方が雪に埋もれていた。その小屋の後ろにあったピークが御嶽山の山頂かと思ったが、王滝頂上だった。そこには立派な神社があった。山の上によくもこんな立派な神社を建てたものだと感心した。

 この神社の横を通って、左手に地獄谷の噴煙を見ながら一旦下って行く。そして少し登り返して八丁ダルミへ出た。正面に見える剣ケ峰の右手上空には、気持良さそうにパラグライダ−が飛んでいた。


(大滝頂上の下りから見た剣ケ峰)

(剣ケ峰への登りから返り見た王滝頂上)

 2軒ある山小屋を越えて石段を登ると御嶽神社奥宮のある剣ガ峰へ着いた。ここが御嶽山の頂上である。
  頂上からは、乗鞍岳や北アルプスまで見えた。眼下には一ノ池や二ノ池があるはずだが、今は雪に埋もれ白いクレーターのようになっていた。できれば行ってみたいと思ったが、雪がへばり付いた垂直のような岩場を見て、とても下る気はしなかった。


(御嶽神社奥宮)

(山頂からの展望)

 御嶽山は、富士山や白山などとともに信仰登山の霊峰として名高く、夏になると白装束で登拝する信者があとを絶たないというが、いかにも信仰の山という感じがした。

 下りは雪の斜面を滑りながら下ったので、思ったよりも早く駐車場へ着いた。

 今日は王滝村の旅館かペンションへ泊まるつもりでいたが、スキーがオフシーズンとなった今はほとんどが休業中だった。高級ホテルだけが営業していたが、料金が高そうなので木曽福島まで行くことにした。

 林道を下っている時、正面に中央アルプスの山々が夕陽に輝いて見えた。思わず車を止めて写真を撮ったが、どれが何という山か分からなかった。ただ一番高い山が木曽駒ケ岳だろうと思った。

恵那山へ続く